【創作】「宗教を信じる家族と、神様をそんなに信じていない私」 (1)かみさまはおとうさんを生き返らせてくれなかった

神様っているんですか?

この質問を日本人の私が日本人にしたらどうだろう。
まず、こんな質問を人にするきっかけがなさそうだ。せいぜい、年末年始に思いだしたように神社に行くとか、欲望や願いがあったときに頼ったりすがりつきたくなるのが、神様だ。

これから私は、自分の過去や心の内を見直すために、思いだしながらキーボードをたたいてみようと思う。家族と、宗教に関することを。あまり人には言えない、言ったらどんな風に思われるかわからないことを。

神様は、いる。もう、いるのが普通だ。存在している。
けど、そうでない家庭、例えば友人にとっては「え? どういうこと」とすぐには受け入れられない。不思議で、不確かな存在だ。

母は、私が子どもの頃、先祖の〇〇さんの声が聞こえると言っていた。母はそれを霊感があるからだと思い込んでいた。

精神科に行くと薬漬けにさせられる、と祖母が娘(私の母)を心配し、病院には行っていなかった。
そんなときに、私が通っていた幼稚園の同級生の子の母親、Nさんから紹介されたのが、ある宗教だった。

天心聖教。
なんでも、「宇宙絶対の神様」だそうです。

祖母や母にとっての精神科や心療内科は、行かないほうがいいものだったらしい。

ちなみに、私が18歳から20歳ぐらいに、眠れなくなったり、自傷行為をしたり、頭が重くてしょうがなかったりなど、明らかに「病んでいた」とき、祖母に自分の状態を話したけど、精神科や心療内科に行こう、とは言われなかった。そのため、治療が遅れ、状態が悪化してから病院に行った。
自分の経験上、病院には早めに行くことをおすすめします。

いま、私はこの宗教を信じていないし、祖母と母が朝と夜にあげるお祝詞(のりと)もあげていない。だいぶ前、もういつだったかもわからないほど前に、やめた。

あるとき、神に祈っても、どうしようもないものはどうしようもないとわかったから。

祖母は、
女性週刊誌に載っている、「このシールを貼ると金運アップ」のシールを、雑誌に書かれていたとおりにトイレのドアに貼りつけるぐらい、
何かを素直で純粋に信じてしまう、他人の言葉を受け入れてしまう人でもある。

正直、素直、人を信じやすいというのは、長所だけどケースバイケースで、良くない結果になってしまうこともある。染まりやすい、疑わない、自分で考えようとしない、とも言えるのでは。


ある日、ちょっと過去の話をしたとき、私が幼稚園児だったときの話になったら。

母「あのとき幼稚園の人、全員入ったよね。NさんPTA会長だったから」 

私「はいうそうそ、ダウトダウト」

即答で、早口で返事をした。

「全員入った」と当時、天心聖教について話を聞いた、幼稚園にいた親たち全員が、天心聖教の信者になったというのだ。

すでに、私はNさんとは何十年以上、縁が切れている。

母はあまり自覚がないようだが、たまに出てくる、大げさ、オーバーに話すクセ。いわゆる、話を盛るってやつ。

私に確認のしようが無いのでたちが悪いわ。


父、娘に本気で蘇生を願われる

子どもってピュアな生き物だ。まだなにも知らないから、大人がいくらでも言うことを聞かせられる。
子どもの心を白いキャンバスに例えるなら、まだ自分でどんな絵を描くかも決められない年齢の子どもは、大人からの言葉で絵を描こうとする。本人の意思と違う絵を、大人が描いても、まだ「拒否する」言葉を持っていない。どう言っていいのかがわからない。言い方がわからない。

親は、子どもに何も言われないから、そこに子どもの気持ちはないものだと思ってしまう。

いつだったか、寝室にある神棚の前に家族みんなで正座をして座っていた。
時間は、夜。
神棚の前には黒いろうそく立てに白いろうそくが2本、火がついている。
私は何度も「おとうさんがいきかえりますように」と心の中で言い続け、神棚に向かって頭を下げていた。

その後、家族全員で出かけた。
初めて行く場所、見知らぬ駅と路線。なぜか、誰も話そうとしない。

当時の幼かった私には、どこに行くのか、なにをするのかまったくわからなかった。知らされていなかった可能性が高い。

それはあとになって、病院に運ばれた父親に会いに行っていたのだと知った。

5歳ぐらいの記憶がある。
上も下もどこを見ても白い。
おそらく、病院の待合室にいる私。
すぐ横にストーブがあるのに、家族の誰かに待っているように言われたのか、暑くてしょうがないのに座ったままそこから動こうとしない。顔が暑く、頭がすごいぼーっとしていた。

白い廊下の奥、遠くのほうに母が左を向いて立っている。母の向こうに、モザイクのような四角いガラスがはめこまれた壁があり、そこからかすかに光がこちらにもれている。ただのガラスではない、くにゃくにゃとしたガラス。

暑さに耐えられなくなって、待合室から廊下に出たのだろうか。

当時の私にはわからなかったけど、母の視線の先には、生と死の間で戦っていた父がいたようだ。

父は亡くなった。くも膜下出血だった。
おばの話では、見せられたCT画像の父の脳内は真っ黒で、素人目に見ても助かりそうになかったという。もし助かったとしても、意識不明。

はたして、あの私の祈りが神に通じ、父が意識不明のまま生き続けていたら、私たち家族は幸せだったのだろうか。


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(2)に続きます。

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