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全財産が3,000円でも「とにかく作品をつくり続けたい」。ある漫画家が創作活動だけで生計をたてられるようになるまで

あの日の驚きと、喜びと、高ぶりを、したら領さんは今もはっきりと覚えている。

運命の日となる2020年3月29日――。

それは、受講していたコルクラボ漫画専科の最終日だった。

最後の講義を迎えるにあたり、したら領さんはnoteで発表していた『眠れないオオカミ』の1話から9話までをまとめてTwitterで告知した。

「#1眠れないオオカミ*」より

すると、スマホが壊れたかのように震え出すではないか。

「リツイート」や「いいね」の通知が止まらない――。

それまでも1話投稿するたびに、フォロワーが500人ほど増えていた。
自分自身と作品が少しずつ認められていくようで嬉しかったが、その比ではない。
5,000人程度だったフォロワーはみるみるうちに増え、その日のうちに6万人に達した。

「バズったのは初めてだったので、浮き足立ちました」

Yahoo!ニュースでも取り上げられ、インタビュー取材も受けた。

「人生が変わるんじゃないか。そんな予感がありましたね」

“孤独”をひとつのテーマに。


漫画雑誌で作品を発表して原稿料を受け取り、単行本を出して印税収入を得る。そんな従来の漫画家のビジネスモデルも、時代の変化に合わせて多様化している。

ウェブ媒体やクリエイター向けのプラットフォームで発表し、SNSで告知して読者を巻き込み、ファンを増やしていく、という風に。

雑誌のカラーや出版社の思惑に左右されることなく、作品の世界観を守りながら制作する。
「絵本まんが」というジャンルを切り開いているしたらさんも、そうした新しいクリエイター活動をする漫画家のひとりだ。

したら領さん

作家のエージェント会社であるコルクのサポートを受けながら、noteに自身の作品を次々と発表している。

2019年12月に連載をスタートさせた『眠れないオオカミ』は、過去に縛られたオオカミが荒野で動けなくなってしまう物語。好評のうちに2020年11月に完結した。

『眠れないオオカミ』が佳境を迎えた2020年8月からは、2作目となる『ティラノ部長』の連載を開始した。バブル期に入社し、若い頃は肉食恐竜のごとく激務に燃えた50代の男性社員・ティラノ部長の哀愁漂う日常を描く16コマ漫画である。

『ティラノ部長』は現在も続いているが、2021年10月には『はぐれ勇者』の連載も始めた。魔王を倒したと思ったら、仲間たちに裏切られ、魔王に転生させられてしまう元勇者の話だ。

いずれの作品も孤独がひとつのテーマとなっている。

運命の日に5万5000人を加えたツイッターのフォロワー数は、今では16万人を超えている。

『眠れないオオカミ』は上・中・下の全3巻として紙・電子の双方で発売されており、2021年10月には『ティラノ部長』の第1巻が紙・電子の両方で刊行された。

漫画家としてのキャリアを着実に築いていると言っていいだろう。

しかし、そんなしたらさんも、ほんの2年前までは世に出ることを夢見るクリエイターの卵にすぎなかった。

いい作品を作れる。ただその自信だけがあった


「父は絵の先生で、兄も今は現代美術のアーティストです。絵は子どもの頃から身近にあって、自分でも絵がうまいと思っていたんですけど、職業にするという考えはなかったですね」

そんなしたらさんが絵と深く関わるようになるのは、大学2年の頃のことだ。

美術部の友人と知り合ったことがきっかけで自らも入部し、内に秘めていた絵に対する情熱が沸き立っていく。

大学4年になっても就職活動はせず、美術室でひたすら油絵を描いた。

1年留年したのちに大学を卒業すると、今度は自宅にこもって絵本を描き始めた。

「純粋に自分が欲しいと思える作品がないなと思ったんです。そういう作品を自分が作りたいなって」

約1年後、フランス語圏の漫画であるバンド・デシネの影響を受け、絵本と漫画の中間である「絵本まんが」の着想を得た。
このジャンルで売れている作品は日本になく、自身の進むべき道が見えた気がした。

とはいえ、当時はお金もなく、仕事もなく、なんのあてもなかった。あったのは、絵を描く時間と……。

「根拠はないんですけど、いい作品が作れるという自信だけはありました」

『恋する宇宙船』より

朝からひたすら絵を描き続け、疲れたら外に出て、あてもなく歩く。木々の葉や光の反射の数に驚き、自然や風景に感じ入り、世界に触れるような感覚があった。

孤独や苦しさを抱えてはいたが、なんとも言えない解放感や多幸感もあった。

したらさんが世に出るのはまだ先の話だが、作品を生み出すための糧が少しずつ蓄積されていった。

出版社への持ち込み。チャンスは逃したが……


「今、振り返ると、甘ったれたやつだなって思います」

まだ何者でもなかった時代のことを、したらさんはこう振り返る。

20代後半になった2016年から2017年にかけて、1年だけの約束で実家に戻った。

「全財産が3,000円になったんです。それで1年だけ養ってくれって。この1年は絵に集中したい。それで結果が出なかったら、また働き始めようと思って」

その期限が終わりに近づいてきた頃、したらさんは腰を上げた。東京の出版社や作家のエージェント会社に作品を持ち込むことにしたのだ。

訪れたのは4社。そのうち2社から芳しい返事をもらい、先に興味を示してくれた1社とウェブ掲載の話が進んだ。

「笑っちゃうんですけど……」と前置きして、したらさんは言う。

「これでやっと気づかれるぞ、自分の存在が。そんな感じでしたね」

しかし、作家への道はそんなに甘いものではなかった。

地元の愛知に住んでいたしたらさんは、もっぱらメールで担当者とコミュニケーションを取った。
担当者が作品についてのアドバイスや修正の要望を送ってくる。したらさんはその対応に四苦八苦して、レスポンスが遅くなる。

そんなことを繰り返すうちに、担当者からの返信も次第に遅れるようになってきた。

「僕への関心が薄れてきているのを感じて、こちらから関係を絶ってしまいました。途中で逃げた感じです」

チャンスをみすみす逃したわけだから、ショックだったし、悲しかった。

だが、絶望の底に突き落とされた、というわけではなかった。

「ビジュアル面をすごく褒めてもらったんですよね。だから、俺の絵はいけるんだなって」

これまで自分の中にあった根拠のない自信に、根拠が生まれた。
世に出るときが、少しずつ近づいていた。

初の長期連載。運命の日を迎えるまで


実家を出て再スタートを切ったしたらさんの人生が大きく動き出すのは、2019年のことだ。

「カラーリングに行き詰まりを感じていた」ことからiPadを購入し、アナログからデジタルに切り替えた。

このiPad購入が、したらさんを思わぬ方向に導いていく。

デジタルに移行したことで、2012 年に開設しながらほとんど稼働させていなかったTwitterをイジるようになり、ある日、タイムラインで気になる告知を目にした。

コルクラボ漫画専科が受講生を募集――。

実は2年前、したらさんの作品に興味を示してくれた2社のうちのひとつがコルクだった。そのコルクがプロの漫画家を育成する学校を開講するという。

「これは面白そうだなって。それに漫画家の卵がたくさん集まってくるここだったら、自分の居場所みたいなものが作れるんじゃないかって」

コルクラボ漫画専科の受講を始めて2か月後となる2019年11月、『朝の散歩が気持ちよかったので』というエッセイ漫画をnoteに初投稿した。

noteで発表したのは、「なんとなくだった」という。

「ただ、多くの人に見てもらいたいっていう気持ちはずっとありました。noteは見た目や操作性がシンプルで、白が基調だから作品映えもしやすい。作品を載せるという意味では、すごく良かったなって」

短編を数本投稿したのち、12月から初の長期連載となる『眠れないオオカミ』をスタートさせた。noteで発表し、SNSで告知する、という作業を繰り返す。

少しずつではあるが、世の中に「したら領」の名前と作品が知られていった。

そして、連載開始から約3か月後、ついに運命の日を迎えるのだった。

作品を作ることでお金が生まれるサイクルを


「まあ、思っていたほど、人生は変わらなかったんですけどね」

したらさんはそう言って苦笑する。

「まとめて投稿したものには『いいね』が18万くらい付いてバズったんですけど、次の話は2万、その次の話が1万って、だんだん落ち着いていったんです」

しかし、確実に変化したことがある。

自身と作品の存在が認知され、投稿を心待ちにする読者が少なからず生まれた。

好評を得た『眠れないオオカミ』の単行本化も決まった。

それにともない、noteで無料公開していた作品を有料に切り替え、「まんが創作基地」と題した定期購読マガジンを始めた。

ファンが付いてくれたことでファンクラブも開設し、noteで会員を募った。

作品を作ることで、お金を生み出す――。

これは、したらさんが漫画家を志したときから、ずっと考えていたことだった。
 
現代美術家の兄もシェアアトリエを運営しており、作品制作とマネタイズの両立が簡単でないことは目の当たりにしていた。

生活を成り立たせるためにアルバイトなどの副業をすると、作品づくりの時間が削られてしまう。

20代の頃は実家の世話にもなったが、30代になるとそういうわけにもいかない。ましてやこの頃、したらさんには新しい恋人ができ、彼女と4歳になる子どもとの新しい生活を始めたばかりだった。

『三人ぐらし』より

「作品を作ることでお金が生まれたら、作品を作ることだけに時間を掛けられるじゃないですか。だから、そういうサイクルをずっと求めていたんです。とにかく作品をたくさん世に出したいっていう思いが強くて」

作品発表の場であるnoteを有料化し、有料のファンクラブを開設したことで、創作資金が生まれた。iPadを買い替えたり、静かな場所を求めて引っ越したり、より創作活動に集中できる環境を整えている。

原作をより魅力的にする「スピーカー」


『眠れないオオカミ』が佳境を迎えた頃に描き始めた『ティラノ部長』は、したらさんにとって新しい試みとなった。

原作者がいるのである。

その人物は、テレビの放送作家として知られる鈴木おさむさんだ。

「孤独がテーマだから、したらさんにマッチするんじゃないかと思って」とコルクから持ちかけられた、肝入り企画だった。

『ティラノ部長①*』より

もっとも、したらさんは当初、ピンと来なかった。

「主人公はサラリーマン。僕は会社勤めをしたことがないし、興味もない。それに、原作があることもちょっと嫌だなって。自由にできなさそうなので」

しかし、思いがけず『ティラノ部長』の制作にのめり込むようになる。

きっかけは第4話だった。ガラケーをバカにされたティラノ部長がスマホに買い換えようとするのだが、使い古したガラケーと自分自身が重なり、買い換えることができなかった――という内容だ。

「僕自身、数年前までガラケーだったから共感できるというか、なんかいいなと思って」

ストーリーもさることながら、鈴木さんの構成力にも唸らされた。

1コマ、1コマがしっかり書かれていて、そのままセリフや絵に置き換えられるのだ。

鈴木さんと仕事をともにする中で、したらさんはコルクラボ漫画専科で学んだことを実感していた。

「物語には型があって、基本的には7種類くらいしかない。その型の中で暴れるところに作家性が出るんだと。おさむさんの作った型の中で、僕の絵によって原作をより魅力的なものにする。拡声器みたいな、スピーカーみたいな役割なんだなって」

物語を“どう終わらせるか”。その試行錯誤には……


漫画が出来上がるまでには、プロット、ネーム、作画、ペン入れ、カラーリング……といった工程がある。

鈴木さんとの二人三脚によって、自身の得手・不得手が認識できた。

したらさんが得意とするのは作画やネーム。ネームとは、コマ割りやコマごとの構図、セリフ、キャラクターの配置などをラフにスケッチしたものだ。

一方、苦手とするのが、プロットや構成だった。

「まさに『眠れないオオカミ』は、構成で失敗していると感じていて……」

『眠れないオオカミ』の着想は、コルクラボ漫画専科に通い始めて3か月ほど経ったある晩、頭の中に降ってきたイメージだった。

夜の荒野に立つ1匹の孤独なオオカミ。

やがて金色の太陽が地平線から顔を出し、オオカミを照らす。

「#1眠れないオオカミ*」より

「物語を作るというより、家にこもって絵ばかり描いていた頃、外に出て触れた光の美しさを再現したいと思って描いたのが『眠れないオオカミ』の1話目で。そのオオカミが頭の中で勝手に動き、しゃべり出すことで連載になっていったんです」

つまり、プロットを事前に作っていたわけではなく、エンディングが定まっていたわけでもなかったのだ。

最終的には物語をどう終わらせるか悩みに悩んで、なんとか完結にこぎつけた。

「描き上げた瞬間、これでいける! と思ったんですけど、今は違ったなって感じますね。うまく終わらせられなかったなって」

オオカミと白いオオカミのラブロマンスはもっと短くすればよかったのかも……。

ハチとの友情物語にフォーカスしたほうが分かりやすかったな……。

13 白いオオカミ*」より

時間が経てば経つほど、さまざまな思いが浮かぶ。

「でも、あれがあのときの自分のベスト。自分の未熟さなので、しょうがない。これからはひらめきではなく、型を意識して描いていきたいと思っています」

漫画家人生はまだ始まったばかり。したらさんの試行錯誤は続く。

noteは、本棚。そしてファンとのコミュニケーションの場

したらさんは、噛み締めるように言う。

「noteはね、自分にとっては本棚のようなもの。『本棚を見に来てくださいね』っていうイメージなんです」

その本棚には、いくつかの短編と、『眠れないオオカミ』『ティラノ部長』『はぐれ勇者』といった長編が続々と飾られている。

だが、そこに並べられているのは、物語だけではない。

例えば、『三人ぐらし』というエッセイ風の漫画では、マイペースに自分の時間軸で生きている彼女と、エネルギッシュでひとり遊びが好きな男の子との生活を描いている。

あるいは、『ティラノ部長ができるまで』という投稿では、鈴木さんとのやり取りや創作過程を明かし、『新作思案中』という投稿では、文章とラフな絵によって新作の構想を公開している。

こうした投稿はバズる類のものではないから、新たな読者の開拓には直結しないかもしれない。

だが、ファンにとっては作家をより深く知れる貴重な機会となる。舞台裏や日常を覗くことで、作家への親しみが増す可能性は少なくない。

「自分にはまだ濃いファンの方が少ないので、僕の作品に興味を持ってくれている方に、より好きになってもらいたい。今はちょっと忙しくて、創作過程の公開はできていないんですけど、コツを掴めば30分でできるので、またやっていきたいと思っています」

そうそう、こんなこともありました――と、したらさんが笑顔を見せる。

「ガチャガチャで欲しいものが全然出なくて、同じものが3回連続出たっていう漫画をnoteに投稿したら、ファンの方が『このお金を使ってください』って漫画に課金してくれて。それでガチャガチャをしに行ったこともあります」

大人のガチャガチャ道*」より

本棚であるnoteは、作家とファンをつなぐコミュニケーションの場にもなっているのだ。

マンガ史に残る作品、作家を目指して


「死ぬまでにたくさんの作品を描きたいんですよね」

それはもちろん、たくさんの人に読んでもらいたいからだ。

したらさんが最も美しいと感じるのは、3巻から5巻くらいの長さのストーリー。

まさに『眠れないオオカミ』は全3巻だった。それくらいのボリュームの作品を1年にひとつ、世に送り出していく――。

それが、したらさんの目標だ。

最終話・前半」より

そのうえで、マンガ史に残る作品を残したいとも思っている。

「壮大な、ほぼ夢みたいな話ですけど」と苦笑しつつ、したらさんが挙げたのは『ねじ式』と『AKIRA』だった。

『ねじ式』はつげ義春の短編漫画で、日本の漫画界にとどまらず、多くの分野に影響を与えている。『AKIRA』は近未来都市を舞台にした大友克洋によるSF漫画。アニメ化はもちろん、長年にわたってアメリカでの映画制作が取り沙汰されている。

いずれも日本の漫画史、さらには文化史を語るうえで欠かせない作品だ。

それから……と言って、したらさんは続けた。

「作品で残るより、作家として残りたい。手塚治虫は手塚治虫であって、『火の鳥の人』とは言われないじゃないですか」

今は『オオカミの人』というのが世間の認識かもしれない。

でも、いつかは「したら領」として認知されたい。

壮大な夢へと続く漫画家のキャリアを一歩ずつ進んでいく。

noteという本棚に、作品を並べながら。

今までも、これからも。

したら領さん
マンガ家。1988年生まれ、愛知県出身。2020年、Twitterで自主連載を始めた「眠れないオオカミ」がSNS上で話題になり、書籍化やグッズ化、展示会開催に拡大。同作品で「cakesクリエイターコンテスト2020」を受賞。「ティラノ部長」連載中。
note:https://shitararyo.com/ 
Twitter:https://twitter.com/shitara_ryo 
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取材・文=飯尾篤史、撮影・編集=塩畑大輔、編集=戸田帆南

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