マガジンのカバー画像

浦和レッズ 記事まとめ

1,369
運営しているクリエイター

2023年1月の記事一覧

思いがけず、Sportsnavi(スポーツナビ)デビュー!

《連続1299日目!》 いやあ驚いた。 まさか自分の書いた記事がスポーツナビに載っているなんて。 こんなルートがあるとは知らなかったなあ。 少し前に、スマートニュースに自分の書いた記事が載っているという話を書いた。 そこでは、スマートニュースのアルゴリズムによって自分の記事をトップに載りやすいような見えるということも突き止めた。 まあでも、noteから他の媒体に自分の記事が広がって、読んでくれる人が増えるのは嬉しいことだったりする。 その後もコンスタントにスマートニ

レッズ少し隠れた名選手たち24「小池純輝」

数々の名選手達によりクラブの歴史が作られてきた。 ここでは、実力も実績もあるけど、歴代ベストイレブンにはなかなか名前が出てこない。そんな選手達を勝手に独断と偏見で紹介していきたい。 第24回は小池純輝選手 小池純輝(こいけ・じゅんき) 1987年5月11日 比企郡嵐山町出身 FW・MF 2006年〜2009年 公式戦 6試合0ゴール 背番号 32-18 前所属 浦和レッズユース 移籍先 草津(期限付き)〜水戸 「未来のエース」を予感させたストライカー 総評 180セ

1月29日(2014年) 思い出の427

 2014年1月29日、前年、21シーズン在籍した浦和レッズを契約満了になった山田暢久が、現役引退することを表明。クラブスタッフとなることが発表された。  トップの写真は現役最後となった2013年の最終節から。  静岡県藤枝市に生まれた暢久は、名門の藤枝東高校から1994年レッズ加入、その年の4月27日、静岡県草薙総合運動公園陸上競技場で行われたJリーグ1stステージ第12節の清水エスパルス戦で先発しプロデビューを果たした。  以来、2013シーズンまでにJ1リーグ501試

長崎の少年がキャスパー ・ ユンカーに出会った話

僕は地元・長崎にあるJリーグクラブ、V・ファーレン長崎を応援している。試合がある度にスタジアムに通っては、大好きなV・ファーレンの勝利を信じ一生懸命応援している。 大好きな選手は玉田圭司選手。元日本代表で、チーム内ではベテランの域ではあるが、技術は衰えておらず、そのボールタッチと華麗なゴールで僕たちを魅了している。 クラブはJ2リーグに所属しており、2017年以来のJ1リーグ昇格を目指している。2021年5月、当時チームを率いていた吉田監督が成績不振で解任され、アカデミー

1月27日(2004年) 「浦和のギド」第2章が開始 

 2004年1月27日、浦和レッズは新指導体制、ギド・ブッフバルト監督、ゲルト・エンゲルスコーチの就任記者会見を行った。  1994年の途中、FIFAワールドカップアメリカ大会でドイツが敗れたのが7月10日の準々決勝だった。  その9日後の19日には来日して加入記者会見(福岡ドーム)を行い、27日には公式戦(ナビスコカップ)に初出場する鉄人ぶりを発揮したギド。  それから3シーズン半、伝道師としてレッズにプロ精神を注入してくれた選手で、ファン・サポーターの支持は絶大だった。

1月28日(2021年) 三回忌に、あらためて感謝の意を 

 2021年1月28日。  僕はクラブのオフィシャルサイトに、1月25日に亡くなられた初代さいたま市長、相川宗一さんの追悼文を寄稿した。  そこにも書いたが、相川さんが浦和市長に初当選したのは、1991年4月の統一地方選挙だった。浦和市選出の県議会議員を三期務めてからの転身だった。  相川さんの県議初当選が1980年の補欠選挙だった。  全く関係ないが、僕が埼玉新聞社に就職し、浦和市民になったのがその翌年の1981年だった。  仕事で直接の関わりはなかったが、自分の住んで

Jリーグの開幕を告げるマスコット総選挙!浦和レッズのレディアがなぜか投票されない3つの理由

歴史的寒波に襲われて、冷凍庫の中みたいに冷え切った日本列島。 でも、その寒さを吹き飛ばすような熱い戦いが迫っている。 それが、Jリーグ開幕。 Jリーグの2023シーズンは、2月11日(土)国立競技場 で行われる「FUJIFILM SUPER CUP 2023」を皮切りに、翌週からリーグ戦が始まる。 その熱い開幕に合わせるように、もうひとつ各クラブチームの間で戦うものがある。それが、Jリーグ・J1・J2・J3マスコットによる『Jリーグマスコット総選挙2023』 各クラブのマ

1月25日(2007年) 10年ぶりの3年目が始まった

 2007年1月25日、浦和レッズはこのシーズンから就任する、ホルガー・オジェック監督の記者会見を行った。  レッズは2004年から指揮を執ったギド・ブッフバルト監督の下、3シーズンでステージ優勝1回、天皇杯優勝2回、Jリーグ優勝1回という、それまでにない成績を収めた。  それまでの3倍、6万人収容の埼玉スタジアムでホームゲームを行うことで飛躍的に伸びた入場料収入を財源として日本代表クラスの選手や大物外国籍選手を迎え入れたクラブ。その充実した戦力をうまく使いこなしたギド監督

1月23日(2000年) 日本サッカーを代表してアヤックスと試合した J2だけど 

 2000年1月23日。浦和レッズはオランダのアムステルダムに行き、アヤックスと親善試合を行った。日蘭交流400年記念事業の一環だった。 「いとむざん、くにを閉ざした家光さん」で有名な(最近はそうやって覚えないのか?)鎖国の完全成立が1639年。つまり、その前からヨーロッパ各国との交流はあったわけで、オランダが一番古いわけではないが、ポルトガルやスペインなど、カトリック系の国は日本にキリスト教を持ち込むからNGで、オランダはプロテスタント系だから日本での布教はしない。だから

1月22日(2010年) スギちゃんの指導者人生がスタート

 2010年1月22日、元浦和レッズの杉山弘一が、アルビレックス新潟シンガポールの監督に就任することが発表された。  杉山は大阪商業大学から1994年にレッズ加入。元々FWだった足の速さや突破力を買われて左サイドバックとしてルーキーイヤーからレギュラー出場し、「スギ」の相性で親しまれた。  1998年を最後にレッズを離れ、ヴェルディ、新潟でプレーして引退。2004年から浦和レッズ・ハートフル・クラブのコーチとして戻ってきていた。  関西なまりと親しみやすい表情は、お笑い芸

【Jリーグ移籍情報】1/19 【ヴィッセル神戸】新たなGKを獲得へ動き出した!【清水エスパルス】鈴木唯人がベルギークラブの選択⁉︎三笘薫が【JPFA 最優秀選手賞】

はい!
では早速気になるNEWS入ってきましたのでそちらいきましょう! なお移籍一覧は、動画の終盤にご紹介しております! (J1〜J3.JFLまで網羅しておりますので気になる方は動画を最後らへんまでスキップして見てください) 気になるNEWS①清水エスパルスの鈴木唯人をクラブブルッヘが獲得に関心と現地報道。 清水エスパルスのU-21日本代表MF鈴木唯人(21)の獲得を目指しているという。 鈴木は現在セルティックに移籍する噂があり、海外クラブからの注目も非常に高い! J

1月19日(2012年) 初めての3rdユニフォームがお目見え

 2012年1月19日、浦和レッズは恒例の新加入選手記者会見と新ユニフォーム発表会を行った。レッズが初めて3rdユニフォームを作った年だった。  新加入選手は、移籍のポポ、槙野智章とレッズユースから昇格の野崎雅也、矢島慎也の4人だった。前々日のミハイロ・ペトロヴィッチ監督就任会見に続いて、だんだんと新シーズンの陣容が固まっていく感じだった。  新ユニフォームの発表は、新加入選手会見の前に行われる。この年の目玉は何と言っても3rdユニ。3rdユニを持つ海外のクラブは少なくな

【Jリーグ移籍情報】1/18 【浦和レッズ】ファン必見!今シーズンはレッズがアツい!!ノルウェー人DF獲得成功&セルティックFWも獲得間近!今シーズンのスタメン予想も考えてみた!

はい!
では早速気になるNEWS入ってきましたのでそちらいきましょう! なお移籍一覧は、動画の終盤にご紹介しております! (J1〜J3.JFLまで網羅しておりますので気になる方は動画を最後らへんまでスキップして見てください) 気になるNEWS① 浦和レッズ公式 ノルウェー出身🇳🇴 27歳 移籍金1億6000万円、 年俸5000万円(推定)の4年契約4年契約は、彼の年齢からするとリスクもありますがそのメリットが彼に刺さったかもしれませんね。彼のプレースタイルですが、 デュ

1月18日(2011年) 戻ってきた「クレイジー・ハート」 

 2011年1月18日(火)、浦和レッズはゼリコ・ペトロヴィッチ監督の就任記者会見を行った。元選手が監督としてクラブに戻ってくるのは、ギド・ブッフバルト氏に続いて2人目だった。  2009年からの2シーズン、レッズはフォルカー・フィンケ監督によって、パスをつないでボールを保持し試合の主導権を握るサッカーを定着させた。一時は連勝で首位にも立ったが、暑い時期に運動量が続かず、相手に引いて守られたときの攻め手が少ないなど、勝てない時期もあるなど成績の変動が激しかった。  クラブ