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【独り言】最先端ごっこをする意識だけ高い人

不勉強な意識高い系のリベラル

 最近、哲学者ジョセフ・ヒースの『反逆の神話』と言う本を読み直しているのだが、これを読んでいて、最近の意識高い系リベラルがますます嫌いになった。

 『反逆の神話』がどういう内容なのかは本垢の方の投稿で紹介するつもりなので今はあまり触れないでおくが、ここでいう「反逆」というのは「カウンターカルチャー」のこと。

 「カウンターカルチャー」というのは、簡単に言ってしまえば、資本家などの権力者に抵抗(カウンター)する文化のことで、例えば、反戦ミュージックなんかはよく言われる代表例かな。

 左翼やリベラルの皆さんはこの「カウンターカルチャー」が大好きな人が割といる(実は私もカウンターカルチャーは皮肉も込めて結構好きだ)。

 よくミュージシャンとか作家が政治的発言をすると、「政治と文化は別だ。文化に政治を混ぜるな」とかいうネトウヨがいるけど、ああいうのは文化の歴史について全く分かっていない(勉強していない)無知丸出しのバカなので相手にする必要はない。

 とはいえ、カウンターカルチャーにも悪い面がある。それがヒースの分析で示されている。それはカウンターカルチャーが結局、資本主義に抵抗しきれないどころか資本主義に回収されてしまったこと。いや、もっと正確に言えば、カウンターカルチャーそのものが資本主義を支えてしまったことだ。

 近頃の意識高い系のリベラルを見ていると、そういったカウンターカルチャーが資本主義に回収されてしまった歴史を勉強していない人が多いように思える。

 単に「資本主義反対!」「格差けしからん!」「資本主義は環境破壊をもたらす!」「資本主義は限界だ!」とか言っておけば、資本主義を批判した気になっているというか、そういうバカでも言えることを言って何か世界を変えた気になって満足している意識高い系のリベラルが多くてなんだかなあと思う、今日この頃。

 評論家の山形浩生も指摘していたが、バカな資本主義批判って所詮この程度のレベルが多い。

 別に環境破壊を批判するのはいいんですよ。資本家の搾取が許せない?そりゃそうだ。それは許せない。

 とはいえ、具体的なデータを示すでもなく、経済学的な理論を知ってるわけでもなく、「資本主義の終わりは近い」とか「経済成長と環境破壊は結び付いている。だから経済成長をする資本主義はけしからん!」とか寝ぼけたことを言うてる意識高い系のリベラルは、はっきり言ってアホ丸出しですよ。

 マルクスが「資本主義をなぎ倒す革命は近い!」とかずっと言い続けて革命起きなかったことからなんも学んでないのか、と。

 近頃、資本主義批判をしている人のバイブルになりつつあるピケティの『21世紀の資本』もどうせ読んでいない人がほとんどだろうけど、あの本の中でピケティは格差そのものの批判は全くしていないんだよね。イメージだけで、「あのピケティが格差を作る資本主義を批判した!」って言いすぎ。

 あと、もう一つ資本主義批判の人たちの間でバイブルになっている『人新世の資本論』も、「経済成長と脱炭素はデカップリング不可能」みたいなこと書いてあるけど、普通に日本やアメリカではデカップリング実現しているので、あの本を真に受けている人はデータが読めてなさすぎる。

 なんか流行り言葉として「時代はSDGsっすよね!」「ダイバーシティ万歳!みんな違ってみんないい!」「同性婚を認めよう!それこそが多様性だ!」とか言っておけば良いみたいな雰囲気になっているの、本当に思考停止でしかないよなあ、と。

 意識高い系のリベラルの方は「同性婚は素晴らしい。LGBTQの人も同性婚を望んでいる」みたいなことおっしゃいますけども、クィア理論とかでは「結婚」制度自体に物凄い反発があるのをご存じないの?と。

 ヒースが『資本主義が嫌いな人のための経済学』を書いた理由もよくわかる。資本主義を嫌って批判するのは結構だけど、だったらせめて資本主義の歴史とか原理くらい勉強しようよ、とヒースが思うのもよくわかる。

 あと、言い忘れそうだったけど、「AI」に関する話も意識高い系のリベラル好きだよね。たしかに、AIというのは人類の脅威になるかもしれないからある程度の議論は必要だろう。

 とは言え、AIに関することを言っている人に限って、「これからはAIの時代、シンギュラリティだ。人間はAIに仕事が奪われる。だから貧困層が増える。そこでベーシックインカムを導入しよう。そうすれば貧困から救われる」みたいな、高校生でも考えられそうなことを得意げに言って満足してる人多いよね。

 「AI」「シンギュラリティ」「ベーシックインカム」とかいうワードを言っておけば、とりあえず最先端なことを言ってる雰囲気は醸し出せるものね。

 じゃあ、「具体的にAIはどういう仕組みなの?」とか「AIってどういう歴史のもとで生まれてきたの?」「AIにできること、できないことって何なの?」「シンギュラリティっていつ?」とか聞くとだいたい歯切れの悪い返答しか返ってこないんだよね。だって、機械工学、情報社会学に関する勉強が足りていないから。

 これはベーシックインカムに関する議論でも同じで、「ベーシックインカムの財源はどうするんですか?」「いくら給付するんですか?それに必要な財源額はいくらですか?」「ベーシックインカムを導入するとして、生活保護などの他の社会福祉をどうするんですか?」などなど聞いていけば、ぜんぜん答えられない人ばかり。

 たぶん、ベーシックインカムは良いとは思いつつも、「いくら給付するのか、そのために必要な財源はいくらなのか、財源はどこから引っ張ってくるのか…」みたいな細かなことは一切考えていないんだろうな。

 とりあえず、「エーアイ」「シンギュラリティ」「ベーシックインカム」みたいな横文字を使って、最先端な話題についていけてる風しか醸し出してない奴ってだいたい質問で詰めれば底の浅さがすぐに出る。

 環境保護を言っている意識高い系の人も同じで、「地球温暖化が起きてるとおっしゃいますが、その気温はどのように測定されているのでしょうか?」「気温上昇や二酸化炭素の悪い面ばかりに注目しがちで、良い面(たとえば、作物の収穫量が増えるなど)は無視しすぎではないでしょうか?」「再エネ万歳みたいなことをおっしゃいますが、再エネで現在のエネルギーを代替できるのでしょうか?再エネは本当に炭素を減らすのでしょうか?その科学的な証拠はどこにあるのでしょう?」などと質問していくと、答えられない人が多い。

 何となく雰囲気として「地球温暖化しててヤバい!このままいけば人類滅亡だ!」みたいな浅い認識なんだろうな、と。

 別に地球温暖化を批判するのはいい。資本主義を批判するのもいい。性的マイノリティについてアレコレ権利を議論するのもいい。AIの危険性について語るのもいい。それらは社会的にも重要な議論なので全然すればいい。

 でも、議論するにしても、せめてもうちょっと勉強してから議論してくれないかと意識高い系のリベラルを見ていていつも思う。なんか、それ周りの人が言っているのに流されて言っているだけではありませんか、と思うことが多すぎる。

 「SDGsと言っておけば、時代についていけてる」とか「資本主義批判しとけば、経済弱者の味方していることになってる風潮だからとりあえず自分も資本主義批判しとく」みたいな、実際はあんまり考えずに周りの雰囲気に合わせて「よし、こういえば正義の側につけるんだな!」みたいな意識高い系のリベラルは見ていて、はっきり言って気持ち悪い。

 公平性を期すために保守についても述べておくと、私はリベラルだけが不勉強だとは思っておらず、保守も不勉強な人が多いと思っている。だから、「保守にだって意識だけ高いバカがいるじゃないか」と言われたら、おっしゃる通りですと返答している。

 今の時代、明らかに勉強せずに意識だけ高くなってる奴多くて困るよねという私の愚痴だが、やっぱり今の時代は勉強が大事だよなと(自戒の意味も込めて)。意識が高いのは良いことだし、向上心は大事だ。けれど、意識だけ高いのに行動が伴っていないのはやっぱりダメだよね…。

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