小さな違和感が見逃せなくなってきた

一昨日かな 京都に行ってきました。妻と一緒に出掛けたのですが それぞれの目的は違っていて 妻は神社への御礼参り。僕は坂口 恭平さんの個展を観にいくことが目的でした。

当日は僕たちにしては早起きして 京都でモーニングをとる予定でした。京都に向かう時にちらっと『新幹線で行きたいな〜』という思いがよぎったのですが それは心に秘めたままでした。

京都に朝九時過ぎについて 妻が探してくれた喫茶店でモーニングをとったのですが そこがまた凄いところで笑。『黙食』と書かれた張り紙が店内中に貼られていたのですよ。俺は『怖ぇ〜!!』と正直 思いました。

けど 妻が選んでくれたし 氣にいっているみたいだし これくらいなら大丈夫かな?とまた我慢しました。←この時は氣づかなかった笑

それから僕は個展 妻は神社へ行き 僕は個展を観たあとに鴨川沿いでラジオを生配信しました。そこで疲れていたのですけど あまり自覚がなくてですね。お互いが合流するときに妻にこっちに来てくれるように話をしたんですね。

すると妻が怒りまして笑。「私に戻れってこと!?疲れるのはお互い様だし なんで待っている間に考えてないのよ!」と言われました。

僕はあー考えてなかったなーと思いながら でもこれ怒らずに言えないのかな〜と呑氣なことを思いながら 妻が提案した お互いの中間点で合流することを選びました。

この時は 自分もちゃんと自分のことを分かっていたし 伝えることが出来ました。妻に「自分のところにきて欲しいってこと?」と訊かれ そうそう!笑。と応えれたので。

まぁ怒らせてしまいましたが 自分とは揉めませんでした。

スターバックスで無事に合流して 休憩したあと 妻の提案で歩いてお金に関する神社へ行くことにしました。これも今思えば やり過ぎでした笑

行くにしても電車&タクシー もしくはタクシーを利用すべきでした。結局 僕たちは歩いて30分かけて 神社へ行き 参拝して帰ったのですが。。。

次の日 昨日のことですね。何故かイライラして 悲しい氣分がしていました。これも過ぎ去ることは分かっていたし ずっと続けかないけど どうしてだろうと思っていました。

昨日 妻とお互いに不満をぶつけることがあって そこで自分が無理をしていたことに氣づきました。それは妻が言ってくれていたことでもありました。楽しいことでも無理しすぎていないか。

確認してくれていたのに無視していました。

今回で言えば 本当は行きも帰りも特急列車でのんびり行きたかった。電車賃は自分で払えたけど 特急料金を出して欲しいといえなかった自分がいました。そして 喫茶店のこと。雰囲気が良くないので出たいと言えば良かったこと。

注文してしまっていても 出れば良かったと今は思います。一人なら割と入店してからも退室したりするのに 昨日は出来ないんですよ。妻に気兼ねしてしまって。

それと神社まで歩いたことですね。電車で行くとか 電車で近くまで行ってタクシーで行きたかったです笑。

今回の話のかなめは 実際にそう出来たか。ではなくて 自分が相手に思っていることを伝えることが出来なかったことだと感じています。

喫茶店のことも黙食の張り紙が嫌なのではなく 嫌ですけどね勿論。それ以上に嫌だったのが 張り紙にさらに『楽しい時間を提供できずに申し訳ない』と書いてあったのですよ。

そんなの分かり切っていることだし 仕方ないですよ。でも じゃあこの張り紙のほうがよっぽど落ち着かないですよ と思いまして。私たちは自分たちのお店からコロナ患者を出したくありません。なので当店は黙食です。そういった旨のことを書いてあれば 違和感がなく受け入れられたと思うのですが 本音とやっていることに乖離があるように感じたのです。

まぁ 僕も乖離してましたけど笑

やっぱり自分の思っていることって ちゃんと表現しないといけないなってあらためて思いました。

あと好きなことでも 余力をもってやることですね。

体力を使い切ると余裕がなくなって イライラしちゃう傾向にあるみたいです 自分っていう生き物は。

もしかしたら 小さな違和感を無視せず 

行きも帰りも特急列車を使い

喫茶店も落ち着いた店を選び

移動もタクシーで

としていれば違ったのかも知れませんが

今回はこれが僕たちにとってベストの選択だったのだと思います。

これ以上 出来なかったですし笑

そんなことを思った 京都観光でした。

観光自体はフツーに楽しかったです笑

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