怠惰ひかる

大学は人生の夏休み。
この言葉を真に受けた勉強嫌い怠惰代表の私は、大学に大きな憧れを抱いていた。大学生は自由か?結論、確かにそうだけど思ってたのと全然違うというのが感想。現在進行形で大学生活にも向き不向きがあることを突きつけられている。

物心ついた頃から勉強や知識に関して大体の人より飲み込みが早い方だった。小学校の勉強でつまずく意味がわからなかったし、中学も同様、定期試験はこれといった勉強をしなくとも総合得点学年5位以内、調子が良ければ1位にだってなることができていた。
賢いね、地頭がいいんだろうね、がんばったね。そんな言葉を投げかけられる度にいつしか嬉しさより先に不安が過ぎるようになった。突出した賢さがあるわけでもないくせに、そこそこの賢さに甘え続けた結果、努力するという選択肢を持っていなかったことに気が付いて苦しくなる。でもそんなことを口にすれば当然嫌味と捉えられるので言えない。“やらなくてもできる”と誇っていた長所は、“やらなくてもできてしまう”という短所に認識が変わっていた。しかし染み付いた怠惰は認識が変わったからといってより高みを目指すこともせず、あろうことか通知表がオール2の地元ヤンキー系同級生に憧れていた。結局勉強時間は0のまま惰性で高校受験を終え、なんとか公立の進学校に合格した。合格発表に喜ぶ家族や先生に後ろめたさを感じた。

高校には頭がいいだけではなく、さらに努力もできる人がたくさんいた。授業はうっすら聞くようにしていたものの家や電車で勉強を全くしない私は中学校までとは一転し、学力はすぐに学年の中堅層まで転落した。普通は落ち込むところであろうが、とても居心地の良さを感じた。勉強に関して、やらなければできない、という当たり前を初めて体験したし、なによりもやっぱり私は賢くなんかなかったんだ!ということを実感できたから。その時、自分は賢いという偽のレッテルに苦しめられてきたんだということに気が付いた。やっと馬鹿になれる、というか馬鹿な自分が認められる。肩の力が抜け切って学力は余計下がったがそれすらも嬉しかった。そのまま高校1年間は校内では学力中間層として勉強に特に心を乱されることもなく、ちょっと怠惰なやつとして平和に、もちろん1秒も自主勉強をすることなく過ごしていた。

高校1年生最後の行事の宿泊学習を2月に終え、いよいよ進級となったところで謎のウイルスがついに日本にも現れた。ほどなくして学校は休校となり、なんとなく高校1年生が終わった。その後数回登校したものの即再休校となり、結局3〜5月のまるまる3ヶ月を引きこもりあつ森プレイヤーとして過ごした。他の高校の様子を見ていると課題がかなり出ていたり、オンライン授業が行われていたりなど学習面に関する補填がされていたようだが、自分の通っていた高校は進学校あるある:放任主義であったため課題はほとんどなく、自習をするように言われた。課題なし、授業なしに加えて勉強習慣なし。どうなるかは火を見るよりも明らかである。

騒動もやや落ち着きを見せ、登校が徐々に再開された。気がつくと高校2年生になっていた感覚。勉強面は自習が大前提であったため、休校明けに確認テストが行われたが普通に2点とかだった。授業によってギリギリ保たれていた中間層程度の学力は、教科によっては学年ワースト10以内に食いこむまでアホになっていた。さすがに焦るもやる気が出ない。そのままずるずると未習範囲を放置しながら学校に行き続けた。数学など積み重ね系教科の校内偏差値は30台前半へ突入。もうどうでもよくなっていた。それ以降高校2年生の記憶はほとんどない。

累計勉強時間が5分ほどのまま高校3年生となる。受験生。毎日朝早く登校して自習、放課後も日付が変わる直前まで自習という同級生を横目に家が遠いからと理由をつけギリギリ登校即帰宅を貫いていた。自分だけ志望校が一生決まらない。目標もやる気もない。しかし学校に行きガチガチ受験対策の授業を受けていたため、奇しくも地方国公立には余裕で受かるまでに学力は回復していた。なんなら国語や英語、理科に関しては問題次第では模試で学年5位以内や偶に1位を取ることも出来た。成績が回復したため周りの人や先生や親は当然私が勉強していると思っていたが、実際は1秒もしていないのが本当に情けなくて恥ずかしくて、教科書や問題集を揉んで使用感を出していた。俺/私全然勉強してないよwという謙遜の中で、真逆の勉強してますよ顔で何も怒られることなく受験直前を迎えた。高校に入ったばかりの頃は偽の賢いレッテルが剥がれたことに喜んでいたが、この頃にはもう成績云々ではなく、自分だけ勉強を頑張れないことに多大なるコンプレックスを抱いていた。そのため大学は人生の夏休み、もう勉強をしないといけない雰囲気で負い目を感じなくてもいい未来が待ち遠しかった。

共通テストが終わり自己採点をしに学校へ。もうどうしようもないくらい怠惰なのだから、どこにもいけないくらいの点数でも取って心を入れ替える転機になってもいいなーくらいの気持ちであった。自己採点をするとやや難化傾向と手応えに反して、共通テスト模試の上振れに近い点数が取れていた。周りには思うように点数が取れず憔悴している子もいたが、私は思いのほか点数が取れてしまったことにやや罪悪感を覚えていた。意味不明。

結局共通テスト終了時点でも志望校が決まらず、共通テストリサーチという合格判定のサービスに全て違う適当な大学を書いて出すくらいには決まっていなかった。担任にようやく注意される。注意された帰り道の電車でやったクイズゲームに出てきた関西の某国立大学に勢いで出願した。私大はひとつも出願しなかった。浪人はしないよう両親に言われていたため完全に背水の陣。にも関わらず2次試験までの休校期間、あつ森をしていた。罪悪感。恥。情けない。早く大学生になりたかった。

二次試験を受けるために2日前から大学近辺のホテルに泊まった。一応持ってきた単語帳すら見ず、観光をしまくった。こうすればもし落ちても旅行しに来たことにできるしな、と開き直っていた。入試を受けた当日に帰宅したが、帰りの電車では既に受験の存在は頭から消えていたというか消していた。家に着き家族に一言「どうだった?」と聞かれて「なんか雪降ってた」と答えてしまい、そういうことじゃないと呆れられる。それくらい結果については何も考えたくなかった。努力をしてこなかったくせに、大学生になれない未来が怖かった。

合格発表。またもやあっさり合格。拍子抜けしたが、受験勉強ムードの中で何もしない後ろめたさからようやく解放される喜びで涙が出そうだった。すぐさまツイッターを開き、# 春から○○大 タグを見漁った。あとはもう就職まで遊ぶだけだ!そう思うと楽しくて嬉しくて仕方なかった。

遊ぶ気というかさぼる気満々で入学した大学。大学が研究機関ということをすっかり忘れていた。何かに取り組む経験や探究心が圧倒的に足りていないまま大学生になってしまったため、レポートのような自分で考える課題が出る度に苦しくなった。知的好奇心が足りていないことを突きつけられた。興味のない参考文献を目が滑りながらも飛び飛びで読み、ぼんやりと考えた辻褄が合わない滅茶苦茶なレポートがC評価で返ってくる度に高校までの方が楽だったのかな、と考える時がある。出される問題を覚えていてたまたま解ければ褒められた先にあるのが終わりのない考察の世界とは考えてもいなかった。世の中の人達は必死に数学の解き方や歴史を理解した先にたどり着く場所が大学なことは苦しくないのだろうか、と今でも疑問に思う。一方で自分自身の問題であることも自覚している。答えのある問いに真剣に取り組めない人間が答えのない問いに真正面から取り組めるわけがなかった。博物館に足繁く通うなど知的好奇心に溢れた学生に囲まれ、何も知らない考えない自分がとても場違いに感じる。

染み付いた怠惰で身動きが取れなくなっている。学力や偏差値なんか本当は関係なくて、取り組むことへの耐性が大切ということに気付いていながらも目を逸らしてきた。まだ若いから大丈夫と言われても根っこから腐っている自分がこれから巻き返せるとも思えない。こうなったら怠惰を極めてしぶとく生きるしかないのかもしれない。大学という自由と怠惰の組み合わせは最悪だが、開き直ってなんとか卒業まで漕ぎつけたい。

やらなくてもある程度できてしまうことを自慢気に書き連ねていると思われても仕方ない。しかし本体は取り組めないことへの強烈な恥ずかしさ情けなさ、なおかつそれを自覚していながらも貫く怠惰への諦め。結果を出す人よりなによりも、続けられる人を一番尊敬している。しかしもう手遅れなので、どうでもいいですよ。と今日も怠惰ひかるの顔をして課題を先延ばしにする。

まとまりのない文章、発作の産物なので仕方ないということにしておいてください。

終わり

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