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エッジの内側から ~Cyberpunk: Edgerunnersの感想~


1.はじめに

※これは普通にネットフリックス「サイバーパンク:エッジランナーズ」の感想です。
※A.まともな感想 B.イカれたおっさんの感想 の二部構成でお届けします。

A.感想(比較的まともな言葉)

要約:原作リスペクトが半端なく最高。声優最高。ラストED曲の演出だけ変えてほしかったというわがままだけがある。

 アニメーションはTRIGGER。監督は「プロメア」の今石洋之。原作ゲームは、コロナ初期に自分が死ぬほどネカフェでやってた「Cyberpunk2077」。
正直ラインナップの時点でぐうの音も出ないほど自分好みではあるが、実は少し不安も感じていた。TRIGGER作品の(というより中島かずきのテイストがあるんだろうが)あのハツラツ爆発元気な味があの曇り空陰湿でかつ欲望丸出しの「ナイトシティ」を、ちょっと明るく描きすぎてしまうんじゃないか、という不安だった。

まあ、結論として、それはなかった。これは一重にTRIGGERが滅茶苦茶しっかり原作をそのまま描き出してくれた、という働きに尽きる。
何より細かい効果音がすべてゲームと同じ!
電話のコール音。横断歩道が発する音。回線の遮断音。
すべてがあの時の、「cyberpunk 2077」をぼーっとネカフェでしていた記憶を思い出させる。無為なようでいて、意味があった。このアニメを見る楽しみの増幅剤として。また、帰ってくる故郷のような場所として。まあそれを中毒とも呼ぶのであろうが。

物語に関しては「B」の方に若干譲るとして、納得のいく破滅モノで楽しめたし、こんな暗い話をTRIGGERが描くことに驚きだ。しかも日本アニメ最強のテクを駆使して! とにかく「すげー」とうなされる超絶クールなシーン満載。いろいろなところでもう言われているであろうが、アニメとゲームがそれぞれ作用して、アニメキャラの無念を晴らしにゲーム世界へ、ゲームを先に触った方はもちろんアニメを見て「ここ行ったなあ」と郷愁のような感情に浸り、またゲームを見だす。ビジネス的にもすげー効果ありそうだなあと思う次第だ。

声優も良かった。ルーシーは難しいキャラだったと思う。草薙素子や綾波レイといったサイバー世界の先達(レジェンド)に混ざらないように、しかし怖れることなく悠木碧はよく声を入れたと思う。津田に「語り継いでやるよ」と言われればそれだけでもう満足だろうしなあ。

唯一、怒涛のラストを迎えた後、「まあ、そうだよな」という悲しさとわずかな爽快感を描いたあとに、いつものED曲が来てしまったのは、ちょっと寂しかった。いや、それも計算かな。だとしたら、結局ルーシーは(ジュディのように)ナイトシティを離れるわけにはいかず、まだナイトシティに生きてしまっているという結末になる。
それはそれで、悲しく、美しい(この美しいと思う理由を自分は言葉にできない)から、まあそれはそれでいいのかな、と思う。

残りはほぼ上記のインタビューを読めば満足できる。
今年はまたナイトシティが最高になった一年だった。









B.38歳のエッジの内側にしかいれないただのいかれたオッサンの感想というかチラ裏LVの世迷い事


・・・俺すか?

B-1

「真・女神転生」は主人公の母親がアマノクサガミというアクマに食われてしまい、アクマが母親の姿で現れるという衝撃のシーンがある。それはひとつのトリガーのように物語を加速させる。もう、戻ってこれない、日常には戻ることはできない、という加速度で。
 もちろん、ゲームだ。そしてこの「サイバーパンク:エッジランナーズ」もゲームの破片のひとつ。第一話の母親の死は、まさにナイトシティという悪魔に母親を食われてしまう物語だ。ならデイヴィッドに、ゲームよろしくの生存の選択肢はあったろうか。あのエンドではない、もっと幸せな…いや、ルーシーなんて上玉の女と寝てる男にかける温情なんてないんだが、自分が気になるのは「選択肢はどこだったんだろう」という思いだ。上記のゲーム内追加メッセージをまともに受け取るなら、「学ばなかった」ことだろう。
「学べば」助かったろうか? 
何を「学べば」? メインのような体にならずに生きていたら? うん、それは少し正解かもしれない。 ずっと憎しみを噛み締めながら学校で学べば? かなり厳しい。そもそも金銭的に完全に手詰まっていた。あの一話はとても重要だった気がする。もうあの時点でデビッドという男は完全に詰んでいた。 …個人的には、もっともっと前から、彼には致命的な選択をしていた気がする。

第一話の7:00頃。彼女はルーシーを見て、追いかけていた。

この行動は、一瞬意味が分からない。
なぜルーシー(?)を追いかけるのか?
ボーイミーツガールのありきたりな運命論?
いや何かしらもっと根は深い気がする。
それは、このナイトシティの「予感」のようなものだ。
デヴィッドはBDジャンキーでもあった。
彼はどっぷりナイトシティのガジェットに夢中だった。

俺が思うに、彼はナイトシティの予感に浸り、楽しんでいた。
しかし自分の夢をつかみ取ることはできなかった。
そして大事な所で、転がっていたのは「祈り」ではなく、「力」だった。
(※1)

最初に女神転生の話をしたからまたしてしまうが(あれもある種サイバーパンクだもんな)、デイヴィッドがとった最も重大な行動…はまさしく「真・女神転生」のメインキャラのひとり、カオスヒーローのそれである。カオスヒーローはある因縁の敵と戦うため、自分をアクマと合体させろと宣言する。主人公を無視して。

この時も、物語は強い加速度をみせる

ナイトシティにおいては、あのデイビッドの選択肢はしょうがなかった。
かの名作「AKIRA」もなーんかそんな感じだったよな。
でも、ことナイトシティにおいては、なにかしら、そんなキラキラひかるものなんて、ないはずなのにデイビッドは求めていた。最初から。BDに、あるいは、ルーシー「のようなもの」に。

それは何だろうか。そしてそれを手にしても、結局誰もかれも幸せにはならない。(※2)

このようなサイバーパンクの世界で、反体制を気取りながら結局はメガコーポの犬として生きない限りいつかは殺される。生きている俺は…どうなんだろうか?


B-2.

 もうそろそろ生きるのも恥ずかしい年になったな、と思うほどになるくらいはエイジズムのドグマにどっぷりはまり、ナイトシティではないこの場所に生きる俺は才能も力も金もないまま、ただ生きれている。ナイトシティではないから。
エッジの向こう側には出ない。いつか弾き出されるまで。

俺もデビッドと同じ母子家庭に生まれ、親はとにかくまともに大学までいかせてまともに俺を生きさせたが、妙な趣味を覚えてしまった割に金をそこまで稼ぎもしなければ満足のいく結果を残してもいない。日々が忸怩たる毎日。金の為に入った「サラリーマン」というこの日本社会では妙に優遇されている場所にいたのに少しずつクレドの稼ぎも減りつつある。マジで謎だ。

だけど、自分はエッジの外側にはでない。ビビりだから。内側でじっと籠っている。その内側から、外側に行った人間たちを見る。金を得、女を得、何もかもを得て、幸せそうに見える。そして幸せそうに死んでいく。
だけれど、外側に立っても、何かをつかみ取れただろうか。
リパードクは言った。
「せいぜい、伝説ってやつにでもなりな、ありきたりのな」
これがかなり効くセリフだ。
何もかもを得ても、エッジの外側で伝説になっても、君がつかんだものは、誰かしらのつかんだ夢のようで、どうもしっくりこないんじゃないか?
それは、君たちがその夢の本質を見抜いていないんじゃないかと俺は思う。
勿論、夢が最も輝くのが他人がもっている時だ。自分もそれなりに欲深い人間だからそれを求める。

NYで公開された宣伝映像にはルーシーが最初と最後の挨拶をメッセしている。ここが重要だ。重要なのは、この挨拶をする、デヴィッドが最初に見たあの「ルーシー」なのである。
ナイトシティの「予感」という言葉を自分は使った。
それは、ルーシーの声や姿をした、「ルーシーですらない」何か。
それなのである。
そして結局それは…俺や、君たちの手を、滑りぬけるのだ。
手に入れることのできないものなのだ。

永遠にその何かをつかむために、エッジの内側からギリギリで網を張っているのが俺だ。
いつか本当に落っこちてしまうかもしれない。壁にたたきつけた会社のマウス、武道サークルのボスが蹴っ飛ばした机、あの時のワンメッセージ。なにもかもに注意を払い、まだ俺はルーシーを追いかけている。そんな曲をラブソングとして書いていたおっさんもいたが、そいつもSNSから完全に消え失せた。

ナイトシティの予感という、自分が作った言葉に惑わされ、また俺はきっと、王子神谷や北千住の快活clubに籠ってしまうだろう。やり方はわかっているのだ。何度も「それ」のちらつきを見ている。舞台で、クラブで、あるいはMTGでも、デッキのアイデアを閃いたときとか…最近はとんとないが。
「それ」を見るため、感じるために生きている。
エッジはまだ踏み越えない。
それが俺の選択だからだ。


(※1)「祈り」がないのは不思議だが、「真・女神転生」において「LOW」を体現する勢力がなかなか出てない。

(※2)そういえば悪魔と合体したカオスヒーローには、以前主人公のパートナーと自ら名乗ってきた「ゆりこ」という女性が横につく。その女性の正体は「リリス」であることも、あながちなんか意味があると思うのだ。

(※3)CDPR側が提示したエッジランナーズのラストはもっと救いのない終わりだったという話らしいが、俺は、きっと、ルーシーの見たあの月の旅行自体が夢で、それをアラサカの玩具にされたルーシーが今わの際に見ているもの・・・みたいな結末な気がする。ありきたりか。どちらにしろ、あれより悲しい終わりなら、きっとルーシーも生きてはいないだろう。
だが、ルーシーがいなくなっても、だれかまた、あのルーシーのような何かを、見続けるのだ。

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