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場の随筆家 / 呼吸をするように読書と随筆を暮らしの中心に置きながら、日常の小さな積み…

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場の随筆家 / 呼吸をするように読書と随筆を暮らしの中心に置きながら、日常の小さな積み重ねを楽しんでます。東村山の百才で心身を整えるWSを毎月開催。

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  • 暮らしの記録

    我が家のこと、家について、暮らしについて。

  • 2023年の日記

  • 恋愛や結婚

    日々感じている恋愛や結婚のこと。

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    自分の言葉をつくっていくための過程。

  • 本、漫画、アニメ、映画メモ

    観たり読んだりのメモ。

最近の記事

家族時間と自分時間

おすすめされたとある場に行ってみたら肌に合わず?途中で抜け出す始末でした。 最初は「最終的にどんなギフトがあるのか」を考えておりましたが、どうも身体が納得してくれなくて。コンフォートゾーン抜けの際に訪れる抵抗感覚とも違っていたので、これはなんぞ?ってなってました。 創始者の思想、伝え手の丁寧さ、集まっている人の雰囲気、そのどれもに溶け込める要素は詰まっていて、珍しい感覚を覚えました。 振り返ってみれば最近は家族との時間があまり取れておらず、今回もこの2日間空けておいたの

    • おもしろければなんでもいい

      たぶん私はそのうち自分の仏マインドを伝承する段階に入ります。オンライングループを作ることになろうかと。 起きる、息する、寝るだけで幸せな世界線は、たぶんどんな人にも役立つというか、悪いことにはならないと思っていて。 教わって身につけたものではなく天然なので体系化が難しく、今は同じような視点と視座をお持ちの方の元で、人に教えるとなるとどのようなことをしたら良さそうかを様々な角度から研究中です。 他人と比べる、すぐイライラする、なんかだるい、寝入りor寝起きが悪い、活動的な

      • 抵抗と歩み

        人は抵抗して進む。 鳥は空を受け入れて進む。 魚は海を受け入れて進む。 自然の法則を覆し、科学によって自身の能力を超えた高速移動を可能にし、空を飛び、海に潜った。その手段のどれもが自然に抵抗して進んでいる。 進化論を採用するなら、人は元々は魚だった。 単に忘れているだけで、抵抗なく進むことはできるのではないか。そんなことを研究する人の元で、「ゆる」を学ぶ。 身体をゆるめると、地球のコアに繋がりやすくなる。重力との関係は抵抗ではなく一体となる。 身を任せるということ。前に

        • 純粋を辿っていくと赤ちゃんになる

          ある友人のことを「言語化が難しい」と言った。しかしそれは間違いだった。大いに反省したい。 我々は物質と現実主義で生きてきた。 その思い込みは激しく、動的なものすら変わらないと思い込んでいる。 人間なら、その人間の顔を、身体を、雰囲気を、空気を、思考を、感情を、一つひとつ感じて自分の中で統合し、「こういう人」といった像を創り上げる。 この段階ではその人間の虚構があるに過ぎない。なぜなら統合する頃には相手は既に別人になっているからだ。 このことから、その人をその人と捉えた

        家族時間と自分時間

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        記事

          舞と絵

          4ヶ月の「観音舞-ひふみの道-」の顔合わせ。まさか自分が舞の道へ•••なんて思いつつ、あまりの心地よさと自然さに尻込みなんか忘れて、ただ楽しんでいる自分がいました。 今回やるのは水の舞。 生まれてこのかた火のエレメントにお世話になっている身として火も興味あるのだけれど、巫女舞をやっている友人から「やっちは水もあるよー」と聞いてから、すっかり水も馴染むようになりました。 ハワイのフラメンコを深めようとしていた方が、やはり日本の舞がやりたいと強い意志を示していた。日本の奥ゆか

          無理に着飾ったり他人と比べたり合わせて笑ったり

          そうやって帳尻を合わせていくのだから無理もない。むしろそれが生きがいでもある。 なにゆえ自分をそこまで苦しめるのか、その理由はわからない。ただ、何かしら得があるからやっているように見える。 朝、気分よく起きて、淡々と仕事をこなして、ウキウキと帰り、好きな店に寄り、楽しく家に帰る。大好きな家族と遊び、ごはんを食べ、大人の時間でゆるみ、眠くなったら寝る。 そんな毎日を送っていると、げっそりしてたり明らかにストレスが溜まっている様子の人はなぜそれを続けるのかわからなくなる。

          無理に着飾ったり他人と比べたり合わせて笑ったり

          ごはんを食べること、絵で表現すること

          友人たちとごはんを食べた。 とても楽しくおいしかった。 そのあと有志でお茶をした。 そのうちのひとり、K氏がW氏を表現する絵を描いた。 友人Y氏のつくるごはんはそれはもう絶品である。 料理のうまいお父さんお母さん、料理研究家、シェフ、そのどれにも当てはまらない料理をつくる。 言うなればY氏のごはんをつくる。 だから、どこにも当てはまらないのだ。 ある人が振る舞うごはん会でローストビーフが出てこようものなら、いつでも主役に躍り出そうだ。しかしこの日の主役はナスだった。 思

          ごはんを食べること、絵で表現すること

          心からの笑いに囲まれることを想像する

          「人は心から笑っているとき、すっかり身体がゆるんでる。それなら、身体をゆるませてみたら、もっと笑える自分に出会えるかも」 これは毎月行っているワークショップ「ゆるみの時間」をスタートさせるときに浮かんだフレーズであり、半年経った今も色褪せることなく自分の心を揺さぶっている。 笑いといえば、お笑いの世界を想像する人もいるかもしれない。その笑いも心身を活性化させ元気に変える尊い世界だ。 ただ、この「笑い」は感動してほんのり笑いながら涙が出る美しき姿を想像している。 いずれにし

          心からの笑いに囲まれることを想像する

          男性とか女性とか

          正直なところ、女性の時代なのだから男性は一歩下がって、最低限の生活を営んで一生を終えようとか考えてた。 だって男性の時代では女性が一歩下がってくれていたではないか。下がるどころか歯を食いしばって泣きながら生きる人だっていたんだ。 とはいえバランスの意味で考えれば、種以外でも男性が必要なシーンがあると信じたい。自分が男性だから信じることしかできないけれど。 今、前時代の成功体験をそのまま「栄光」として引きずる男性は、自分は今においても強者であると必死に思い込もうとして、違

          男性とか女性とか

          身体の世界に入ってみて

          身体の世界にやってきて1年半。 骨や筋肉の図がいつのまにか漫画を読むように受け入れられるようになっていて驚きます。 勉強から遊びになったのだと実感します。 身体を整えることは書くことにも影響しています。身体の調子が悪い時は決まって感覚ではなく頭で書いてしまうし、その頭も正常に動いていないのです。 呼吸や瞑想が下手です。 上手くなりたいと思いました。 呼吸するには身体が整っていないとダメで、まずは整えんといかんのです。乱れに乱れている身としては、伸び代しかありません。 最

          身体の世界に入ってみて

          ゆるみの先生と話してて

          ゆるみの時間の原点である師匠と話してて、以前とは違う空気を感じていた。 お互いの意向を探り探り話す感じがなくなっただけでなく、何より頭でなく身体で会話をしているようだった。 個々の身体で感じる感覚はそれぞれだけれど、確実に奥の奥に眠る普段動かさない部分を共に動かそうとしている人間として、通じ合うものがあるのだ。 私にはまだ小さい娘が2人いる。 先生には小学生と中学生がいる。 先生は塾をやっているのでさまざまな子どもたちと日々接している。 最初はたわいもない、あるあるな

          ゆるみの先生と話してて

          理由なき行動

          私たちは •気持ちの押し問答 •原因と結果 に慣れすぎてしまったせいか、 例えば気持ちが前向きになれば身体が動くといったように起点と終点を敷き、起点がなければ動かないし、終点がなければ気が済まないようになっているように見えます。 本来気持ちは関係ないし、はじまりも終わりもありません。理由と結果は後付けで、そのときの自分のことなど本当は覚えてないはずです。 自分が認識する今の自分を感じて、その連続の中で生きているはずです。 理由がなければ動けないならば、何か根本的な

          理由なき行動

          はだしのゲンがくれるもの

          はだしのゲンを改めて読んで。 これ、ゲンが絵描きになって広島から東京に夢を持って旅立つ希望の物語でもあるんですよね。 原爆の悲惨さだけが記憶に残って、そんな部分を忘れていました。 ゲンはいつもお父さんが言っていた「踏まれても踏まれてもたくましい芽を出す麦になれ」って言葉を思い出しながら、どんな困難に遭っても力強く生きていくんです。 元は戦争を止めたのは広島と長崎の原爆があったからだと言います。あれがあって怖気付いた日本のトップが降伏したのだと。あれがなかったら最後の1人ま

          はだしのゲンがくれるもの

          別に口にしなくていいこと

          多くの活動をしていると、どうも活動を発信して自分がいかに成長しているかを示したくなることがある。 おそらくそれは前時代的教育の賜物といえる。 途中経過を親や先生に示すことで自分がいかに頑張っているかをアピールするのだ。そして完成品を披露する際には、その努力を知っている者たちがうんうん、と頷く。みんなが感動しハッピーになる。 このストーリーを骨の髄まで染み渡らせている私たちは、どうも身体と心の癖として途中経過を披露したくなる衝動にかられるようだ。 ただ、私が知る限り本物と

          別に口にしなくていいこと

          夏休みが終わった

          10日はムーミンバレーパーク近くのバーベキューから始まり、11日は早朝から友人とのミーティング、紹介されたゴッドハンドの施術家の方の筋肉から性格診断される整体、12日は初めての観音舞、13日は家族でのんびり過ごし、14〜17日は軽井沢へ旅行、18日は近くのららぽーとへ遊びに行った。 もはや休みと平常の境目はない。 以前は休暇で特別な体験をすることは年に3回のお楽しみであった。ずっとそれを当たり前に生きてきた。 夏休みが終われば年末まで頑張る。 年始からGWまで頑張る。 そ

          夏休みが終わった

          宿泊先と我が家の在りかたから見る心地よさの考察

          旅行から帰ってきて、我が家の住み心地のありがたさを噛み締めてます。 家では自分の動作に合わせることができるけれど、旅行では動作を宿泊先に合わせなくてはいけない。 行きたい方向に行く、ほしいときにほしいものに手が届く、気持ちいいものが近くにある、慣れた香り、落ち着く場所を知っていること、これらの幸せを噛み締めてます。 これは慣れというより、どんな気持ちがそこに在るかだと思うんです。軽井沢の最初の宿泊先はオーナーや宿泊者たちの気持ちが本当に穏やかで、どこに行っても同じ気持ち

          宿泊先と我が家の在りかたから見る心地よさの考察