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【アルバムレビュー】syrup16g/Les Misé blue


12月11日、ほぼほぼ同世代といってもいいnumber girlが再結成後のラストライブを行った。
「レミゼラブル」→「無常」てそういう?や、ちげーだろな。
以下、箇条書きに、アルバムのことを書いていきたい。
まず最初に聞きながらぼやいたこと。

1.「なげーよ」(まあいつも通りだけど…)

20年以上前からアルバムの尺で50分以上とっていると生活にフィットしないという気がしたが、なんというかずっとsyrup16gは現代的な聞きやすい尺でアルバムをまとめた試しはない。今回は始めと終わりをしっかり作ってあるアルバムだが、いや、だからこそなのか、異様に長い印象を受けた。

尺はおろか、内容もそうだろう。
今はいきなり開始10秒以内にサビをぶち込むような展開(米津大先生とかね)が日本のポップ音楽に主流なので、ゆっくりゆっくりギターリフが入っていくこのバンドにとっては完全な逆風の世の中だ。そもそもそういった「現代の空気」を全く影響下に置かないサウンドをやることに鷹をくくっていることが明確である。
ジェフバックリイ・ポリス・アドラブル・マニックストリートプリーチャーズ・オアシス・スターシップ・REOスピードワゴン…。
ずっとそうだ。このバンドは音のスタイルに、ほぼほぼ現代の音楽や社会をインスパイアに置こうという気が、結成初頭から微塵もない。
五十嵐隆の昔から好きなギターロック・ギターポップを徹頭徹尾やるバンドなのだ。
だけど元から、ギターのワンフレーズメロディでいくしかない、みたいなタイプのことを 言ってた五十嵐のことだから、ずっとぶれないんだよな、とも思う。
ちょうどそこら辺のことを昔の雑誌で語っていたから引用しておこう。

「(略)もう、サビサビサビみたいなさ、そういう曲でもいいわけですよ。その方が多分受け入れやすいと思うし。Aメロからキャッチーなのをぶつけていけばいいんだし。でもそれはね、違うんですよねえ。……ちゃんと生き物として扱わないと、メロディは。感情としては伝わらないんじゃないかっていうね。凄い、遺伝子組み換えみたいな、雑種の変な犬と変な狸をヤラせてできましたみたいな。ま、それも楽しんだけど、ミクスチャーとかね。でも俺がやりたいのはやっぱり……こう、『ああ、最小限の音符でそうもってくるのか!』っていうか。そこは頭でやってるんじゃなくて、なんか……降りてきちゃうところ」

ロッキングオンジャパン2003年4月10日・25日合併号 Vol.244



2. 現代と関係なさすぎい!(まあ、というか…)

これだと「1」と言ってることかわらないんだけど、まあ、というか、ちょっと辛いなと思ったのは、以前同じような曲をお前らやっとらんかったか?
と思ってしまう曲が多数見受けられてしまったのだ。
これは五十嵐隆が完全に先刻のように、現代から影響をうけていないからに尽きる。昔の自分の曲を参照しちまっているのではないか? と思うのだ。
だからどんなに年をとっても、貪欲に音をむさぼらなきゃいけないのだし、
それを行っているトム・ヨークのバンド、the smileの今年のアルバムの数曲は、その気合が伝わる音像のロックサウンドが数曲あった。

五十嵐くんはそこまでいけないんだよなあ。やれるのに。いや、やれないのか。underwoldやkick the can crewのような多ジャンルにも、ladyhawkeやM83のような(当時の)新鋭バンドやプロジェクトも聞いていたんだから、俺はやれると思うんだけどな。自分に自信もっていいよ。


3.「第二期」?シロップの限界を超えられないアルバム

第一期の壮絶さに比べたら、「Hurt」以降の五十嵐は気楽なものだ。
犬が吠えるという新バンドの挫折から、おめおめと再開ライブをしたときに、前のメンバーを引き連れてsyrup16g再結成。
まあ戻ってこないよりは戻ってきた方がいいが、
第二期はボーナスステージともいうべきか、あまり別にいりもしない老後のような印象をうけるのだ。ひどいねえ。エミネムと同じかも?いやちがうな。なんというか、第一期がとにかく壮絶すぎたんだよ。もうあんな衝撃を覚えるアルバムを連発できることはない。だから別にいいです。

第二期の話をすると「Hurt」→「darc」→「delaidback」の三作の中で、唯一「Hurt」が「復活だコラあ」という気合を感じれる時があった。「復活だあ」というメッセージ・コンセプトが見えていた。しかし「darc」には、これまでのsyrup16gの中で一番「何を歌ってんの?」というアルバムで、「delaidback」は過去の再発なので現出するコンセプトなんてものはない。「Reborn」を収録した「Delayed」、「明日を落としても」「Sonic Disorder」「翌日」といった代表曲を収録したバケモノアルバム「delayedead」と比較するとどうしたって落ちる(未発表曲それ自体はいい曲かなりあるのだが…なあ)。では、今回のアルバムは「Hurt」を越えたか? と言われれば、答えは「NO」だ。「Stop brain」「生きているよりマシさ」、そして「翌日」に匹敵する爽快さを珍しく出せた「宇宙遊泳」を、後述する曲たちが超えれたかといえば、どうしても首を縦にはふれない。先ほども言った通り、「歌うべきコンセプト」が五十嵐から感じられないのだ。なんとなくの、孤独、疎外だけ。
(…そういえば、タナソー、田中宗一郎と大昔syrup16gの話をしたときも、「今何歌っていいか五十嵐君もわかんないと思うよ」と言っていたような気がするな…まったく、やっぱりこういう時にあのおっさんは当ててくるのだ)


4.だがフォロワーに追い抜かれてもいない佳曲が数曲。

しかし不思議なことなのだが、こんな世離れた旧来フォーマット状態なら、 今のスタイルを纏った諸作の後輩たちのほうがうまい音楽を作ってるのでは? と思ったが、寡聞にして知らない。昔はplentyとか、ロッキングオンジャパン界隈でそういうものの後継者みたいなのがいたはずだ。 しかしそんなの、今じゃとんとみかけないし、というかロックバンドの数自体もかなり減少した。 ロキノンフェスとかもっと昔ロックバンドばっかりでしたよ。
だからそれなりに必要なのかもしれませんね。
やっぱりラッパーの躍進というのはデカいんだと思う。基本syrup16gを言葉のバンドだと思っていたなら、今は大分それは幾人のラッパーたちが肩代わったのではないだろうか。実は五十嵐も、kick the can crewといったラップグループを聞いていたというのはどこかのインタビューで言っていた。

5. なにか現代的な言葉を使ってもいるが別に感動はなしw

「孤独死」とかいろいろね。 でもあんまりそれは意味をなさない。 というか、その言葉が生まれるはるか前から、 五十嵐隆の言葉はそういうもののベクトルを向いていたからだ。
逆に言えば、五十嵐がそういった今流布している言葉を使ってしまうことへのイラつきも自分は感じる。
五十嵐なら、そういった言葉をもっと美しい言葉・情景へと変換できたはずだし。

6. 押韻は殊更今にはじまったことではないがまあ効果的なところもある

多分リリックサイトもそれをすべてとらえきれてない。



7. 前より社会は悪くなっているんで聞くべき機会も増えそうではある、が…

経済的に日本がsyrup16gの活動期間中ずーーーーーっと落ち込んでいることからもわかるが、もう没落する日本の中で、もっともっといわゆる「負け組」が増えざるを得ないのは疑いない。
 でもちょっと思うのは、ギャングスタの領域に到達しない、 このsyrup16gの諦念すらノーブルな人間の余裕なのかもしれない。
低所得の悲哀や孤独や疎外を、犯罪まで織り交ぜながらラップするラッパーたちの躍進を見るに、そこまでいかなくて、社会となんとか折り合い、首輪をはめられて生きることを選ぶ人間のための音楽という領域に、syrup16gはいてしまっている気がするのだ。それはつまり、「富裕層ではないが、貧困層と言われるには、まだわずかな余裕のある、没落する中間層のための音楽」と思うのだ。
だって五十嵐はたぶん、飢えていないのだから。
それと、気になる指摘がある。

環境くんという知り合いのツイートなのだが、このツイートの本質はこういうことなんだろうと思った次第で、なんというか、人間とのコミュニケーションをもとから放棄した人間たちのための音楽ではなく、他人とのコミュニケーションが必要な場所に存在し、それに擦り切れ疲れてしまうヒトビトのための音楽という側面が、syrup16gにはあるのだろう、と。
今、「負け犬」バンドではなく、「負け犬と勝ち組のちょうど中間にいいる人」バンド。
「コミュ障」バンドではなく、「コミュ障だがまだ他人と関われるチャンスのあるちょっぴり幸運な人に似合う」バンド。
そうなってしまったのではないだろうか。
(因みに後藤ひとりとはアニメ「ぼっち・ざ・ろっく!」のキャラクター)



8. 老いさらばえてることには変わりない。

今のライブもほぼvtuberとかホスト的な興行でしかないんだよね。
マジで失礼な物言いだけど。それでも人間が来ているから、いいんだけど。
より、このまま格差拡大すると、よりギャングスタ的なものをヒトビトは志向し、富裕層はありとあらゆるものを手にするだろう。syrup16gも聞くかもだが、別に聞かなくてもいい。音楽以外にも楽しませてくれるあらゆるものを、富裕層は得ているだろう。
ある種端整な顔立ちだから五十嵐もこのニヒリズムがあうという残酷な見立てはある種存在するだろうし、それも老いることでどうなるか。
昔のsadsのように何十・何百とツアーで回ることもしないだろう。もう別に誰もしていないからいい。
別に明るい未来のような今後が、このバンドに果たして訪れるのだろうか。
どうあっても夕日のような未来なのではないだろか。



9. 今後としては、このままキャリア後半の曲を積み重ねるか、エッジの外側にとんだ狂った作品を出すかどちらか。(……でもそれは五十嵐が決めることである。)

というかこんなことはうん十年前から俺は言ってる。
五十嵐がアコギ一本で海外インディめいた深いサウンドプロダクションを施すみたいなアルバムを、死ぬまでにひとつは作ってほしいんだが…まあ五十嵐は坂本慎太郎と違い、「バンドしたいしたい人間」だから無理だと思います。俺は勿論ドラムの中畑さんもベースのキタダさんも、日本で有数の演奏家だと思っている。しかしそこに打ち込みが、管弦楽が、入ればどうだろう。Father John Mistyみたいにならないか。あるいは五十嵐とやくしまるえつこが歌う曲があるなら…そんな夢物語も考える。
だが、別に五十嵐がやらないなら、やらないのだ。

(はたから見れば)挑戦をしない人生。俺もそうなのかもしれないな。



10. 最後に 俺の好きな曲個別感想

Dinosaur


最も良い曲。今までのsyrup16gの曲のどれとも似ない妙なアンサンブル。
ドラムのテクニカルさ、ギターの音自体はいつものsyrup16gだが、よくここまで他と差別化できる曲を作ったと思う。こういう曲があと5曲くらい欲しかった。てか今日Jockstrapを聞いたんだけど、あれくらいトリッキーになっても良かったのに。まあ無理か。

Everything With You

https://youtu.be/-0AJXdcLfI4

ほぼほぼリリックは目立つところはないが
「成長出来ない大人は惨めだ」
「お一人様の愉悦 あんまり謳歌しない方がいいな」
「どのみち なしのつぶて 様子見で 用済みさ」
という(五十嵐隆にしては)平凡すぎる凡打を重ねて佳曲にしている。努力の一曲。

In My Hurts Again


おそらくアルバムの中核をなす曲。
だってアルバムジャケットとリンクしているから。

大気圏の中で暮らしている 何処に居ても宇宙服を着ている


このリリック一発、もしこのアルバムの中でコンセンプトをねじりだすとしたらここだろう。この孤独・疎外を永遠に描き出すバンド、それこそがsyrup16gである。しかし、田中宗一郎の言葉になってしまうが、覚えておいてほしいのは、その孤独・疎外、それを自嘲する冷笑的なリリックの奥底には、社会に対する攻撃的な不満であふれかえっている。なぜここまで生きにくいのか。その攻撃性をギターのフレーズや一瞬の展開で自らの傷込みで魅せていく、それこそこのバンドの真骨頂だ。
まーイントロがほぼほぼ「Star Slave」(「delaidback」収録)なんだがなあ。


全く関係ないけど宇宙服ってつまり「サイバーパンク:エッジランナーズ」の最後のルーシーだよね。 そういうことです(?) 以上





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