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⑥自称元ミュージシャン

 あれから、

バンドメンバーからの連絡はなかった。

今となっては私も含めもう元メンバーか。

なんだか報道で使われる蔑称みたいで、奇妙なおかしみを感じる。

まだ何者にも成れなかった私たちに

そのような社会的地位も与えられてはいないのだが。

 

 一緒に集まって何かしてるだけで、よかった。

絶えず溢れ出てくるエネルギーを持て余していたし、

声に出して言うには恥ずかしい何かをどうにかする方法が

私たちには思いつかなかった。

だから、たまたま私が持っていたギターを部屋で友達が偶然見つけて、

それを巧まずして、私が同年代の誰よりも上手く弾くことができ、

若気の勢いに任せて、バンドをやることになった、だけ。

自分達を理解してくれる人が現れ始めて少し夢を見てしまった、だけ。

ロック元審査員の一言で、私たちのバンドが解散した、だけ。

 私たちの関係は元には戻らない。


 テーブルの上に置いていた携帯電話が震えて、

液晶画面の表示が『母』からの着信を知らせやがて静かになる。

もう昼過ぎなのだと知る。

 ベットから立ち上がり、キッチンの換気扇下でタバコに火をつけると、

都心部独特のペトリコールを思わせる香気が立ち込めてきて咽せそうになる。

古葉の苦味が唾液に混じり、身体に蓄積され、

呼気に混じって吐き出された煙が換気扇に吸われるでもなく、

空中で霧散していく。無意味な新陳代謝を繰り返す。

今日も降ってるのかな。声に出してみるが、

だからと言って何が起こるでもなく、言った側から消えていく。

 ベットへ戻る時に再び廊下に寝そべる元相棒を跨ぐ。

あれ以来音を発していない楽器は本来の役割も忘れ、

ただそこにあるだけで私に脚を上げさせるという意味をもつ

オブジェに成り果てていたが、

鑑賞者のいない作品に価値は果たしてないのかもしれない。

 

 あれは、私の夢だったのだとは、起きてから思った。

どうやって戻ったのかはわからないが、翌朝ベットの上に私はいて、

背中には汗でべっとりTシャツがくっついていて、

シーツまでしっかり洗わなければならなかったのだが。

特に部屋の中が変わった風でもなく、ギターはそこに横たえたままだったから、

私の心が見せた父の幻影だったのだと認識した。

 それ以降、悪魔は現れず、数日が経過していたように思う。

時折夜中に声が聞こえた気がして飛び起きることもあったが、

それは玄関の前を通りすぎていくものや、道路や階下で騒ぐ酔っ払いの類で、

笑い声や会話が温度を発しては、私を安心させてくれた。

 時間の流れが変わり始めたらしい。

ネットニュースやSNSの類をさぐっても、

新しい記事はスクロールの先には現れてこなかったし、

様々な風景を映し出すストリーミング再生の映像のなかとは対照に、窓の外も変わらず煤黒いままだった。

隣の席で交わされている会話のように、どれも私の表面を撫でては落ちていった。

 本日の新規感染者は――ニュースキャスターがさも深刻そうに伝えている。

興味を惹くのは増加傾向にある数字がどこまで伸びていくのかで、

それだけが楽しみだった。

 バイト続けてればよかったな。と口には出してみるが、

食わざるもの働かず状態で、腹も空くことがないからそれも消える。

人とは違う時間に生きて、人の歩まぬ道を歩く、人が駅の雑踏に揉まれる頃、私は夢の中を行く。

そんな生活に憧れていたし、今はその理想に決して遠くはないはずだが、

こんな感じだったのかと落胆してしまう。

お呼びのかからない自称元ミュージシャンは

部屋の中を行き来するメトロノームになり果てた。


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