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ロフトに課金し松重豊さんと生きる暮らし

好きな概念が三つある。「自由」「美」「ロフトで1000円か2000円」だ。

この中でもダントツで好きなのは「ロフトで1000円か2000円」だ。「ロフトで1000円か2000円」のものに囲まれるなら、「自由」と「美」は気にしない。どうせ後からついてくる。

「ロフトで1000円か2000円」とは、ほんの少しグレードの高い日用品を意味する。耳かき、爪切り、皿、下敷き、クリップ、ピーラー、しおり、コースター、水筒。その辺の、わりと百均で済んでしまうもの。あまりに些末で、生活の中でたいした意味を持たない脇役たち。

僕は今まで、そういった日用品を百均で済ませてきた。それ以上の金を払うのはおかしいとさえ思っていた。しかし最近、考えが変わった。「ロフトで1000円か2000円」のプレゼントをいくつか貰い実感したのだ。脇役の日用品たちは、「ロフトで1000円か2000円」で大化けする。爆発的に質が向上する。名もなき脇役が、突如として生活を彩る魅力を放つ。

つまり、松重豊だ。「ロフトで1000円か2000円」とは、日本最強のバイプレーヤー、松重豊さんのことだ。スタイリッシュな清潔感。ほのかな色気。決して派手過ぎず、かといって地味過ぎず、丁寧にシチュエーションに寄り添う名優。ほんの少しグレードの高い日用品とは、松重豊さんなのだ。

僕は生活の至るところを松重豊さんに囲まれたい。なんせめちゃくちゃに好きなのだ。

松重豊さんは、映画やドラマで「地味ながら重要な役回り」を完璧にこなす。大人しいが有能な刑事、悪の組織の良識派、物分かりのよい会社の上司。このあたりを演じたら右に出る者はいない。主役クラスではないが印象的な役、トータルで観たらこのキャラ一番好きだったとなる役、それはだいたい松重豊さんだ。

松重豊さんは「割とふつうのひと」を「何倍も魅力的なふつうのひと」にする。主役の邪魔はしない。物語の雰囲気も壊さない。ただ置かれた場所から、静かな魅力を放つ。なんてすごい役者なんだ。たぶん松重豊さんがやっている役のほとんどは、平凡な役者がやったら本当に地味な役になる。松重豊さんが魅力をまぶすことで、あらゆる役が化けているのだ。

それだけのパワーを持っているのに、松重豊さん本人がどんな人なのかは、あんまり掴めない。たぶんそれこそが、本当に素晴らしい役者であることの証明だ。

松重豊さんは「どんな役を演じても松重豊」のタイプではない。作品によって表情を変え、声を変え、身にまとう雰囲気を変える。松重豊さんは様々な松重豊になれる。そこが凄いのだ。

ではいったい、「松重豊」本人はどこにいるんだろう。

もしかしたら、もしかしたら実在しないのかもしれない。この宇宙は様々な「松重豊」が離れたりくっついたりしながら、姿形を変え、拡散と収束を繰り返すだけの空間なのかもしれない。「松重豊」はどこにでもいる。だからこそどこにもいない。「松重豊」とは最新の物理学が研究対象とするような、想像もつかぬミクロな現象なのかもしれない。

何にでもなれる。ならば僕の人生にも、「松重豊」は隠れていたかもしれない。

例えば、母に手を引かれ、畦道を歩いた幼い日。今でも覚えている。僕の精神的な原風景だ。

あの日の夕日は綺麗だった。少し綺麗すぎて怖かった。どこか残酷さを感じさせるものがあった。ふつうの夕日なのに、ふつうの夕日じゃなかった。ふつうの夕日だったらあんなに存在感はなかった。ということはあの夕日、あの夕日こそ、松重豊さんだったかもしれないのだ。

あの日僕は、西の空へ沈んでいく松重豊さんに照らされながら、畦道を歩いたのだ。

そういえばあの日、母はいつもより優しく笑っていた。その優しい笑顔の奥に、すんと音の響きそうな寂しさの広がる空間が見えたのを覚えている。ふつうの母なのに、ふつうの母じゃなかった。どこか違うものがあった。ということはあの母も、松重豊さんだったかもしれないのだ。

あの日僕は、西の空へ沈んでいく松重豊さんに照らされながら、白いスカートを履いたロングヘアーの松重豊さんに手を引かれ、畦道を歩いたのだ。

そういえば、あの畦道。あの畦道は、どこまでも続くような神秘をまとっていた。ふつうの畦道なのに、ふつうの畦道じゃなかった。そうか、松重豊さんだったのか。

あの日僕は、西の空へ沈んでいく松重豊さんに照らされながら、白いスカートを履いたロングヘアーの松重豊さんに手を引かれ、すすきの生い茂る松重豊さんを歩いたのだ。

さすがにもう違う気がするぞ。どこで間違えたんだ。松重豊さんが西の空へ沈むのは見たことあるから、やっぱ松重豊さんにすすきは生い茂らないってことか。

それにしても、思い出ってのは嫌だね。ノスタルジーだけで生きる価値とか理由を代弁し出す。めんどくさいね。思い出に負けないくらい鮮やかな現在を生きよう。

そしてそうだ、今ここ、現在の生活における「松重豊」とは「ロフトで1000円か2000円」なんだ!想像してごらん、「ロフトで1000円か2000円」の耳かきを。最高だろう。ふつうの耳かきとは比べ物にならないだろう。それは松重豊さんが演じているからだよ。

いま僕は、松重豊さんに入れたお茶を飲んでいる。今日は伸び過ぎた爪を松重豊さんで切るんだ。いいだろう。これがロフトに課金し松重豊さんと生きる暮らしだ。

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