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約1,000社の企業理念を見て思ったこと

 昔は―具体的には20代のころは―、企業理念なんか無用の長物だと思っていた。実際企業理念の類をいくつか読んでみると、「和」とか「奉仕」とか、「創造」とか「挑戦」とか、当たり前のようなことが書いてある。こんなことをわざわざ定める意味は何なのかと思ったものである。しかし一見当たり前のことでも、わざわざ書く意味があると今では思っている。

 実は、もうかなり前に古本屋でたまたま110円で次の本を買ったが、それを最近ようやく読み終えた。

社会経済生産性本部 編
ミッション・経営理念【社是社訓 第4版】
―有力企業983社の企業理念・行動指針―』生産性出版[2004]


 約1,000社の企業理念が、分類もされずに社名50音順にひたすら羅列してあるだけという、ちょっと狂気じみた本である。

 面白いもので、企業理念を見て「もしかしてやばいんじゃないか」とか「なんかブラック企業感ある」と思った企業をネット上で調べてみると、実際にどうもちょっとやばかったりブラック企業だったりするようだった。

やばそうな企業の例1:事業領域を絞らず、逆に多角化すると言っている

 たとえば、社名はあえて書かないが、事業領域を全然規定しないで、逆に「多角的な事業を行う」といったことを書いてある企業があった。そもそも企業理念の機能の一つ(恐らく最大の機能だが)は、限られた経営資源を振り向ける方向を絞ることだ。要するに、本来の機能とは真逆のことを書いてあるわけである。

 「もしかしてやばいんじゃないか」と思って調べてみると、業績の低迷や離職者の続出など、その直観を裏付ける情報が容易に山ほど見付かった。さらに、google検索で社名を打ち込むと「やばい」という語句がサジェストされる始末であった。


やばそうな企業の例2:社員の福祉への言及がまったくない

 企業理念の長さも様々であった。短いものは1行だけ、長いものだと1社で2ページも3ページも占めるものもある。ある長大な企業理念を読んで、その部品一つ一つを見る限りは全く違和感がないのだが、全体を読み終えた後なぜか妙に引っかかるものがあった。慎重に読み返してその正体に気付いた。社員の福祉への言及が全くなかったのである。この本の2~3ページだと、おそらく2,000~3,000字はあるだろう。ある程度ボリュームのある企業理念には、たいていの場合「人間尊重」とか「社員の幸福」とか、何かしら社員の福祉に言及した記述があるものだ。しかし、その企業の2,000~3,000字の長大な理念の中には、このような記述が1ミリも無かったのである。

 言い換えれば、この理念を作った人々の頭の中では、考慮すべき事柄の中に社員の福祉はまったく含まれていなかった、ということであった可能性がある。もしかしてと思ってネット上で調べてみると、こちらもネガティブな情報が多数ヒットした。最初に上げた例と同様、やはり社名を打ち込むと「やばい」という語句がサジェストされた。


良い例1:事業領域が明確に表現されている

 逆に良い理念ももちろんあった。たとえばミルボンは、企業の事業領域の記述が分かりやすくはっきりしている。これなら社内の人だけじゃなく、社外の人、仕入先などにも分かってもらえるのではないか。

(前略)ミルボンは、ヘアデザイナーを通じて、美しい髪を創る分野に絞って、事業展開をします。(後略)

p484

 ミルボンは企業理念を「基本理念」と言ってはいるが、おそらく意図的に、「ミッション」に相当する内容を明言できるようにしたのだと思われる。


良い例2:とにかく名文(笑)

松下電器の理念は文語調の名文である。標題に「笑」とか付けてはいるが、内容も良いと思う。

(前略)
一、和親一致の精神
和親一致は既に当社信条に掲ぐる処、個々に如何なる優秀の人材を聚むるも 此の精神に欠くるあらば 所謂烏合の衆にて何等の力なし

一、力闘向上の精神
我等使命の達成には徹底的力闘こそ唯一の要諦にして 真の平和も向上も此の精神なくては贏(か)ち得られざるべし

一、礼節謙譲の精神
人にして礼節を紊(みだ)り謙譲の心なくんば社会の秩序は整はざるべし 正しき礼儀と謙譲の徳の存する処 社会を情操的に美化せしめ 以て潤ひある人生を現出し得るものなり
(後略)

p452


なぜ企業理念が必要なのか

 そもそも会社のような営利目的の組織は、組織の結束を維持し高めるよう絶えず気を配らないと、すぐにばらばらになってしまうものだ。組織を結束させるためには、そのメンバーたちが組織の存在目的と基本的な価値観を共有しなくてはならぬ。少人数の組織であれば、メンバー同士の日常の接触によってこの「理念」を共有できる。忘れそうになったり、変節しそうになったりしても、絶えずアップデートできる。

 しかし多人数の組織ではそうはいかない。組織の結束を保つためには、様々な仕組みが必要になって来る。組織の存在目的と価値観を共有し続けるために最低限必要な道具が「企業理念」なのだ。

 そして企業理念は、存在目的と価値観という抽象的な概念を結構無理やり言語化したものだから、いざ言語化してしまうと「あれ、なんかこんな当たり前のことだっけ?」と拍子抜けするくらい当たり前だったりする。こういう感想が出てくるのも無理もないことで、言語化するとどうしても何かが抜け落ちてしまうように感じるものだ。しかしそれでも言語化することに意味がある。言語化しなかったら、抽象的な概念はすぐに風化してしまったり、変化してしまったりするからだ。言い換えれば、言語化された企業理念は「ハードウェア」であり、「ソフトウェア」すなわちその背後にある抽象的な概念を思い出すためのトリガーのようなものである。

 だから企業理念の機能は、むしろそれを作る過程や運用する過程で、より良く発揮されていると思う。


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