1997年 ジョホールバルの記憶
あの頃、まだ僕は小学生だった。小学校に入学して間もなくJリーグが開幕して、野球からサッカーに公園の主導権が変わり始めていた時だ。緑色のユニフォームを着たカズやラモスやキタザワに誰もが夢中になっていたあの頃。サムライブルーなんていう言葉もまだなかったあの頃。
93年ドーハの悲劇は、いまでもよく覚えている。ワールドカップの持つ意味や、日本サッカー界の悲願などはよく理解していなかったけれど、子供ながらに「何か大きなことが起きている」という空気を感じ取っていた。試合の翌日、学校で