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ぼぉーっとする時間を日常にひと匙ずつ

今 横尾忠則さんの本を読んでいます。一度終わりまで読んでみて 今の自分に印象に残ったことが『1日のうちにぼーっとする時間をもつ』ということでした。

横尾さんは1日のうちにぼーっとする時間をたっぷり取っているそうです。それは昔からのことだそうで 翻って現代人の1人である僕は1日のうちにどれくらい何も考えずただぼーっとする時間があるかと言うと 限りなくゼロに近いです。

最近は瞑想を再開したのである意味ぼーっとしている状態に近いのかもしれませんが やはり瞑想という行為を行なっているので何もしていない訳ではないように思います。

何もせず ぼーっとしていた記憶を辿ると子どもの頃のことになります。子どもの頃はよく天井の板を見上げて ぼーっとしていました。天井の木の板が幽霊に見えたり 動物に見えたり 模様が変化することを楽しんでいたように思います。

この頃はそうしたぼーっとする時間をもつことを忘れていたので一昨日からぼーっとする時間を取り入れてみることにしました。

最初は部屋の中央に椅子を置いて 夏雲がカタチを変えていく様子をぼんやり眺めていました。やってみるとぼんやり眺めていても色々と考え事が湧いてきます。その雲のように湧いてくる考えを風に流される雲のように ただぼんやり眺めることを心がけているとそのうち心の声がわずかですが静まってきました。

そうして15分くらいは ぼぉーっとした時間を過ごしたでしょうか。割とすぐに飽きてきてしました笑。

普段 スマホを触ったり 本を読んだり 妄想の世界に耽ったりしているせいか 何もせずぼんやりすることに慣れが必要だと感じました。

ぼーっとする感覚は嫌な感じはしないのですが 普段から何かすることに慣れ切っているので 据わりの悪さを感じてしまいます。

それも慣れかも知れないなと思い 3日目ですが1日のうち5分ほどはぼーっとする時間を持つようにしています。ほんとうにひと匙程度ですが 無理してやると続かないことは分かり切っているので 少しずつ増やしていく作戦です笑。

今日は先ほどまで室内から夕日が沈んでいくのを眺めていました。瞑想とはまた違う爽快感というかスッキリとした感覚があります。

もし既にぼーっとする時間をもっていらっしゃる方や やってみた方がいらしたら感想が聞いてみたいです。

また氣が向いたら ぼーっとする時間を持ち始めた変化についても書いてみたいと思います。

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