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大学受験と学歴コンプレックス

今回のテーマは『学歴コンプレックス』。

皆さんも耳にしたことはあるだろう。ある一定のレベル以上の大学に通っている人であれば珍しくない言葉だと思う。

今回の記事では私の受験エピソードに加えて、東京大学を目指した理由についても書いていく。

先に断っておくが、ここから先は完全に私の感じたことをありのままに書いていく。学力についての話など、一部の人には不快に感じる表現を用いてしまう可能性があるが、寛大な心で読んでいただきたい。


高校2年生

話は高校2年生に遡る。

私は高2の春、当時の担任に突然呼び出された。
進路の話だった。
担任は私に、東京工業大学(以外、東工大)を目指すように勧めた。
私の当時の理系の学力を見込み、当時自分が目指していた大学よりもレベルの高い大学を目指すべきだと話を持ちかけてくれたのだ。

※東工大は関東の国立大学で、理系では東京大学、京都大学に続く名門大学である。

当時の私は成績も徐々に上がっており、この担任の言葉を受け、東工大を受けることを決意した。

高校3年生

高校2年生で東工大を受けると決め、オープンキャンパスにも行き、私は順調に勉強を進めていた。

高校三年生の秋の時点で、東工大オープン(当時河合塾が開いていた東工大を受ける人向けの模擬試験)でC判定を取っていた。
秋でC判定であれば十分合格は狙えるレベルで、この時はとても喜んだのを覚えている。

その後も判定の悪いテストはあったが、成績は順調に上り調子。学内でも物理と数学は特にできる方だった。

大学受験

受験を迎える。過去問を解く限りでは、合格率は50%程だったと思う(2回に1回はボーダーラインに届いていた)。

東工大の入試は2日間にわたり行われ、手応えとしては悪くなかった。受かるかもしれないと思った。

受験結果がオンラインでも見れる中、私は東工大の大岡山キャンパスまで足を運んだ。

時間になりホワイトボードに合格者が張り出される。

残念ながら私の番号は無く、私は東工大に落ちてしまう。
結局国立の後期試験で関東の国立大学(以下、A大学)を受験し、この大学に合格し進学することになる。

参考までに、私が受けた大学を以下に記しておく。

法政大学(デザ工、センター利用)→合格
東京理科大学(工、センター利用)→合格
東京理科大学(理工、一般)→合格
早稲田大学(創工、一般)→不合格
東京工業大学(6類、一般)→不合格
A大学(工、一般)→合格

大学生活

春になり、私の大学生活が始まった。
大学が始まった当時、私は東工大に落ちたことは吹っ切れていて、学歴コンプレックスなど持っていなかった。

しかし大学の授業が進み、私は重大なことに気づき始める。
それは授業のレベルが低いということだった。

私の大学では、大学1年生で教養科目として(大学の)数学や物理などを学ぶ。
しかしその内容は、高校と被っていることが多いのにも関わらず、その内容を理解出来ない友人が多かった。

偶然にも私が1番仲の良い友人達は前期落ちの(私のように別の国立大学に落ちて、後期の試験でA大学に来ている)人が多く、良くないということは自覚しているが、レベルの低さを友人達と嘆く時期もあった。

そのような環境の中で私は、徐々に学歴コンプレックスを持ち始める。
あれ程受験に力を入れていたのだから、もっと良い大学に行って、良い大学のレッテルが欲しいと思うようになる。

これが、東京大学受験を決めた本当の理由である。
仲の良い友人達と共に現在のA大学を出ることを目標に勉強を始めたのだった。

その後

既にご存知の人もいるかもしないが、最終的に東京大学の大学院に合格した。
東大を受ける決意が早かったことに加え、様々な要素が噛み合って合格することが出来た。

以下で記事にもしているので、興味のある人は覗いて頂ければと思う。

学歴コンプレックスというもの

最後に少しだけ、『学歴コンプレックス』について私の考えを書こう。

私の記事では少し暗い扱いをしていたかもしれないが、私は案外学歴コンプレックスは悪いものでは無いと思っている。
なぜなら、これはきっと受験を頑張って乗り越えた人が持つものだからである。

結局大事なことはコンプレックスとの向き合い方なわけで、その向き合い方さえ間違えなければ決して悪いものでは無いはずなのだ。

さて、そろそろ共通テスト(当時のセンター試験)の季節がやってくる。
受験生の皆さんが、納得のいく結果を出せることを私は祈っている。

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