湖にフォークを刺したのは誰だ ヴェヴェイ,スイス
ここはスイスのヴェヴェイ。
国際連盟の本部があるジュネーブから、電車で1時間ほどで来ることができる。
ヴェヴェイはレマン湖のほとりにある町で、美しい街並みと自然豊かな景観が魅力。
そんなヴェヴェイの湖岸には、1本のフォークが刺さっている。
湖にフォークを刺したのは、ネスレである。
ネスレは世界最大の消費財メーカーだ。ネスカフェやキットカットなど、日本人にも馴染み深い商品を作っている会社。
なぜこんなところにフォークを刺したのか分からない。(調べたら分かりそう。)
このフォークの近くには、ネスレが建てた食の博物館がある。
ネスレが持つこれまでの歴史であったり、ネスレの食に対する考え方だったりを知ることができる博物館。
キットカットは受験期応援キャンペーンみたいなやつで流行った。
KitKatという言葉を「きっと勝とう」「きっと勝つ」みたいな感じで。
僕も大学受験のときにキットカットをもらったことがある。
その人は「受験に勝てよ」って意味で渡してくれたんだと思う。
「勝とう」という言葉の前に「きっと」が入っているのがなんかエモい。
負けることもあるかもしれないというニュアンスも含めながら、それでもきっと最後は良くなるよって伝えているような感じが。
絶対勝てるとか、無責任な言葉ではない。
伝える側は無責任な発言をせずに、受け手を勇気づけることができる。
もし「KitKat」が「ZetaiKat」とかだったら、たぶん売れてないだろう。
「きっと勝とう」という言葉は、18歳の僕に刺さった。
その3年後、21歳のときに僕はネスレの面接を受けた。
そのときは本気でネスレに入りたくて、面接本番までの3週間は毎日何を話すか考えていた。
どういう言葉を選んで話したら、面接官に響くのかずっと考えていた。
その結果、面接は落ちた。
準備した言葉は面接官に刺さらなかった。
全力で刺しに行ったのに、僕のフォークが刺さることはなかった。
逆に刺しすぎて心臓を貫通させてしまったのかもしれない。わからない。
刺しにいった話は、だいたい刺さらない。
刺すつもりなかったのに、なぜか刺さる話もある。
気づいたら刺さっていたときもある。
刺したくないのに、刺しちゃったときもある。
刺しすぎた日もある。
もう刺すところがなくなったこともある。
刺し方が分からないときもある。
ハンバーグを刺したときの感触はわかる。
フォアグラを刺したときの感触はまだ知らない。
相手の心に刺さるように話すのは難しい。
そもそも刺しにいっている時点で、刺さらないのではないか。
「刺す」と「刺さる」は能動か受動の違いがある。
能動的に刺したところで、それを刺さると表現するのは変。
「私がハンバーグにフォークを刺した」という様子を表現したいときに、「ハンバーグにフォークが刺さりました。」と表現したら、視点が変わってくる。
でも、世の中には意図して相手の心に言葉を刺しにいって、それを「刺さる」という受動の状態に持っていける人がいる。
刺しにいって刺せるようになるには、ハンバーグの気持ちを理解しないといけない。
ハンバーーーーーーーグ!
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