私の人生相談2

母はとてもプライドが高く、常に男性を見下していました。


が、己がそういう性格だという現実を受け入れず、頭の中では「優しく子供思いの良妻賢母」だと思いこんでいました。


なので虐待に不満を言うと、その事実には一切触れず「親に向かってなんて酷いことを言うんだ」と言って怒り出し、報復に2、3日一切の家事をしなくなります。


自立してから、毎日少しづつ母の虚像に気がつき始め、言いようのない怒りが込み上げてくるのです。


でも母は自分が正しいと信じて疑わない。でも私には母を反省させることができない。その無力感が、鬱の大きな要因だと思っています。


中1になって学校に通い始めてから、はじめての泊まりの遠足が決まりました。


私はワクワクして念入りに準備して当日を待ちました。


が、当日の朝母が突然「行くなアア!」と怒鳴り出すのです。


私が行きたいというと、「ジャア勝手に行けエ!」と怒鳴ります。


で、行こうとすると「何で行くんやアアア!」「行ったら後でどうなっても知らんぞ!」「帰ってきても家に入れんぞ!」と脅します。まるでヤクザです。


結局無理やり私に休みの電話を入れさせて母はまた眠り出しました。私が長時間泣いていても無視です。


母は止めた理由を「数日前まで風邪をひいていたから」と言いましたが、全く理由になりません。


本音は「息子が離れることで不安、不快になるから」ただそれだけでした。


そのために私を傷つけても何とも思わない、それどころか、指示に従わない私に「とんでもない子」とレッテルを貼って罵倒するのです。

本当なら一番身近で守るべき我が子、自分を最も信頼して頼ってくる子供を、母は一番の騙す対象として利用してたんです。

全く人間の風上にもおけない鬼畜です。


思い出すのは辛いです。

が、我慢しているともっと辛いので、世の中にはこういう親もいるんだと、より多くの人に知って欲しいです。


今の日本では、親権が強すぎて実質やりたい放題です。


良い親であればさほど問題ではないですが、悪い親であれば、簡単に子供の人生を破壊できる、最悪死に至らしめることもできるのです。そして責任追及もされない。


今日も多くの子供達が犠牲になってることでしょう。この状態を何十年も放置している日本は、何という冷たい国かと思います、、


対面のカウンセリングは受けた事がないです。


クリニックで紹介されて、近所のカウンセリング事務所の予約を取ろうとしたのですが、こちらの希望を無視した時間を提案してきたので、見合わせました。


自分が子供を持ってから、以下に我が母が狂っていたかが、よく分かるようになりました。


普通の頭があれば、育ち盛りの子供を5年も不登校にさせれば、社会復帰がどれほど難しくなるか想像がつくはずです。


母はそれが分からないどころか、自分は良いことをしていると信じていました。


他者がいくら説明しても、母の頭の中では「己が正しい」のです。


庇える要素が何一つ無いのに、母は絶対の自信を持っている。


私はそれが信じられません。


母以外にも、教師や同級生でこういう類の連中を沢山見てきました。

だから私にとってはこの世は地獄なのです。


(カウンセラー)相当今までエネルギーを使って生き延びてこられたのではないでしょうか。


>ありがとうございます。今まで直接相談をしてきたお医者さんやカウンセラーの方は、私の体験談を聞くと内容に絶句し、そこに触れずに話をそらすパターンがほとんどでしたので、このような共感のお言葉をいただくと嬉しい限りです。


(カウンセラー)一体どのようにして、どのような気持ちでこれまでの間、耐えてこられたのでしょうか。


>そうですね、、正確に思い出すのは難しいですが、その瞬間瞬間の問題にひたすら対処していたように思います。


私の経験上、多くの人間は表面を繕っているものの、本性は支離滅裂で凶暴だったので、私は全ての人間・トラブルが恐ろしくてしょうがなかったです。


が、一方で筋の通らない事を容認できない一面もあるので、いつも自分の中で激しい葛藤があったように思います。


異常な相手に対して最善を尽くして戦えなかった事を、かなり後から後悔し、それがフラッシュバックとして現れます。


(カウンセラー)いつ頃から絶縁状態なのでしょうか。


>22才からです。当時私は大学を中退して半年引きこもった後、実家から短時間のアルバイトに出て自分の食費分を稼いでいました。


私は自分に対する全ての自信を失い、とにかく人間が怖く、朝起きてから夜寝るまで、常に緊張していました。いつも窒息したような、心にぽっかり穴が空いたような気分でした。


鬱積した不満をどう発散すれば良いかわからず、家で大声を出したりした事もあります。


しかし母は、「大きな男が実家に居座るのは気持ち悪いから自活しろ」という姿勢でした。


そして同居の弟と大喧嘩した翌日、バイトから帰ると、母は不意に私に遠方の、疎遠にしていた親戚の家を尋ねるように言いました。言われるがままにその親戚を訪ねて世話になり、一週間ほどしてから母に帰る旨を連絡すると、「帰ってくるな。そのままそこの世話になれ。帰ってきても家に上げない(私は合鍵を渡されていませんでした)」というのです。


私は唖然としました。当然、親戚がそんな事を受け入れるはずはなく、私は追い出されました。


長くなるので少し割愛しますが、その後私は実家に入れず、食うや食わずの状態のところをある福祉法人に助けて頂きました。


大都市にある寮に収容され、1年間そこを拠点としながら就職してお金を貯め、なんとか独立しました。


寮にいる時も独立してからも、実家に手紙を送りましたが、返事は一切有りませんでした。
そこからは色々な仕事を経験して今に至ります。


(カウンセラー)ただでさえお母様とのコミュニケーションは難しかったと思うのですが、そこの部分を読んでいると、お母様への怒りもありつつ、ご自身のことも責めているように感じました。その辺りはどのように考えていらっしゃいますか?


>「その点について」は、私は自分を責めているつもりは無いのです。


長い間、私は母から「お前は変わった子」「お前は悪い子」と教えられ、それを信じて育ってきました。


そして学校でも狂った同級生に毎日のように否定され続けたため、完全に自信を失いました。
母はよく私を否定したり、無理に自活を促したりする際に「お前のために言っている」と言いました。


が、実家から離れ、さまざまな人と接しながら暮らすうち、徐々に母の言っていた事の多くが「偽装」だったことに気づいてきました。
よく考えると、母の言動の多くは支離滅裂で矛盾だらけだったのです。


例えば、母は父と離婚する前にも1度離婚歴があったようなのですが、私や弟にそれを隠していました。


その理由は、自分が「被害者で可哀想な女」だと演出するためだったのです。


母は父との結婚は「望んだものではなく、父に騙された」のだと、私と弟に教えました。
しかし実際は、世間体を気にした親類が、バツがついた母に当時訳ありだった父を紹介してくっつけたようなのです。


親類に悪意があったのは確かですが、昭和の時代背景からして、30歳までにまともな初婚ができなかった女性が、再婚において不利な扱いを受ける事は、容易に想像ができたはずです。
つまり母は、自分にも落ち度があった事を隠し、100%自分が被害者だと我が子に信じ込ませる事で、自分のプライドを維持したのです。
今から考えると、母は非常に特殊な精神構造をしていたと思います。


現実の自分の姿や立ち位置を一切無視し、根拠のない自己愛に基づいた都合の良い自己イメージを膨らませ、それを己で信じ込む。
また我が子にも、それを信じ込ませようとする。


現実との矛盾が見えてくると発狂し、周囲に悪人のレッテルを貼って八つ当たりする。
その繰り返しでした。


母は毎日のように他人の悪口を言い、とても上から目線の物言いが多い人でしたが、自分では「謙虚で子供思いの良妻賢母」だと信じ込んでいました。


母が家事をせず、私や弟が数日同じ服を着、午後まで何も食べずお腹を空かせていても、母は「毎日家事をやっている」と信じ込んでいました。


(カウンセラー)また、弟様もいらっしゃるようですが、今でも関りはあるのでしょうか。


>ありません。


数年前、縁のないある都市の役所から「あなたの弟様が生活保護を受けています」という手紙が届いただけです。


弟は可哀想な子です。私が実家でバイトを続けていた時、大学受験生だった弟は冷酷な親戚から「お前が進学を諦めて高卒で就職し、母と兄貴両方を養え」と相当な圧力を受けていました。


弟は「兄貴のせいで俺は進学を断念させられる」という恐怖と闘いながら勉強をしていました。


弟の私に対する恨みは相当だったと思いますが、私は私で自分の事で精一杯でした。

仰るように、私は尋常ではないほどのエネルギーを使いました。そして使い果たしました。


私はもう何十年も、ガス欠の車を手で押して歩いているのです。


海外の人は、日本人のことを親切で秩序正しい民族だと言うそうですが、どうしても私にはそのようには思えません。


私の前半生において、多くの日本人は、普段からよく嘘をつき、見栄を張り、自信過剰で、思い通りにいかないと感情的になってイヤミを言い、嫌がらせをしました。


たとえそれが、小学校の教頭を務めた伯父であろうと、鉄鋼メーカーの役員をやっていた叔父であろうとです。


社会人になってからもそういう感じの人を何人も見ました。


そんなレベルの日本人が、海外では「いい人」だと評価されているのですから、海外の多くの住民はもっと恐ろしい人々なんだと勝手に想像しています。



中学2年の時、こんなことがありました。

新学期最初のHRで、クラスの委員を挙手制で決めようとした時です。


図書委員を決める時に、私と、2つ隣の席の男Bが手をあげました。


司会をしていたY子と言う同級生の女が、明らかに私の方を見てから無視して、「はいじゃ図書委員はB君で決定です」と言いました。


私はあまりに予想外のことに驚き、しばらく呆気に取られました。HRは淡々と続きました。


HRが終わってから、私は半信半疑でY子に「さっき図書委員の時、僕手をあげてたけど?」と言いました。


するとY子は真顔で、「いやでももう済んだ事だから」と言いました。


私はその瞬間、やはりわざとだったんだ、と思いました。


私が続けて「いやでもおかしいやん」と言うとY子は、「私が謝っても、あんたもう図書委員になれないんだから。謝っても意味ないやんw」と言って立ち去っていきました。


ちなみにY子と私は、それまでほとんど関わりがありませんでした。


つまりY子は、ほとんど関わりのなかった私に対して一方的に敵意を募らせ、HRで私が手を挙げたとき瞬時に「無視する」という嫌がらせを思いついて実行。


さらに私に苦情を言われたとき、瞬時に「済んだことかどうか」と「悪いことをしたら謝る」という別々の要素を巧妙に混同させ、言いくるめて逃げる、という離れ技をやってのけたのです。


私はY子の、この全く異様な種類の能力に恐怖しました。


さらに直後の休み時間、腹が立った私は、これまた数回しか話した事のない同級生の男Tに、「挙手したとき無視された」という話をしました。


するとTは瞬時に怒り出し、「お前がちゃんと手を挙げなかったんヤロオ!?」と怒鳴りました。


私が「何でそうなるんだよ!」
と言い返すと、Tは「だってそういう事ヤロオ!?」と怒鳴って立ち去りました。


私はまた恐怖しました。クラスの生徒の多くが、私がすること、私が言うことを、とにかく全力で否定する、全力で邪魔をする、と固く決意していたのです。


数年後、Y子が神○大学に合格したと知ったとき、私はなぜあんな奴が、世の中とはこんなにも狂っているのか、と愕然としました。

○お母様のお話だけではなく中学の時のお話や親戚のお話等、きっとまだ他にもたくさんあるかもしれませんが、


>本当に沢山のエピソードがあります。多分数え切れないです。


1番怖かったのは、カッターを首に突きつけられた事と、首を絞められた事です。


中一の時、カッターを突きつけられた時、驚くべきことに相手の同級生Uは「ヘヘヘ」と笑っていました。


私は、これは騒いだら殺されると思い、目をつむってひたすらじっとしていました。しばらくすると、相手はつまらなそうに、「ヘッ」と言って立ち去りました。どうやら彼は、恐怖に怯える人を見ると楽しくてしょうがない、という異常性癖だったようです。


首を絞められた時は、これも中一の休み時間でした。直前の授業で、先生が質問を出し、私が挙手して答えました。


すると直後の休み時間、教室の後ろからUが猛烈な勢いで走ってきて、私の首を絞めながら壁に押し付け「オマエ調子乗ってんじゃねええええ!」と怒鳴りました。


「ウッ」と言いながら苦しむ私の目に映ったUの顔は、まるで親兄弟でも殺されたかのような、壮絶な憎悪にあふれていました。


彼がキレた理由は、自分が知らないことを私が知っていた、ただそれだけです。


私は、こんな異常な中学生がこの世にいるのか、と衝撃を受けました。


こんな調子だから、授業でどんな簡単な問題が出されても、誰も手を挙げて答えないようになり、ついに先生に当てられても答えないようになりました。


先生がいくら声かけしても、誰もうんともすんとも言わない。そこは全くの異常な空間でした。


進学高に入ればマシになる、と母に言い聞かされて入った高校も、大して変わりませんでした。


高二の時、体育の先生が授業の終わりに「人のミスを笑うのはスポーツマンシップに反するので止めなさい」と注意しました。(どこのクラスでも、授業で誰かのミスを他の生徒が大勢で笑い物にする行為が横行していました。)


珍しく先生がマトモなこと言ったな、と思いつつ教室に戻る途中、同級生Oが不機嫌そうに、次のようなことを言いました。


「先生は何を言ってるんや。ミスった奴を皆んなで笑ったりするのが、体育の楽しみ方やないか!」


私は衝撃を受けました。こんなクズみたいな事を、さも正しいかのように堂々と主張する高校生がいるのかと。


狂っている、という言葉では表しきれない異常者が、そこにいたのです。


○奥様やお子さんは理解してくれていらっしゃるのでしょうか。


>妻には私の体験の大筋を話し、かなりの理解を得ています。


妻自身も、小中学生の時、長いあいだ同級生からツバを吐きかけられるなどの嫌がらせを受けていたようで、その辺の理解は早かったです。


ただ、私の体験談を聞くと自分も傷つく、と言って深く聞こうとはしません。


妻自身は、辛いことを思い出さないよう努めることで、負担を軽くするタイプみたいです。

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