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「親父の葬式」を覚悟する

社長になると、冠婚葬祭に呼ばれる頻度は格段に増える。

特にアトツギは、昔からお付き合いがある取引先や地元の繋がりなどで、ほとんどお話したこともない方のお葬式やお別れの会に参列することも少なくない。

昔は、正直そういうのを「めんどくさい」と思ったこともあった(…かもしれません。ごめんなさいっ。)

でも今は、お葬式の背景にある先代の物語やアトツギの新たな思いを感じるようになった。

★★★

「親父の葬式」には2つの側面があると思う。

・先代を偲ぶ場として

・アトツギのお披露目の場として

大往生などある程度は覚悟ができている場合もあれば、突然やってくることもあると思うけれど、いずれにせよ、動揺することは間違いないだろう。

アトツギは、子ども(喪主)としてはもちろん、会社の後継者としても振る舞わなければならない。役割が2倍ある、と言える。

その時、自分はどんな場を作るのか、どんな言葉を紡ぐことができるのか。

想像したくもないけれど、いつかは来ることだと肝に命じておきたい。

★★★

今日、友人のお父様のお別れの会に参列してきて、先代のあまりに凄い偉業にビビりつつ、立派な会を執り行っていたアトツギの姿と、その目にうっすら浮かんだ涙を見て、上記のようなことを考えました。

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