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#② the diary | しろくま商社


#11 the diary | 僕の日常

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ラジオがパソコンで聞ける喜びを抱き、僕は今日も前に進む。

今日は出勤日。いつも通り荻窪始発の丸の内線に乗り、職場へと向かう。障がい者雇用で採用されたのが今年の3月21日。それから随分と時が過ぎた。昨日は友人と渋谷で銭湯。中々に良い湯であった。こういう日があっても良いのかもしれない。その後ゴーゴーカレーで1日5食限定のカレーを頼む。馬鹿である。結局完食できなかった。悔しい。まだまだ大食いの道は開いている。ジムに通わねば。エアロバイクを漕がねば。やることたくさん。うれしい。


#12 the diary | 僕とラジオ

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radiko。素晴らしいメディアコンテンツだと思う。

通信ありきの毎日。辛い日々。でも頑張る。ラジオがあるから。YouTubeがあるから。音楽があるから。理由は何でも良い。ただ生きて。ただもがいて。ただあがく。そんな毎日。たとえ日々の進歩が些細なものであったとしても。それでも良い。それでも僕は前に進む。


#13 the diary | 人生

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波乱万丈な人生である。同時に、僕は心が弱い。そんな僕の短所が存分に表れた1日であった。人は誰しも平等である。僕はそう思う。僕は案外恵まれているのかもしれない。恵まれていないのかもしれない。今日はもしかしたら人生のターニングポイントになる1日なのかもしれない。カフェイン中毒。エナジードリンクは恐ろしい。

障がい者雇用で働き始めて、数か月が過ぎた。順調だろうか。今日は特に気分が揺さぶられた1日であった。きっとそれは彼も同じなのだろう。彼に悪いことをしたのだろうか。きっと悪いことをしたのだろう。彼に罪は無いのか。罪はある。僕はそう思う。彼はそのように思っていないのかもしれない。会話はトラブルの元である。人間関係とは、なぜここまで複雑なのだろうか。僕が健常者であれば、このような悩みから解放されたのだろうか。そうかもしれない。しかし時は戻らない。後戻りは出来ない。前に進む。僕に出来ることはそれだけなのである。もう修復は不可能かもしれない。それでも上を向こう。


#14 the diary | 金銭管理

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人生と金銭は密接に関わっている。こうして今も、金銭は失われていく。それは自明の理である。昔の僕は優秀だった。幸せだった。今は違う。苦手なことが多い。人付き合いも悪い。それでも僕は生きている。生きていかなくちゃいけないのだ。


#15 the diary | 変化

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この変化は吉兆なのだろうか。休憩に対する苦手意識が消えつつある。読書に対する苦手意識も消えつつある。なぜなのか。何かしらその背後には理由が潜んでいるのだろうか。


#16 the diary | 新年

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1月が終わる。新年。様々な出来事があった。妹と連絡を取った。どうやら沖縄にいるらしい。曰く、幸せらしい。それはとても良いことだ。幸せとは。幸せの価値観は人それぞれ。私は幸せになりたい。

幸せになるためには。どうしたら良いのだろう。ただ待っているだけでは。きっと幸せを掴むことは出来ない。チャンスは一瞬。ゆえに。準備を怠らないこと。それが全てである。それが世の理である。


#17 the diary | 友情

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いつだって、始まりは単純だ。それでも。私は前を向かなければいけない。たとえ、その道のりが困難だとしても。たとえ、その道のりしか、道が無いとしても。

私の青春時代。他者と比べて、どうだったのか。分からない。世の中、分からないことだらけ。私は成長出来ているのだろうか。非難されてばかりの人生。とても、恵まれた人生とは言えない。そんな私にとって、野球は救いである。野球をしていると、嫌なことを忘れることが出来る。野球をしていると、喜びを感じることが出来る。高校野球はハードである。万人におすすめできる競技では無い。危険も存在する。それでも。高校球児は、その一瞬に魂を込める。一球入魂。その言葉を胸に、私は今日も過酷な練習に励む。

たとえ我が道が困難に満ち溢れていようとも。たとえ我が人生が苦難に満ち溢れていても。生きてさえいれば。それだけで良い。今はそれだけで良いのである。多くの出逢いを、多くの経験を経て、人は成長していく。失敗を恐れてはいけない。失敗の数だけ成功がある。そう信じてみよう。物事はいつだってシンプル。自身を信じること。それしか道は無い。限りある人生。時間は平等。どう使うかは私次第。ゆえに。私は研鑽を積むのである。

人は涙するかもしれない。私は、他者から見て、過酷な人生を歩んでいるのかもしれない。それでも。生きているのであれば。最善を尽くしてみよう。それでも駄目なら。親を恨めば良い。環境を呪えば良い。その時は呪霊となろう。案外、そんな人生も悪くないのかもしれない。

この坂道を、私はあと何回登れば良いのだろう。私はあと何回、坂道ダッシュをする前に一発ギャグを披露しなければならないのだろう。野球はチームスポーツ。ゆえに。衝突など日常茶飯事。それでも。苦しみの先に栄光があるのだと信じて。私たちは走り続ける。バットを振り続ける。

物事は連続している。アボリジニーアートがそうであるように。私たちは絶えず、点を打ち続ける。きっと、いつか、その点が線となることを信じて。

他者からは理解されないのかもしれない。それでも。私たちは絶えず、努力するのである。私たちは、何かしらの代償を支払いながら、生きている。何かを掴むためには、何かを犠牲にしなければいけない。恋人。時間。青春。何を代償として支払うのか。その選択は個々によって異なる。しかしながら。私たちは走り続ける。それは愚かな行為なのかもしれない。それは馬鹿げた夢なのかもしれない。それでも。積み重ねことが正義だと信じて、私たちは進み続ける。


#18 the diary | バッティングセンター

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朝に目を覚ます。冷たい。寒い。そんな感情が湧く。何かが足りない。そんな予感。それでも。貧しいゆえに、今のままで耐えるしかない。思えば耐えてばかりの人生。失ってばかりの人生。それでも。まだ諦めたくない。僕の人生。自由に生きたい。それだけ。時刻は8時10分。目覚まし時計のチャイムと共に、僕は起き上がる。コーヒーは飲めない。という最近、カフェイン中毒で悩んでいる。むむむ。苦難ばかりの人生である。

たとえ我が道が困難に満ち溢れていようとも。たとえ我が人生が苦難に満ち溢れていても。生きてさえいれば。それだけで良い。今はそれだけで良いのである。多くの出逢いを、多くの経験を経て、人は成長していく。失敗を恐れてはいけない。失敗の数だけ成功がある。そう信じてみよう。物事はいつだってシンプル。自身を信じること。それしか道は無い。限りある人生。時間は平等。どう使うかは私次第。ゆえに。私は研鑽を積むのである。

人は涙するかもしれない。私は、他者から見て、過酷な人生を歩んでいるのかもしれない。それでも。生きているのであれば。最善を尽くしてみよう。それでも駄目なら。親を恨めば良い。環境を呪えば良い。その時は呪霊となろう。案外、そんな人生も悪くないのかもしれない。


#19 the diary | 黄金の日々

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その日々よ永遠に。

僕は何の為に生まれてきたのだろうか。僕は何の為に生きているのだろうか。僕は何の為に呼吸しているのだろうか。僕は誰の為に生きているのだろうか。

順調だった僕の人生は地に落ちた。地に落とされた。それでも、僕は生きている。それでも。苦しい。息が詰まる。そんな日々。クラスではペテン師を演じている。そんな日々。誰も頼れない。僕はこの秘密を墓場まで持っていく必要がある。そう思っていた。僕は最善の道を進んでいるのだと。僕は正しいのだと。これで良いのだと。

♦♦♦

チャイムの音が鳴り響く。どうやらテストが終わったみたいだ。

小林:はぁ~、やっと終わったぜ!カラオケ行こうぜ!
藤田:悪い、今日は筋トレの日なんだ。
小林:脳筋かよ(笑)たまには息抜きも大事だぜ?
藤田:あんまり金が無くて...。悪いな、いつも。ありがとう。
小林:おうよ。でもお前の歌はある意味お経と同等やからな。いつか来るその日を楽しみにしているよ。
藤田:おう。じゃあまた明日。

段々と人が帰路につく。小林はどうやらダッシュでバス停に向かっている。まったく、あいつは自由奔放である。しかしながら、同時に気配りもできる。ああいう奴に出会えたことを、感謝しなければ。僕の数少ない友達。そんな彼にも、僕は自身の秘密を明かしていない。

頭の中で様々な思いが湧く。僕はこのままで良いのか。僕は幸せになっても良いのか。僕は生きてて良いのか。家庭はめちゃくちゃ。正直、お先真っ暗である。気分転換など出来るはずがない。そんな日々。辛い。誰かに助けを求めれば、この問題は解決するのだろうか。思考は伝搬する。そんなことをしたら、人はどんどん僕から離れていくのではないのか。そんな思いを胸に抱えている。

気持ちとは、伝染するものである。それがポジティブなものであれ、ネガティブなものであり、思考は伝搬する。私たちはそのような生き物なのである。「類は友を呼ぶ」という言葉がある。その通りなのかもしれない。捉え方は無限大。たとえ同じ経験をしていたとしても、人によって感じ方は違う。それが個性なのだから。受け入れるしかないのである。

迷ってばかりの人生。それでも。きっと私は日々成長している。私は学生である。しかしながら。学生としての人生はまもなく終わる。終わるのだ。文字通り。不安はある。それでも。たとえ日々後退するとしても。それでも。私はあがく。まだ見ぬ輝かしい未来を信じて。たとえ私の進む道がバラに満ち溢れているとしても。たとえ誰からも見向きされない人生になろうとも。少なくとも。私は私の人生を観察しているのだから。


#20 the diary | 言葉と選択

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今の自分を大切に。その言葉を胸に、僕は今日も生きている。

あれからどれだけの年月が過ぎたのだろう。あれからどれだけの仲間を失ったのだろう。障がい者として働き始めて半年。得たものもある。しかしながら、失ったものが大きすぎる。少しは取り戻すことが出来ているのだろうか。少しは笑えているのだろうか。父親に対する殺意は薄れてきているのだろうか。被害者なのに。加害者は平然と生きている。

祖母が亡くなった。悲しいか?悲しくない。父親は泣いていた。自分勝手。子供には興味を示さない。育児放棄。そんな父親。僕は所属する家庭を間違えたのかもしれない。もしも違う家庭に所属していたら、少しは幸せを感じられたのだろうか。少しは今の自分に満足出来たのだろうか。

自分の尺度で生きる。なんて難しいのだろう。こんなに難しいことはない。障がいを持つということは、いじめられるということだ。程度が軽い障がい者ほど優遇される。そんな世界。医師は僕に発達障害という診断名を与えた。それは間違っている。発達障害を患っている子供が、中学受験をして、優秀な中学に所属することが出来るのだろうか。発達障害を患っている子供が、オーストラリアで、小学校時代に数々の賞を得ることが出来るのだろうか。出来ない。この障害は後天性である。しかしながら、障害年金を受け取るためには、障害の程度が重くなくてはいけない。ゆえにしかたなく。

彼女は僕のことを覚えているのだろうか。結果的に迷惑ばかりかけてしまった。情けない。悔しい。悲しい。様々な感情が渦巻いてしまう。こんなにも頑張っているのに。誰からも認められない。誰からも認知されない。多くの人々から非難される。普通ではない。普通ではないのだろう。それでも。僕は前に進みたい。いつか僕の障害は完治するのだと信じて、今日を生きたい。いつか彼女が出来て、結婚して。子供を育てて。そんな夢を僕は持っても良いのだろうか。そんな幻想を、僕は胸に抱いて良いのだろうか。そんな空想を、僕は願っても良いのだろうか。不安がつきまとう。それでも。

忍耐力。仕事をするということはコミュニケーションを取るという事だ。そのたびに僕の心は傷ついていく。悲しい。それが現実。僕の心は少し強くなれているのだろうか。会話を交えれば交えるほど、自分の障がいに対して他人は不快感を示すのだとわかる。もっと適当に生きることが出来たのなら。過去にあった能力を、今も引き継ぐことが出来ているのであれば。たらればばかり。権利。若いころはそればかり考えていた。僕に生きる権利があるのか。僕に笑う権利があるのか。僕に睡眠をとる権利があるのか。誰からも支援を受けず。誰にも気付かれず。ただひたすらに自分を傷つけ。ただひたすらに周りから差別され。ただ当たり前のようにいじめを受ける。そんな日々。僕はそのような生活を望んだのだろうか。僕はそのような生活を夢見て、この世界に生を受けたのだろうか。違う。そうじゃない。僕は僕らしく。それが僕の願いである。

僕は僕らしく生きられているのだろうか。努力は必ず報われるとは限らない。それでも。努力できるのであれば。僕は努力したい。たとえその努力を周りが馬鹿にしようとも。たとえ周りが軽蔑しようとも。僕が僕らしくあるために。その苦しみを受け入れよう。出口は見え始めた。

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障がい者雇用で働き始めて、まもなく1年。私は立派な大人になれているのだろうか。私は立派な社会人になれているのだろうか。分からない。それでも。私はただ、ひたすらに前を向きたい。たとえその行いが愚者であろうとも。たとえその行いが周りからの偏見を買うものであろうとも。私は行きたい。ただそれだけの願望を胸に、私は自身の意味を見出したいのである。

人生とは。難しい問いである。私は未だに、左記の問いに対する解答を導き出すことが出来ていないのである。しかしながら。いつの日か。その解答を導き出せるように。私は生きたいのである。私の行いは低俗なのかもしれない。私は本来、生まれてはいけない存在なのかもしれない。それでも。私は払拭したのである。私は清算したいのである。自身の悍ましい過去。私は左記と向き合わなければいけない。それが私の役割なのだから。