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糸と人生の布。

私は刺繍の一つかもしれない。


誰かの人生が一本の糸ならば、

私はその人達が誰かと織りなす布のうちの

小さな小さな刺繍の一つ。



中島みゆきさんの名曲、糸。

私はこの曲を聞いてこう思ったの。


一本の糸が、沢山の繊維を紡績してできているように

誰かが一枚の人生を織っているうちに

ほつれたり、絡まったりして飛び出した短い繊維が

誰かの布に施される刺繍のための糸になっているのかもって。


それが案外良くて、横の糸に使う糸として選ぶようになる。

自分の人生を織りながら、心に決めた誰かと一緒に織るの。

誰かとお互いの糸を半分ずつ共有したりしながら。


「縦の糸はあなた 横の糸はわたし」


だからきっと、母の横の糸は父の糸なんだと思う。


私は母の糸と父の糸の一部が紡績してできた糸、

母と父のそれぞれの布からできた糸なの。


そして私も人生を織っていく。

私自身は、自分の人生の縦の糸だとわかるけれど、

誰の横の糸なのかは出会ってみないとわからない。

私の糸もいろんな人に使ってみてもらわないとね。

もちろん私も自分の横の糸を探しながらね。


それで、ふと思ったの。


生きていく中で沢山人と出会っていくけれど、

その人達と私の縁が、数年、数日、数時間の縁だったとしても

交わった糸が何かしらを織りなすのだとしたら、

私はあなたの人生の布の小さな刺繍かもしれない。


だって、出会った人全員の横の糸にはならないし

なれないでしょう?


私の糸が気に入ってもらえるともかぎらないし。


なんなら刺繍なんて存在ではなく、

ただ一筋の色、くらいなのかもしれないし。




考えているうちにこうも思った。


私達がそれぞれ人生を織っているのだとしたら

すでに織られている布は記憶。思い出。


布を見返した時、色や模様が過去を語る。


目指した人生のイメージやデザインをもとに

経験や知識、そして人とのかかわりが表れた布が出来上がっていく。


そうやって考えると、すごく感慨深いよね。


糸は数えきれないほどの種類で、色や太さや質があって、

その時その時に選ぶ糸は、

偶然の時も必然の時もあるからこそ

出来上がる人生もおんなじ物なんて一つもない。


そしてまたその糸や布の一部が誰かの糸のなる。


広いようで狭くて

小さいようで大きな世界の中で

私達は出会っていく。


少しずつ色付きながら、

たまには汚れたり、絡まったり、

布を織る手を休めながら。


皆さんはどんな糸だろう。

どんな人生を織っているのだろう。

素敵な布が出来上がりますように。



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