機会
彼女が駅前の道路脇で自転車のチェーンを直している姿を見た瞬間、驚くほど簡単に恋に落ちた。
時折首筋の汗を拭いながら手のひらを真っ黒に汚していく様子に、おれは釘付けだった。
彼女の前を横切る時、声をかけようか本気で迷った。
しかし、人通りの多い道でしゃがみ込む彼女に話しかける勇気も、外れたチェーンを手際良く戻す技術のどちらも持ち合わせていなかったおれは、何も見なかったように、せかせかと早足で通り過ぎた。
静かに肩を落としたおれを他所目に、1人の男性が声をかけた。
「手伝いましょうか」
「ありがとうございます。助かります」
そんなような会話が聞こえたが、振り返ることは決してしなかった。
おれは滴る汗も気にせず、歩くスピードをさらに早めた。
そして、浮かれていた自分を軽蔑し、同時に先程芽生えた特別な気持ちについて考えることをやめた。
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