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今日のまーし #46 音楽

近頃は音楽を聴きながら作業をしていることが多い。
前に言ったような”Voicy””Himaraya”も使っているが、”Spotify”というのも使っている。

日本の音楽はあまり聴かない。
別に興味が無いわけはない。
日本語で流れると、いちいちを頭がそれに反応してしまうのだ。

時間があるときにいろんな音楽を探しているが、せっかくだからコロンビアでの音楽も探している。
コロンビアの音楽はだいたいわかる。
ジャンルがわかりきっているからだ。
サルサ、バチャータ、メレンゲ、レゲトンだ。
これはダンスを踊る時の音楽だ。
ココではこれらを「コロンビア音楽」という名前でまとめておくことにする。

ここの人は本当にダンスが好きだ。
でも、流れているのはダンスの時だけじゃない。
常に流れている。
町に出かけても大音量で流れている。
家の前でも車の中から爆音を流して通って行く。
バスの中でもカラオケみたいに歌を披露して、お金をもらっている人だっている。
スーパーのBGMとしても流れている。
ほんとに根っからのカリの人は、男女関係なくこのスーパーのBGMでもステップを踏んだり、腰を振っているのだ。
教習所の教官もボクがビクビクしながら運転しているのをよそに、ラジオから流れるサルサの音楽に足でステップを踏んでいた。
それぐらいサルサを中心としたコロンビア音楽はみんなのソウルミュージックとして心に馴染んでいるということだろう。

ボクたちは日本の曲だからは言っても昭和にはやったような音楽を好んで聞くことはない。
コロンビアの若者はというと・・・・・関係なくコロンビア音楽を聞いている。
ボクよりも若い男の子や女の子がそんな古めかしい音楽を好んで聴いているのだ。
この町はずっと変わらず今に至っただろうし、これからもずっとそうなのだろう。
これが真の伝統だと思う。

ステップを踏む、とまではいかないが、自分の中で「特定の音楽を聴けば、ある特定の思い出が蘇ってくる」という現象がある。
みんなもそういうのが1曲や2曲あるかもしれない。
付き合ってた彼氏がこればっかり聞いていた、とか、通学時間の電車の中ではその曲を必ず流していた、とか、いい思い出として残る場合もあるし、そうでない場合だってある。
だから、「思い出が蘇ってくる」という表現することもあるだろうし、場合によっては、「フラッシュバックしてしまう」という形もあるだろう。

もちろんボクにもそういう音楽がある。
高校の時、学生寮に住んでいた。
一年生には、伝統として、「規律訓練」なるものがあった
大声で挨拶や返事の練習、きれいな列に並んで行進の練習をするのだ。
目的は、やんわり言えば、「統率をとるための研修」だ。
詳しくいえばいろいろ語弊を生んでしまいそうなので敢えて言わない。

今の高校生から見れば、「軍隊」とか「自衛隊みたいだ」なんて言われるのだろう。
そして、たぶん今ではやっちゃいけないことだろう。
この始めの一週間、オトナになるために人間的にもまれるわけだが、何も知らされていない15歳の少年たちにとっては大きなカルチャーショックになるのである。
そして来る日も来る日も「規律訓練」の毎日が繰り返されるのだ。

そんな中、寮には毎朝有線放送が鳴っていた。
コンビニで流れているような音楽だ。
その月の人気音楽が流されていた。
これは毎月更新放送らしく、その月は同じ曲がローテーションで流れてくる。
その時は「ただの音楽」だが、数ヶ月後、これを何気なく聞くと、憂鬱感が心を襲ってくるのだ。

例えばボク達はSuperflyの「ハローハロー」
「憂鬱を吹き飛ばす言葉はハロー」で始まる歌詞が、見事にボク達を憂鬱に誘ってくれる。
一つ上の先輩は湘南の風の「純恋歌」
二つ上の先輩はスキマスイッチの「全力少年」
なんだそうだ。
とにかく、身体や心が反応してしまう。
気持ちがざわつくというか、軽いトラウマみたいなものだ。
人間の身体っておもしろいよね~。

ボクは「思い出」としての音楽があるが、彼らにとっては「人生」としての音楽があるのだろう。
今日も読んで下さってありがとうございます。
コロンビア人が日本に住んだら、ダンスがなくて退屈らしい。
ボク達でいえば、ヘビーなカラオケ好きと一緒だろうか。

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