怖いものにあえて立ち向かう
たとえば、幼少期にあなたがスキーをして複雑骨折を経験したとする。骨折が完治したあと、どれくらいしたらまたスキー旅行に行きたいと自ら声を上げるだろうか。
先週末は建国記念の日が金曜日で三連休だったので、金土を使って久々に友人たちとスキー旅行に行ってきた。
スキーは僕が「苦手」とするスポーツの一つだ。大体、ウィンタースポーツはあまり得意ではない。スキー、スノーボード、スケート、どれも自分の体を滑らせ、地面に身を任せる「信用ならない」スポーツだ。
今回のスキー旅行も、僕から声を上げたわけではない。友達に誘ってもらって行くことにした。正直に話すと、スキーは苦手なので何かしら言い訳をして断ろうかとも思ったくらいだ。でも、残りの人生を幸せに生きていくためには、友人関係はとても大切。苦手なスキーをしても、きっと愉しい団欒が待っているに違いないと期待して、参加の誘いを承諾した。
リフトに乗り、雪山を登る。スキーやスノーボードで雪山を駆け下りる他の客が自分の下を通りぬくていく。良くもこんなに多くの人たちが、年に数回もしないスキーやスノーボードをうまく使いこなしているものだと感心している時間はそう長くない。リフトを降りる。山頂での友達との会話はぎこちなかったかもしれない。自分がスキーに恐怖心を抱いているのをさとられないように、普段よりもさらに興奮気味に話してしまった。
まずは「初心者」コースと書かれた旗のそばにある、初心者感の全く感じない角度の斜面を下ることになった。あぁ、始まってしまう。案の定、スキーが全く使いこなせない。早速板が重なって足が動かせなくなった。転んだ。やっと滑れたかと思うと、今度は止まれない恐怖で足がすくむ。また転ぶ。転ぶごとに僕は笑っているが、本当はすぐにでも泣いてしまいそうなくらい弱い。それでも雪山を降りなければいけない。
慣れてくると、いわゆるハの字でゆっくりと斜面を下ることができるようになる。その日の終わりには、なんと中級者の斜面まである程度のスピードで降りれるようになった。怖かったスキーが、楽しいスポーツ、もう少し上手にできるようになりたいことに変わった。
わたしたちは皆、人生で「恐怖」を感じることがそれぞれあるだろう。今回の場合、僕はそれがスキーだった。スキーの斜面を下る直前にいつも思うことがある。「下る直前が一番恐怖を感じているはず。下って恐怖に打ち勝てば、この斜面を嫌いじゃなくなる。」
他にも色々ある、もう10年近くほとんど会っていない父親に顔を合わせることや、仕事で失敗して上司に怒られたりバカにされたりすることだ。「恐怖心」から逃げることで、やらなくなってしまうことがたくさんある。
人生を有意義にすることの一つは「恐怖心に真正面から向き合って、打ち勝つこと」なんじゃないか。今年一年の目標を立てるのはまだ遅くない。自分が今恐れていることを振り返って、それに打ち勝つ年にしたい。僕はまだ、逃げたくない。
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