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私はいまだに原始人

休職期間中をいいことに
いろんな新書を読み漁っている。
といっても、大多数の新書はストレスに関するテーマである。

ストレス耐性や不安に対する対応策などが記載されているものが多いが、
不思議と脳のメカニズムに関することが多く記されている。

そこでかなりの確率で書かれているのは
「脳は原始時代の名残をいまも残している」
ということである。

以前も別のテーマで書いた気がするが、
私の脳特性である
・真面目
・他人の目を気にする
・怒られるのが苦手(嫌われるのが苦手)
というのは
原始時代にヒトが集団生活を営んでいくのに
必要な反応だったのだろう。

「真面目」
原始時代を生き抜くには、動物や変化する環境に対応しなければならなかっただろう。
つまりは、真面目でいろんな事情に気がつく性分が必要だったのだろう。

「他人の目を気にする」
「怒られるのが苦手(嫌われるのが苦手)」
令和のいまではそうでもないが、原始時代にはヒトは集団行動で
集団生活をしなければ生きていけなかっただろう。
そうなると、必然的に所属する集団と不和になるわけにはいかない。
よって、他人の目を気にして、集団からキックアウトされないような
立ち振る舞いが求められていたのだろう。

上記のように
私がいま生きづらいと感じている脳の特性は
原始時代ではある種求められていた特性ではある。
でもそれは、当然ながら原始時代とは異なり
命を脅かされる危険性は圧倒的に低いし、
種を後世に残る確率も段違いで高い時代には不必要であろう。

つまり、私を取り巻く外的要因や環境などは
令和になっていても、私の脳はいつまでたっても原始時代から
進化できていないのでは?と思ってしまう。
というか、そうして理解すると
残念なことに辻褄があってしまうのである。

もちろん、私の脳が突出して原始時代に取り残されているわけではないと思う。
(というか、そう思いたい)
きっとこれを読んでいるあなたも、私の家族も
脳は原始時代からはそう変わっていないはずである。
人類よりも、環境や技術の進化の方が
なん億倍も早いスピートで行われている現代を見ると
それは間違いない。
“本能”という言葉があるくらいなので
無意識下ではみな、平等に脳は原始時代である。

しかしながら
私の脳特性は特に原始時代に想いを馳せやすいのか、
原始時代では“かなり”フィットしていた脳設計なのだろう。
おかげで令和の現代では、それが仇となって大変生きづらいのだが…

と、思えれば
この脳で苦労しているいまも少しはラクになってきている。

これもまた別記事で書いたが、
本能に抗う、という意味では
私の脳を原始時代から令和へアップデートさせる期間が
この休職期間なのだろう。
そしてこれは
休職期間という、労働という世界から離れて
自分のことに真正面から向き合えるという贅沢な時間をこれでもかと
持てる今だからこそできる術なのである。

そう考えると
休職することは、あながち負け組ではないのかもしれない。
だっていまもヒイヒイ働いているあの人は
このように自分の脳と向き合えることはないのだから。
となると、この休職期間を与えてくれた
あのトラウマにも感謝だね。
彼らの脳はいつまでも原始時代、私はお先に令和にアップデートしますわ。

という負け惜しみを残して、今日は寝ます。
(珍しくこの時間の更新は眠れなかっただけ+明日はリワーク見学なので更新できそうになかったから)

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