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あの日のLをぶん殴ってやりたい

Yahoo!ニュースに載った

ありがたいコメントを頂いた

Yahoo!ニュースに載った。最も敬愛するかもめんたるの岩崎う大さんからのありがたいコメントを頂いた。芸人寿命がめっちゃ延びた。本当にありがたい。宝物になると思う。僕はかもめんたるさんを見て育った芸人である。めちゃくちゃ嬉しい。マジでめちゃくちゃに嬉しい。

何より、う大さんのコメントの中で、ネタに、ネタだけに触れてもらえたことが嬉しかった。どれほど素敵なコメントだったかはリンクからご確認頂くとして、マジでめちゃくちゃに嬉しかった。

ふだん、ちょっと寂しい。未だにどこへ行っても、学歴や経歴が紐づいてしまう。大学なんて卒業してしばらく経つし、特に学歴ネタをやっているわけでもない。学歴ばかりが先走っても得しないよな、という感覚はずっとある。記事を読んで頂ければ分かる通り、ど真ん中エリートタイプではないし。

きっと、そういう僕の悩みみたいなところを汲み取って頂けたのだと思う。学歴に言及してコメントすることが、きっと一番簡単だったはずなのだけど、純粋にネタと考え方の話をして頂けた。本当に嬉しかった。

受験の話をしようかな

しかしである。受験シーズンなので、この記事ではせっかくだし受験の思い出を書いてみようと思う。記事の中でもなんぼか触れられていたし。

いや、なんでこの流れで受験の話するんだよ。するなよ。僕、馬鹿なのかもしれない。何も考えずに思いついたことをするな。俺の人生ずっとそうだな。や、でも仕方がない。受験シーズンだから。季節には負けてもいいだろう!インタビュー記事に色々補足したいこともあるし!さあ、行ってみよう!

一回目の受験

志望校を決めたときの感覚

僕は青森県出身で、県内第二の都市・八戸市内の高校から京都大学を志望・受験した。記事では現役合格になっていたけれど、ふつうに一浪している。全然二回受けている。同級生やら後輩やらから「記事のここ何?」とめちゃくちゃ指摘された。めちゃくちゃ嫌だった。別に一浪してるよ。隠してないよ。

さておき、さておき。青森から京都大学へ、というか京都へ進学するというのは、進路としてはかなり難しい。進路選択のときの感覚、インタビュー記事の中でも軽く触れていたのだけど、せっかくだしもう少し細かく書いてみようと思う。あれな、あくまでも「感覚」であって「考え」ってほど確かではないやつな。

まず、青森県出身の若者が県外へ進学するとしたら、地理的な便から仙台か東京に行きがちである。関西はかなり遠い。体感で別の惑星ぐらい遠い。実際、僕の出身した高校は、「医者か先生になるなら県内の大学」「成績がよかったら東北大学」「さらによかったら東京大学」という進学先の分類、見えないコース分けのようなものがあった。

このとき、僕は京都大学を志望した。いま思えば恥ずかしいことだし、先にリンクを張ったYahoo!の記事とは矛盾することになるのだけど、僕はそういう決まりきったルートに乗らないために京都大学を志望した部分があった。半ば逆張り的に、アンチ職員室的に、言ってしまえばノリ半分で受験先を決めたのだ。

もちろん記事に書かれているように、「自由の学風」という言葉に惹かれた節もあったし、京都という街に惹かれた節もある。何億光年離れたように感じる、西の宇宙から届く光はあった。それは全く嘘じゃない。でもそういう要素は後付けっぽい部分もある。

「東大も東北大もやめときたいなあ、みんな勧めてくるからうっといなあ、あ、そういえば京都って手があるなあ、うわあ、こういう大学なんだ、面白そう、俺に合ってそう、行こう~」みたいなトーンで志望校が決まった。

それこそ、例えば僕が関西圏に生まれていたら、かなり高い確率で京都大学には行っていない。あくまでも、周りが京都大学を受けない環境だったから積極的に京都大学を調べたし、調べたから面白そうだと思ったのだ。順番としてはそんな感じである。

一人がいっぱい集まってると思ってた

世間知らずで愚かだったこともあって、京都大学を受験するのは日本でも自分だけ、ないしは自分みたいな人だけだと思っている節があった。みんな他の進路選択のルート(東大とか医学部とか色々)を人から勧められて、それが嫌だから京都大学を受けるんじゃないかな、みたいな。

でもそんな感覚は実態と真っ向から違った。全部間違えていた。一度目の受験の時に覆された。多くの受験生が、いかにも仲良さそうにグループを作っているのを見たのだ。同じ制服を着ていることから、恐らくは同じ高校の人たちで集まっていると思われる集団がちらほら。中心に先生と思われる人がいることもしばしば。

あるいは私服の受験生が群れを成して喋っていたりする。茶髪の人がいることから考えるに、予備校浪人生か何かの集団なのだろう、とか。

そう、京大受験とは大勢への逆張りのもと、単騎単身で「いざ!」と挑むところではなかったのだ。「みんなと一緒に京都大学に行こう!」というノリが、この世にはあったのだ。めっちゃびっくりした。ひええって思った。

そういうわけで、僕は試験会場で自分の勘違いを悟り、かなりの孤独を経験した。「め、めっちゃ恥ずかしい」と思った。

もちろん、試験場で一人になっている人は僕だけではなかったし、そういう思いをする人はいっぱいいたのだろうけど、それはもう僕だけが孤独であるかのように錯覚した。孤独ってもともとそういうとこあるよな。

一年目の受験に失敗した原因が孤独と不安だったとは思わない。敗因は明確に得意の地理で答え方を間違えた(記号で書くところを都市名で書いた)のと、数学で一問チキって手をつけなかった(後から解いたら別に解けた、よくあるから受験生気をつけて)のと、そういうマイナスをカバーする程の点は取れなかったせいである。明確に受験の中身で落ちた。

それでも、孤独と不安ゆえにかなり緊張したことは事実だった。

逆襲への準備

孤独と不安を解決しなければならない

さて、そんな僕が二度目の入試を受けたときの話である。一年間の浪人生活を経て、学力は飛躍的に伸びていた。ぶっちゃけ、10回受けたら10回受かるくらいの成績にはなっていた。

しかし僕は依然として孤独だった。自宅浪人をベースに、講習を受けたり通信添削を受けたりする感じの一年だったからだ。「英文解釈教室」もやった。「やさ理」の文系範囲にも手をつけた。京大の過去問を25年分やって、飽きたので東大と一橋と阪大の過去問もやった。万全だった。完全にオーバーワークだった。もうあんまやることがなかった。あんなにやらなくてもよかった。

それでも昨年同様、入試会場まで一人で向かうわけである。孤独も不安もあった。

雪国青森にて、僕は一人、黙々と策を練っていた。自分の孤独、自分の不安を解決するには、何をすればよいのか───。体操をすればよいのか。好きな音楽を聴けばよいのか。友達に電話をすればよいのか。考えに考えた。熟慮に熟慮の末、僕は一つの結論に辿り着いた。

無理だ!!孤独も不安もどうにもならない!!自分と同じだけ、周りを孤独に、不安にさせるしかない!!

同じ試験を受験するのは、僕とほぼ同年代の連中だ。きっと僕と同じくらいに精神力が弱く、根性が座り切っていない。見た目だけ賢そうでも、内面はまだまだ全然子どもに違いない。どうせ孤独も不安も多少はあるのだ。そりゃ勉強にはちょっとばかり自信のある奴らかもしれない。でも、思春期から大人に変わろうとする時期特有の不安定さがあるはずだ!だって僕もそうなのだから!付け入る隙はいくらでもある!先手必勝!奴らを不安にしてやれ!

そういう算段で、僕は受験より半年も前から、試験会場で「いったいどうやって周りをかく乱するか」について、勉強そっちのけで思いを巡らせていた。

どう考えても、「周りを不安にすること」は「自分の不安を解決すること」よりも確実で効率がよい。

なんなら「勉強して成績を上げること」よりも効率がよい。数学の問題を一問解けるようになることがどれほど大変か。英単語を100語頭に叩き込むことがどれだけ面倒か。それらに比べると、横の奴の気を散らして計算ミスを誘発することなど、ものすごくたやすい。英単語をちょっと出て来なくさせることなど、あまりにも簡単だ。

天才になるしかない

では、どんな方法を取るか。方法が何でもいいわけではない。もちろん犯罪行為をしてはいけないし、犯罪に該当せずとも「試験上の注意」で読み上げられるようなことに反した場合には強制的に退場させられる恐れがある。周りにプレッシャーを与える最高の方法は何か、僕は考えに考えた。

そして結論を出した。同じ試験会場に、すさまじい天才がいると思わせればいいのだ。天才の存在、それこそがプレッシャーを与える最も優れた方法だ。天才になろう。天才になるしかない。天才の前では誰だって孤独になるし、誰だって不安になる。

もちろん、僕が実際に天才であるかどうかは問題ではない。過去問をめっちゃやり込んで、他大学の過去問にまで手をつけたんだから、普通の努力型である。全然天才じゃない。それでも、僕が天才に見えればいい。

すると問題となるのは、いかにして自分を天才に見せるかになる。やはり元ネタがあった方がいい。みんなが僕を見るなり「天才だ」と思わざるを得ないような記号的な何か。天才を象徴する何か。

僕が受験した当時は、ジャンプ漫画原作の『デスノート』が実写映画化され、大流行した直後だった。僕の世代ならば、知らない人はいないほどの特大ブームだった。平成一桁年代生まれの僕たちにとって、天才とは───Lだった。

僕は受験会場でLになることにした。

勝算があった。当時の僕は「デスノートのLに似てるよね」とたびたび言われていたのだ。心当たりもある。ボサボサの髪と白目がちな目と猫背のことだろう。確かに我ながら「人間を16分割するとLと同じグループに入る」くらいの意味において、Lに似ている気がしていた。

さらに、デスノートの実写版映画でLを演じていた松山ケンイチさんは、青森県出身の俳優だった。青森県から京都大学を受験する僕が、己の天才性を演出するうえでは、まさにベスト、必然としか思えない題材だった。

なれる。僕はLになれる。周りの皆はさぞかしビビることだろう。試験場にLがいるのだから。

二回目の受験

Lになった

2月。京都の冬は青森出身の僕からしても普通に寒い。京都大学の入試会場には、天才特有の無地のシャツを着て、天才特有のひん剥いた眼をして、アイスクリームを食べ続けるLがいた。僕が思う完全なLだった。

目ん玉をひん剥いて、舌を長く出して、蛇のように、時に悲しい顔を見せながら、アイスクリームを舐めとる。すべては天才・Lを演じ切り、周りをビビらせるため。

たぶん、ちょっと仕上がっていた。受験会場の緊張や興奮の中、アイスを舐め続ける僕は、少しLっぽかった。僕は休み時間が来るたびにアイスを舐めた。そして定期的に独り言をこぼした。

Lは無言でもないし、おしゃべりでもない。小声でぶつぶつと何かを言うのがお約束だ。

僕はアイスを食べ、小声で「冷たい…」と言い続けた。

まさに天才の独り言である。完全にLである。「おいしい」でもなく「多いなあ」でもなく「冷たい」である。僕が意識したのは、アイスクリームを食べてはじめて「冷たさ」を実感した、というニュアンスだった。

描いていたストーリーは以下。生まれてこの方、Lは「冷たい」という言葉を当たり前に何度も使ってきた。けれど、「冷たい」に実感が伴ったことは一度もなかった。しかし二月のアイスクリームを舐めることで、「冷たい」という言葉が持つ冷たさをやっと身をもって時間できた───。しかし「冷たい」という言葉に実感が伴ってしまったことは、Lにとって悲しいことでもある。「冷たさと出会ってしまった、また知らないものが一つ減ってしまった───。」みたいな。そういうニュアンスの悲しい顔をした。

Lじゃなかった

今思い返すと、谷川俊太郎でも言葉を失うほどアホな光景である。普通に若き日の僕がアイスを食べてるだけである。まさかその光景を作ったのが自分だとは考えたくもない。本当に馬鹿なんじゃないかと思う。あまりの馬鹿らしさに思わずくしゃみが出るほどだ。

なぜよりによって、溶けやすいアイスクリームを選んだんだろう。チョコレートやマシュマロでもよかっただろう。休みのたびに買いに出るの面倒臭いし変だろう。

そしてなぜ入試を受けるまで「冷たい」を知らなかったんだ。事前に出会うチャンスがあっただろう。そんな奴、天才じゃないだろ。受験より前に「冷たい」くらい知っておけよ。

そしてなぜ「冷たい」を知ると悲しい顔になるんだ。知ってしまうことの悲しみってなんなんだ。そんな精神構造の人間、わざわざ大学で勉強しないだろう。知るたび悲しくなるんだから。

そしてなぜ「冷たい」を知った数時間後に「冷たい」をもう一度知るんだ。知るたび忘れているのか。だとしたら本当に天才でもなんでもないだろ。「結構記憶力のない奴」とかになるだろ。

ああ、本当に恥ずかしい。あんなことをしている暇があったら英単語帳でも開けばよかった。あの日にタイムスリップできるなら、あの日のLを泣くまで説教してやりたい。「目を覚ませ」と一発殴ってやりたい。だけど受かってよかったね。受験生頑張ってね。


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ちなみに数年後、爆太りしてすっかりグラマラスになった後で出演した番組で、ブラックマヨネーズの吉田さんに「飯を食い過ぎたL」と例えて頂いたことがある。飯を食い過ぎていなかった当時は本当にLだった可能性がある。長い時を経て、Lへ戻るためにダイエットをしている。最近停滞気味。その記事はこちら。

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