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元カノでも友達でもない存在。

タイトルの言葉は 現在のパートナーから言われた言葉だ。わたしが前のパートナー(元カノ)に会おうと思っているんだけど 会ってもいいかな?という提案をすると 話の流れでこの言葉が出てきた。

この言葉を取り上げたのは自分の中でも 前のパートナーの存在が まだハッキリと定義されていないからだと思う。

パートナー曰く「わたしからすると元カノは元カノで友達にはならないけど 元カノとか友達ってところに(たかなりさんは)こだわらなくても善いんじゃない」とのことだった。フレキシブルな考え方である。

以前 わたしが前のパートナーに会う提案をした際にこっぴどく怒られた覚えがある。どう怒られたのかは忘れてしまったが こちらも反論しつつ 結局その時は会わないことにしたのだった。

今回 前のパートナーに会えることになったのは ひとえにパートナーが賛成してくれたからだが「結局のところ わたしがいちばんなのは間違いないのだから(仮に)浮氣されても大丈夫」と言うことだった。

うちのパートナーはオトコマエであるし 女っぷりが好いと思う。ただ 惚れなおしたろう?という言葉は聞き流しておいた。

さて 実際に前のパートナーに会ってみると 感慨深いものでも湧いてくるのかな……と思っていたけれど 特にそういうことはなかった。

こちらに聞きたいことは 何故 結婚したくない派だったわたしが結婚することになったのか?そのキッカケを知りたいそうだった。

一言で言うと『縁』としか言えないのだけど そうは言いつつも色々と話をした。自分の口から出たそれは 嘘ではないのだけど 核心の部分かと言うと 自分でも分からない。

前のパートナーには話さなかったことで 結婚したくない派だった自分が結婚に至ったと思う理由が2つある(別に大して結婚したくない派に所属しているつもりは無かったつもりだけれど 前のパートナーに言わせると全く結婚する氣なんて感じられなかったよ!と言われそうである)。

ひとつ目は結婚したくないと言っていた頃も本心では結婚を望んでいたのだろう。と言うことだ。

わたしを含めて人は幸せになることに対してどこか恐れをもっていることが多いと思う。それはあまりに簡単に幸せになってはいけないと教えられてきたことが 理由のひとつだと思う。
だから 物事が簡単に上手くいきそうになると エゴが危険だとアラートを鳴らす。

もちろん実際は簡単に上手くいっていいのだけれど。笑

結婚に対しても こうあらねば!という自分が結婚にもっているネガティブな思い込みが緩めば 緩むほど 結婚がその人にとって必要な出来事なのであれば 結婚出来ると思う。

自分の場合 どこか結婚は不自由なものだと思っていたのだけど ある人からこう教わった。

「わたしは結婚して 結婚する前の自分よりも 今の方が自分らしくなったと感じる」

彼女はこう話していた。わたしを説得するような口調であれば 天の邪鬼なわたしは聴く耳を持たなかっただろうが 彼女はあくまで自分の体験として話をしていた。

それに結婚して自分らしくなったと言う内容は『最初の頃はパートナーにお前と言われて ずっと泣かされていたけど 自分も対等に言えるようになって 負けないようになった』と言うようなお世辞にも綺麗な話ではなかった。

この話を聞いてわたしはある種の美しさを感じた。これがただの綺麗な話であれば わたしは信用しなかったかも知れないが この話には彼女の言う自分らしくなったと言う信憑性を感じた。

たしかに彼女は以前よりも強くなり 人として対等になったのだ。そしてわたし彼女の言葉から人が対等になったときの力強さを感じた。

それからのわたしは結婚しても自由でいられる。自分らしくいられる。それどころか結婚する前よりも より自分らしく 自由になることもあるのだ。

この言葉がずっと心のどこかで響いていたのだと思う。

書いていると どこで終われば善いのか分からなくなってきた。笑

突然 前のパートナーに誘われ お茶をしてきたと言うよくある話だ。相手がどうかは分からないけれど 自分は会ったことでスッキリしたし 心の見えない部分が動き始めた氣がした。

前のパートナーと別れたときも 今のパートナーと付き合い始めた頃も 自分はとても怒りっぽい人間だった。

どーせ愛されていない。どーせ話を聞いてもらえていない。という思い込み(前提)の世界で生きていた。

今回 前のパートナーと話をして 自分がずいぶんとそこから離れた世界へやってきたんだな と言うことを再確認することが出来た。

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