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2019/10/19 全編ロシア手話の『三人姉妹』(レッドトーチ・シアター来日)

「声を出さなくても意思疎通できるなんて」という理由から、手話に漠然とした憧れがあった。もちろん「日々の生活のため」に手話がある人がいる中で、こんな考え方が良いのかは分からない。けれど、どこか羨ましくて、Eテレの講座を見ていたりもした(あえなく挫折した)。

そんな中観たのが『三人姉妹』(レッドトーチ・シアター来日)。全編ロシア手話(日本語・英語字幕)で演じられるカンパニーで、役者は2年間かけて手話を学んだらしい。

よく考えれば当たり前なのだが、手話では「相手の視界」に入らなければ、コミュニケーションをとれない。そのことによって、立ち位置のとり方や動き方、言葉を交わすきっかけの立ち上がり方が、一般的な発話する舞台と大きく異なっていた。肩をたたき、かなり近距離で、目を見ながらの会話が自然と多くなる。

1幕は生活音の鳴り響き方に慣れるのと、人物と部屋の把握だけで、あっという間に終わってしまった気がする。

3幕の火事後の場面。停電と復帰が繰り返されるのだが、停電中は懐中電灯(スマホの明かり?)の中で、登場人物の葛藤が吐露される。ほぼ真っ暗な中でそれぞれの言葉が浮き上がっている様子の迫力は凄まじいものだった。

そして4幕。3幕まであった部屋の大道具が全て取り払われて、広い空間が現れる。(おかげで、手話を用いた「全身での会話」が最も良く見えた。)軍人たちとの別れ、ヴェルシーニンとの別れ、帰ってこないトゥーゼンバッハ、そこに流れる快活な軍楽曲。不条理で悲痛で、だけど開放感に満ち溢れた最後の姉妹たちに、なぜか私は泣いてしまった。人生うまくいかない。つらい。それでも明日からもまた生きなきゃいけない。

残念だったのは、(恐らく)想定される劇場の形がプレイハウスと異なること。囲み舞台で上から見下ろせたら...と思ってしまった。なかなか奥の部屋のやり取りが見えない。まして手元で言葉を表現するこの演出なので、とっても残念だった。

あとは、複数箇所で言葉が交わされている時に、どこが字幕として出ているのか、ついていくのが少々大変だった。で、そもそもあの字幕って誰が作っているんだろう。時々日本語の意味が分からず、隣の英語字幕を見ていた。

全編手話といいつつ、聴者のための演出だったと思う。音の演出効果が大きい(少なくとも私は音の効果を強く受けた)ので、聾者が観た時に聴者と同じだけのインパクトを受容できないように思われた。とはいえ、もし聾者で観劇された方がいるのなら、感想が気になる。そもそもあの音たち、どこまで聞こえているものなのだろうか。重低音や振動を把握できたりとかはするのだと思うし、ある程度効果を享受できるようになっていたのだろうか。


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