【創作】「宗教を信じる家族と、神様をそんなに信じていない私」 (2)友達は、みんなの家は、うちと違う

(1)の続き。


東京の、一軒家で二階建ての家。築50年以上。くすんだ紺色の瓦屋根と灰色のブロック塀の上を、近所の家で飼われている猫と、野良猫が歩く。

家族は、母、おば、祖母、祖父、と私。

たまにどこから入ったのか、一階の天井から物音が聞こえた。
夕飯のとき、家族全員が上から聞こえる音に気づき、
「ねえ、なんか歩いてるよ」
「ネズミかな」
「猫じゃない?」
「じゃあ、妖精ってことにしようよ」
と言ったのは私。

正体は猫。家のどこかに穴でもあったのか、入ったらしい。
天井からの音が聞こえなくなると、家族はみんな、何事もなかったかのようにテレビを見ながら食事を続けた。

わが家は、食事中にテレビを見てもいい家だった。
『クイズ100人にききました』とか、『クイズ!歳の差なんて』とか、『めちゃ×2イケてるッ!』とか見ていた記憶が。

庭には、ソテツの木、野生のミョウガ、名前がわからない花の咲く細い枝の木がいくつか。スズメ、メジロ、ヒヨドリなど、鳥が飛んできて枝にとまっていた。

あれは確か、小4か小5くらい。
わが家に同級生の女子の友達、Wが来た。近所の団地に住む、体型が細い、天真爛漫な子だった。

Wは、神棚を見た。

私は、家に神棚があること、宗教のことを普通に話した。

Wは、「つぼ売ってるの?」と言った。

「つぼ? 売ってないよ」

なんでそんなことを言ったのかがわからなかった。

自分の家がほかと違うと、知らなかった。
最初から、私が物心つく前から家の中に神様がいるので、家族みんなが宗教を信じているので、それが普通だった。
でも、友達の家に行くようになり、うちは、どうやらみんなと違うと気がついた。

みんなとの違いは、宗教だけではない。
友達には、父と母がいること。
友達の母親は、家の中で家事をしてるけど、私の母親はいつも布団に入っていて寝ていること。

祖母から、「お母さんは具合が悪いから」「体が弱いから」とよく言われた。
小学校から帰ってくると、母は布団で寝ているか、居間で自分の座いすに座っているかで、あまり話した記憶がない。

家族に、肌身離さず身につけるように言われ、つけていたお守りがある。
白い布を長方形に折って袋状になっていて、その中に天心聖教で売られているお守り、肌守りが中に入れられるようになっている。そこに白いひもがぬいつけられ、ペンダントのように首から下げて、服の中に入れていた。

体育の授業で着替えるとき、周囲に人がいないときを見はからって、白いひもをぐるぐるとお守りに巻きつけ、ポケットに入れた。
ほかの人が持ってないものを持っていると認識した私は、人にお守りを身につけていると知られないようにしていた。


塩をかけられる

母は完全に信じきっていて、天心聖教の神様を悪く言おうものなら、鬼のように怖い顔で
「バチが当たるよっ!」
などと脅してくる。

「綾花に魔鬼(まき)が憑いてる」

と、天心聖教の塩をつまんで、私めがけてまいてきて、なにか悪いものをとりのぞこうとされたことが何回もあった。

娘は白菜じゃねーんだよ。やめてほしかったなぁ。

しっかし、わが子に塩をかけるって軽めの虐待じゃない?
(虐待に、軽いも重いもないか?)

けど、当時の母はそれがおかしな行動だとまったく思っていなかったし、家族も娘に塩をかける母を止めたりしなかった。
塩をかけられた私も、それが異常だと思わなかった。

当時はまだ、189のなかった時代でした。

子どもへの虐待には「教育虐待」「宗教虐待」というのもあるそうです。ニュースでとりあげられていて、初めて聞いた言葉でした。


宗教の勧誘

知らない人の家に勧誘しに行ったこともあった。

確か、中学生になってからだったと思う。YTAというものに所属した。
聖堂の近くにビルのような建物があり、階段をあがって2階のオフィスのようなところに入った記憶がある。

私は中1になってから、いじめられるようになった。
教室でも、どこに行っても、たいていひとりでいた。ひとりでいたかったわけではない。私が話しかけても返事をしてもらえず、避けられてしまう。ひとりにさせられていた。

神様に祈っても、いじめはなくならない。すると、宗教を信じなくなっていった。

日曜日は、天心聖教の集まりに行く曜日となっていた。
住んでいる地域ごとにグループ分けがされていて、そのグループの自分より年上の人たち、先輩から声をかけられ、いっしょに行く。移動手段は、声をかけてきた人の車だったり、電車だったりする。勧誘に行く交通費、食費など、すべて信者の自己負担。

聖堂に行くと、宗教の勧誘に連れていかれる。それが嫌で嫌で。思いだすと、もうとにかく嫌だった記憶が。

先輩の男性と勧誘に行ったときの話。

ピンポンを押し、家から出てきた人に宗教の話をして、「パイオニア」という薄いパンフレットのようなものを手渡す。天心聖教を信仰して、こんなにいい人生になりました、という信者の体験談が印刷されている。

ちなみに、この「パイオニア」を読んだことがあるけど、正直言って、本当にここまでうまくいくのか? 証拠は? と疑いたくなるような内容だった。

先輩の男性から、天心聖教について説明をする。話を聞かされた人の表情は、なんというか、嫌そうな感じがして、面倒くさそうだった。
私は何も言わず、先輩の後ろにいて黙って見ていた。


ピース・又吉さんのご家族は、本人に宗教を信じるか否かを判断する自由を又吉さんに与えていた。

それも、
自分でどうするかを判断できるか、(親など、周囲の人からの「信仰しなさい」って圧力がないかとか)見極めた上で。だったようですし。

いい家族だなぁ。
うちとは大違いで。

家族なら、
そのメンバー全員、同じように同じものを信じなきゃいけないっていう考え方って、どうなの?

母はときどき、「神様におまかせ」と言っていた。
私は、母が洗脳された状態だと思うことがある。母は自分の頭で何かを考えて、どうするか決められなくなっているのでは。

今日も、母は神棚に向かって正座をして、祖母はいすに座って、2人でお祝詞をあげている。

(小声で)
宗教ってさ、自分で考えて判断する力をゼロにさせようとする危うさとか、怖さがありますよ。

~~~

中学生になって、自分でいろいろ考えるようになった。
神様って助けてくれないんだなって思うようになりました。

あの頃、オウム真理教の事件がありました。
自分が宗教に入っていることは人に言わなかったし、気づかれないようにしていました。

(3)に続きます。

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