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正しく絶望するポイント

こんにちは、確かshota名義で活動している者だったかと思います。絶望しすぎて記憶に異常が見られているような気配があります。

さて、寝て起きて、再び現状に大きく絶望したので、昨日の続きとなりそうな部分を書き残していこうと思います。

※この記事は果てしなくネガティブな内容を伴います。気分に振れ幅のある方はここでブラウザバックすることを推奨します。脅しとかではなく、マジです。読んで何も思わなくても、多分後々効いてきます。気分を落として仕事やプライベートに支障をきたしたくない方は、本当にここまでにしてください。それくらいエネルギーのある言葉を使うので。


正しく絶望する、とは


辞書で「絶望」の意味を調べると、

絶望(ぜつぼう)とは、希望のない様子を指す

出典 - Wikipedia

とありました。そう。希望がない状態。先が見えなくなった時の状態を「絶望」と表現する。僕は今まさにそんな状態。先が見えなくなりました。

枕詞の「正しく」とは何か。

正しい(ただしい)とは、道理や法にかなって、誤りがない(行い)。きちんとしている。整っている(姿勢)。

出典 - Google検索

きちんと整っている、とあります。これは僕のイメージとちょっと違いましたが、中二的な感性で話すと「闇堕ちせずに絶望する」です。

正しく絶望する、というのは、絶望した際の負のエネルギーを持って誰かを恨んで貶めようとするのではなく、絶望を自分の成長のために使う、自分を高めるために使う。ということです。「自分を高める」と聞くとスピリチュアル的に感じる人もいると思いますが、それはそれで良いでしょう。僕が生きたい世界の人ではないようです。

正しく絶望したい理由


僕は人と生活したい。助け合ったりみたいな感覚はまだ弱いですが、自分ができる力を使って周りの人に何かしたい。という気持ちが、心の中にあるような、ないような気がします。そしてその心を育てたい。

実際、今の僕の周りには人が居なくなりました。実際には居なくなっていませんが、それを感じるほどに、絶望しています。根源の僕は、正直それでも良いと思う部分があります。いなくなるなら、また新しく作れば良い。人はいくらでもいる。と、なんだかんだ思ってしまっている部分がある。でもその自分に、とてつもない違和感というか、嫌悪感というか、認めたくない気持ちもあります。

これが正しく絶望したい理由。本当は道に迷ってる人が居たら、道を教えてあげたいし、お腹が空いている人がいたら、自分の食べ物を分けたい。力がなくて持ち上げられないものがある人がいたら、代わりに持って手助けしたい。そう思っているのに、実際に僕はそれらを全てスルーします。なぜか。周りの人を気にしているから。

「あいつ手伝ってるよw」「偽善者ぶんなよw」「ほっときゃ他の人がやるでしょw」「カッコつけてんの?w」「見返り求めてんじゃねw」「周りによく思われたいの?w」

などのような言葉が瞬時に脳を駆け巡り、結局は何もせずにその場を通り過ぎる。自分にできるのにやらない。どうやらそれがとんでもなく悔しいらしいのです。

先が見えないからこその絶望


絶望絶望言ってますが、僕はもう、未来に希望がありません。何をすれば、僕が求める存在になれるのか。全く分かりません。29年間育ててしまったこの自我を手放す方法を知りません。

ただ、絶望を下さった方々に、現実を教えていただきました。向き合う方法を教えていただきました。なので、先は見えないけど、この絶望を元に、正しく現実を見て、それと向き合う時間を、向き合う意思を、作る以外に方法はないんだなと思います。

とはいえです。何それ。って感じです。どうすれば良いんだろうか。何をすれば良いんだろうか。先が見えない状態で、何かをするなんて意味がわからない。とりあえずそれをやれば先が見えるのか?解決するのか?先に進めるのか?

深い深い井戸の底に落ち、登り切れば良いだけだよ。と言われても、上り方がわからない。登ってみたけど、登れる気配がない。まだ昼間のように天井から光が差せば良い。でもそれが夜なら。月明かりもない。星の光もない。全てが真っ暗。何も見えない。何も分からない。

僕は今、そんな状況にいるレベルで絶望しています。

絶望から希望を見出すヒント


果てしなく絶望し、先が見えない。希望が見出せない状況ですが、すがるものをいただきました。一つは自分の欠点。後ほどリスト化しますが、それはそれはすごい量です。二つ目はマッサージ器具。スピリチュアル要素を感じる可能性があるので、こちらも後ほど詳しく書きます。そして三つ目が元素番号1の元素。さて、順番に書き残しておこうかな。

自分の欠点とひたすら向き合う

まず、僕の絶望ポイントは自分の性格です。指摘していただいたポイントが下記。

・すぐに保身に走る、自分を守ろうとし過ぎる
・他人依存、自分以外の人に依存しすぎる
・他力本願、自分以外の力を頼りにしすぎる
・逃げ癖、なんでもすぐに逃げ出しすぎる
・懐疑的、なんでも疑いすぎる
・恐怖心、怖い気持ちが強すぎる
・自分に興味がない、健康のためなのにやらない
・他人に興味がない、上部だけで付き合っている
・ネガティブ、考え方が暗すぎる
・発言に責任がない、適当に喋りすぎ
・欲求に忠実、欲に負け過ぎている
・世間が狭い、活動範囲、交際範囲が狭すぎる
・既存のルーティンを壊せない、自分で作ったものへの依存度
・先行投資ができない、先を見据えた行動ができない

書きながらちょっとデトックス出来たかなと思ってリストアップしてみましたが、改めてみて再び絶望しました。どうしようもない人間なのかもしれない僕は…  これらを指摘していただいて、でもどれがそれに当たるのか、やはりピンと来ないんです。

いや、想像はできます。こう言うことかな?とかって。でもそれが、自分の経験に伴っていないと言うか。振り返ってそうだっただけで、この行為自体は解決から程遠いのかもしれない。

ただ、僕はこれらと向き合う方法を教えていただきました。

マッサージ器具を使って、自分の痛みと向き合う

僕はまだ、本質までは理解できていません。なぜこれを使うのか、自分の足でたどり着いた訳ではないので、これを使ってどうして良くなるのかは、正直分かりません。でも、これ以外にすがるものがもうない。だからがむしゃらにやってみる。

これ、と言うのは、とあるマッサージ器具でして。すんごい尖った足ツボ用の山が二つあり、それを体に押し当てる、と言うもの。何がどう効くのかは曖昧な記憶です。身体には筋膜という膜が全身を覆っていて、それらは感情によって身体に力が入った時にコリを作る。そのコリが筋膜の硬さにつながり、それが積み重なることで性格が捻じ曲がっていく。と。

そのコリをマッサージ器具で押し当てる。当て続けると、そのコリが生まれた原因の記憶が蘇ってくる。その記憶をただ俯瞰してみる。そうやって消していく。んだそうです。

僕はまだ初学者なので、まだこの体験をしたことが…ない、とは言い切れないけど「これか!」という感覚は掴めていません。このマッサージ器具を貸し出して下さっているお店で、二月に1度施術を受けていまして、その後の反応の違いだけはなんとなく感じています。押してもらってめちゃくちゃスッキリして気持ちの良い日もあれば、疲れ切って一度寝て、そこからネガティブな感情がブワッと溢れてくる、なんて時もありました。

貸し出していただいてるマッサージ器具は彼女のものなので、次に伺う際に自分用のものをレンタルする予定です。そこでひたすら当ててみて、自分の負のエネルギーを掴み、手放していく。そういう訓練をさせてくれるのが、このマッサージ器具。

元素記号の1、水素で向き合う効率を上げる

こちらもまだ初学者なので、実際の効き目みたいなところはよくわかっていません。身体の効き目を残す前に、前提知識を入れておかないといけません。

勉強した限りだと、水素は地球上で最も多く存在する元素で、地球にも大量に存在しています。ただ、水素は水素だけ存在するのが難しいらしく。基本的には酸素と結合して水になったりしています。水に電気を流すことで水素と酸素へ分解できて、それを吸引と言う形で体の中に取り込むこともできます。

この水素が身体に非常に重要な元素のようで、身体は細胞でできていて、そのうちの大半は赤血球が占めています。赤血球のエネルギー源はブドウ糖と電子で、水素は電子を含んでいます。また、水素は地球上でもっとも軽い気体らしく、効率良く赤血球に辿り着き、そのエネルギーとなるようです。

つまりは、水素を意図的に取り入れることで身体の状態を良くできる。という話のようです。(めちゃくちゃざっくりまとめました)
実際に水素を使って余命1年未満から、数年生きている、と言う方もいらっしゃるようです。実際にお会いしましたが、マジでピンピンしてました。そんなまさか〜などとは言えないくらいに、とてつもなく元気でした。

絶望は感情、感情は身体に痛みとして蓄積される


さて、今後のことを整理していたらだいぶ頭の中が落ち着いてきました。ただ、まだ絶望し足りなさも感じています。が、今できることをやるに越したことはありません。

僕が今後自分と向き合うためにやることは、定期的に水素を吸って身体を健康な状態へ持っていきつつ、マッサージ器具を当ててコリを見つけ、感情と向き合う。その中で指摘いただいた欠点となる部分を見つめて、俯瞰して消していく。それをひたすら続ける。

言うは易く行うは難し、口で言うのは簡単だけど、それを実行するのがめちゃくちゃ難しい。でも、29年間の堕落しきった自分のコリを解放していく手段をしらないので、がむしゃらにやってみるしかない。もう何もない。やるしかない。そんな状況となりました。

ですが、正直まだ絶望が足りていないように思います。こんな簡単に、自分の感情を吐き出した程度で、今後やることを書き出した程度で和らぐ絶望は絶望じゃない。まだ手放せないものがある。それも上記をやりながら見つけていかなければなりません。メンタル落ち着けてる場合じゃない。やらなくちゃ。治さなきゃ。

というわけで以上となります。ここまで良く読んでくださいました。多分あともう1〜2記事くらいは絶望の記事を書きます。絶望、とかいってちょっと軽めにして消化しようとしてる気もしますね。っていう自分も、なくせれば良いな。それではね。

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