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みなさんこんにちは。 今日は久しぶりにお題に挑戦です。 私には、浦和レッズサポの後輩がいます。 今まで周りにサッカーのサポーターがいなかった私は、後輩の熱量に常に圧倒されています。 通常(?)の後輩は、後輩でありながらとても頼もしく、飲み会でも気配りができるとても良い子なのですが、浦和の話題になると急に目が座り饒舌になります。 試合になると日本全国津々浦々。アジアチャンピョンズリーグの際は海外までも飛んで行っていたようです。 16時からの試合なのに朝9時から会場に行くん
前回の続きになります。 前回はコチラ↓ バタバタ続きの2017ACL決勝、サウジリヤドまでの道のり。 準備段階でかなり振り回されたものの、ようやく出発の日を迎える。 2017年11月17日 金曜夜の羽田空港。 エミレーツ航空のチェックインカウンターには赤い列が出来ていた。 チェックインを済ませ、航空券と封筒を受け取る。 御守りはクラブからだそうだ。 毎年チームが必勝祈願をする調神社の御守り。 余談だが自身の結婚式を挙げたのも調神社だ(偶然にもレディースチームの必勝祈
浦和レッズのオフィシャルパートナーGunosy様が、浦和レッズを応援する活動の一環として浦和レッズについての作品コンテスト「はじめてレッズをみた日」を開催中とのことで、この機にnoteをはじめてみました!よろしくお願いします。 1. はじめにまずは簡単な自己紹介ですが、 ♦️出身:酒井選手と同じ「長野県」 ♦️生れ年:ショルツ選手と同じ「1992年」 ♦️血液型:関根選手と同じ「O型」 ♦️身長:明本選手と同じ「170cm」 ♦️好物:興梠選手と同じ「ローストチキン」 (ホ
会社の休みを最も長くとるのがこの8月で、ほぼ半分を北海道で過ごした。目的は石狩でRISING SUN ROCK FESTIVALへ参戦することと、帯広でクラブユースU-15の全国大会を観ることだ。前者は2019年以来であり、後者はコロナで中止となった2020年を除けば4回連続である。 クラブユースU-15は自分が1年間で最も好きな大会で、これを楽しみに日々を過ごしていると言っても過言ではない。今年は日本クラブユース選手権という名前になって以降、初めての街クラブ同士の決勝(ソ
GK 早川友基(鹿島アントラーズ) 沖悠哉、クォン・スンテを抑えて昨シーズン終盤から正守護神の座を手にした3年目のゴールキーパー。4試合で2失点の数字を残した8月はビッグセーブを連発。敗れたものの第23節名古屋戦の集中力は神がかっていた。簡潔なプレー選択ができるビルドアップ能力も魅力で、好調鹿島の影の功労者。 DF 犬飼智也(柏レイソル) J1残留に向けてこの夏に補強されると、その経験と統率力で早くも柏のディフェンスリーダーに。特別サイズが大きいわけではないがシュートブ
2007年4月。 当時大阪に住んでいた僕は、時間を持てあましていた。3年ちょっと営業マンとして勤務した会社を退職するにあたり、余りに余った有給休暇を消化中。そんな、人生で稀に訪れる長いオフを満喫していたのだった。営業ノルマに追われる生活に終わりが見えて気合いが入ったのかどうかは覚えていないが、珍しく数字目標も達成して報奨金をゲット、払い戻された積立金も合わせ、自由に使えるお金もそれなりに持っていた。 せっかくだから、この時期にしかできないことをしたい。そう思ったとき、僕は
都内某所に生まれ育ったわたしは, 生来の気質か,あるいは早生まれのせいか, スポーツは全般的に不得手の,基本インドア派. 「典型的な都会育ち」と,環境のせいにでもしておこうか, 普段身体を動かせる空間が近所にあまりないこともあって, 親に言われるまま,水泳やテニスの教室には通ったものの, 自発的にやるには,いまいち気乗りがしなかった. 運動神経はなくても4年に一度のオリンピックは楽しみなイベント, そして夕食時のテレビには野球中心のスポーツ中継が流れていた. 近鉄の伝説の
この記事を、いまトンネルの中にいるすべての人とその家族に贈ります。 2023年3月26日。 夫の、はじめてレッズをみた日。 そしてそれは新たなレッズサポ誕生の瞬間でもあった。 2022年の夏の終わり。夫が休職した。 長らくの働き詰めの暮らしのあとのことだった。 夫の充電期間が始まった。 夫は一見、ごく自然な生活を送っているようだった。 何にも打ち込めないことを除いて。 これまでの厳しい生活は夫から趣味を奪うのに十分だった。 映画。音楽。ゲーム。思い当たるどれも夫の胸を
もし私と同じ試合を見て、今でも浦和レッズを応援している人がいるのなら、 一緒に食事でもしながら、今までの人生を振り返って語り合いたい。 PSM(プレシーズンマッチ) シーズンが始まる直前に行われる有料の練習試合であり、その結果には 大きな意味はないが現時点でのチームの完成度などを見るいい機会だ。 私が初めて見た浦和レッズの試合は1999年に当時住んでいた静岡県の沼津市の山奥にあるスタジアム、愛鷹広域公園競技場で行われたPSM、ジュビロ磐田対浦和レッズである。 なぜ静岡
「おれたちならできる!」「後半も頑張ろう!」 そこかしこでポジティブな声がかかる。前半終わって0-1のビハインド。まだ4月だというのにまるで真夏の世界に入り込んだかのような高温と高湿度。久しぶりにゴール裏で跳ねて声を出したおかげで私は喉も足もかなり限界点が近い。ヘロヘロになりながらも周りの声に感化される。誰も諦めていないどころか、周りにいる全員が「逆転して帰る」という気持ちでいる。そんな空気感が溢れかえっていた。 ここは浦和から約8600km離れた中東サウジアラビアの首都リヤ
2017年11月25日、ACL決勝2ndレグの日。 埼玉スタジアム2002で、私はただただ圧倒されていた。 「これから何度も埼スタに来ると思うけど、これ以上の試合はそうそう無いよ」 当時付き合っていた彼氏が言ったこの言葉の意味は当時は分からなかった。ACL決勝のこの日は、婚約した彼氏の家に引っ越し、生まれて初めて埼玉県民になった日だった。 私は浦和レッズ初心者で、「新生活が始まった日に、優勝なんて幸先が良い!」程度にしか考えていなかった。この優勝の価値がわかったのは、そ
0-1 最下位で勝点を何としてでも積み上げたい湘南と、優勝争いに喰らいつくために勝点3が欲しい浦和の対戦は、ホセカンテの芸術的なゴールで浦和がアウェイで貴重な3ポイントを得た。 この試合のチャンスシーンは両チーム合わせてもさほど多くはなかった。これは両チームが相手の良さを消したとも捉えることができると共に、良さを出せなかったと捉えることもできる。今回はなぜそういった試合になったのかまとめていく。 プレス時のタスクとトリガー湘南はプレス時には5-3-2からIHのプレスによっ
浦和のゲームがある日は、いつだって特別だ。 Jリーグの発足は1993年である。現在、44歳の私が中学生という多感な時期にそれは始まった。しかし、私は最初から浦和レッズを応援していたわけでもなければ、特段サッカーに思い入れのある中学生でもなかった。当時は、埼玉に住んでいたものの、開幕当初は、みんなが見ているからという理由で、取り敢えずヴェルディ川崎を応援していた。正直に言えば、その程度だった。 そんな中学生が赤く染まった理由は、母親が毎朝に流していたラジオの影響であることは
こんばんは。なみです。 前回のnoteについて予想以上に反響があって驚いています。 「あれ?浦和サポさんってもしかしていい人が多いってコト…?」とちいかわのような顔になりそうでしたが、ここで浮かれることなく地に足を付けて落ち着いていこうと思いました。 今回は名古屋戦とACLプレーオフについての観戦記です。 ・8/18 名古屋戦観戦記いや、慣れないな 移籍が決まってから浦和の試合日程を確認してまず思ったのは「平日開催が思っていたより多い」でした。 幸いにも家と職場どちらから