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成長より,楽して生きること
10年以上,人の成長の定義とは何かを考え続けています。
20代の頃はとにかく「成長したい」と口癖のように唱え,成長できそうなステージに身を投じていました。成長が何かもわからないのに。
結果として売上増加,事業拡大,人脈が広がる,年収が上がるなど物理的な広がりと右肩上がりというものを得ました。
それらを「成長できた」ということにして,自分に自信がつきます。
その反面,それらができなかったとき,「成長できていない」ということにします。
さて,いつのまにか成長を判断する材料が数字になっているわけですが,数字はとてもわかりやすくシンプルに我々の行動の良し悪しを判断してくれます。
多数決であったり,人の相談に乗った数,イベントを開催した数,フォロワー数,本が売れた部数など,「人を評価する指標」として数字は使われています。
では数字のない人は無価値なのでしょうか?
たぶんnoteの世界にいる人はそうは思わないですよね。
たとえば赤ちゃんのお世話をしている父母は無価値なのでしょうか。
数字にするにしても,ミルクをあげた数,オムツをかえた数などいちいち数えないですよね。
オフィスで場を和ませてくれる人はどうでしょうか。
数字は関係なく,なくてはならない存在になりえます。
心地よい文章を書ける人の記事を読んだとき。
その人のフォロワー数,あるいは記事のPV数を気にするでしょうか。
単に,心地よい文章に感謝しますよね。
あぁそうか,成長の定義は自分で決めなくてはいけないんだ。
数字で成長し続けなきゃいけないのは,世界がそうしたいからであって,自分はそうとも限らない。
どちらかといえば私は,いかに楽して生きるかに重きを置きます。
何度か転職しておりますが,どの職場でも「いかに楽をするか」しか考えてきていません。
タスクをいかに早く片付けるか,クライアントのやり取りをいかに減らすか,いかに早く帰るか。
効率や生産性とか,あるいは組織におけるチームビルディングや心理的安全性とか,ほぼ考えません。
楽するかだけを考えて,結果として人間関係がよくなったり,売上が伸びているだけなのです。
楽していれば余白が生まれて,新しいことが入りやすいです。
人にも余裕を持って接することができます。
余白や余裕のおかげで,広い視野で物事を見ることができます。
結果として成長しているとも言えるのです。
私としては,毎年何かしらやりたいことを決めて,そのことが育っているかを見るので,成長の指標はそこに尽きます。
今年はノートのことばかり考えてきました。
来年は読書会です。
読書会の成長が,私の成長ということになります。
自分が楽でいられるか? そのことを忘れずに取り組んでいきます。
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