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ナオコライフ②50 虹色の光で気がゆるむとき

2023.12.8

4時起床。コーヒーを淹れる。苦くておいしい。今日は風が強くないといいけれど。

今日のタロット日記

「ペンタクルのクイーン」
育んで築きあげていくことを大切にする。カードの絵の周りの植物たちが豊穣さを意味する。育てて慈しむことは誰にでも必要で、誰かとの関係でもいい、植物でもいい、そんなことが日常にあることが、心の支えとなる。

母が友だちとモールでウォーキングの予定だから、いっしょに乗せてきてもらった。モールのカフェにて、いつものスツールに座る。座り心地がよくていつも感動する。床に足がつかない高さのある椅子。最近は、ものに関して満たされていて、暮らしていく上での道具にまったく不自由してない。こだわるタイプだけど、もうさんざんこだわって、今では長く親しんで使うその先の未来だけを考える。今、満たされている。何かが足りなければ、何かで補えばいい。そう、思えるようになった。どこまでも尽きない欲望があっても、けっして満たされることはないから。ここは壁のないカフェだから、本屋を見渡すように座っている。モールだから。でも、そこが開放感があって居心地がいい。余裕のある空間。

友だちと会った母と待ち合わせして、帰宅する。

午後の部屋は、冬の晴れた日は楽園のような気配がするほどに明るくて健全だ。もわっとあたたかい空気に包まれている。自分の部屋でありながら恥ずかしげもなく絶賛してるけど、居心地がいいってこと。人は気分がいい場所にいれば、いいことが舞い込んでくるものだと思っている。気分がいいってことは、いい波動が少しでも出ているはずで、そしてそこに同調したことが起こってくるから。空間を整えることは、神社に参拝するようなことだと捉える。


2023.12.9

8時起床。信じられない、こんなに寝るなんて。母が朝ごはんを待っていてくれて、あわてて食べる。起き抜けのごはんは食べてて苦しい。緑茶を3杯飲む。

今日のタロット日記

「ペンタクルの7」
7個の実を育てながら満足していない。まだまだ育つ、10個を目指していることを考えながら、実を眺める。果たして、どこまで目指したらいいのか定かではない。

朝起きる時間が大幅にずれて、何もかもがずれ込み、あっという間に10時になった。いつもの早起きの方がいい。もうすでに1日が短くなった感覚。わたしの体調には睡眠は一番の特効薬となるが、たまによく眠れたことをよかったと思う。調子が崩れて、感覚がおかしい。白湯をちびちびと飲む。玄米を炊く音で炊飯器が暴れているみたい。頭の中が空っぽだ。体内時計が狂ったのかもしれない。

感覚だって確かなことだけど、それがどう使われるかによって、信頼性があるのかないのか分かれてくる。それを言いたかっただけで、わたしにとっては疑いが晴れなかった。それが問題だった。あなたの言葉ではなかったから。

サンキャッチャーの反射で部屋が虹色に包まれ、わら細工と秋の庭の贈り物が引き立つ。わたしもなんだかちょっと現実離れした気分になり、気がゆるむ。テーブルの上も虹色。畳の上も虹色。

本を読みながらふと思う。なにかきっかけは向こうからやってくるもの。わたしが躍起になって探さなくても、自然な流れがやってくる。いつだってそうだった。それに、自分の本心はわかっているのかもしれない。認めたくないだけなのかもしれない。

「エンジェルズ&アンセスターズオラクルカード」より。

今わたしに付いてくれている天使や祖先は誰ですか?
「マジックガーディアン:内なる魔術を解き放つ」
ものごとを実現させるために意志の方向付けを手伝ってくれる魔術の天使。わたしの内側にある力を自分自身で認識することが大事だとこのカードはいっている。


2023.12.10

5時半起床。コーヒーを淹れながら、ヨガのポーズをとる。今日もいい日になりますように。

今日のタロット日記

「12番吊るされた男」
どうにも身動きがとれない日々。これからのことを考える。それでもわからない、進まない。わたしは間違っているのかもしれない。それさえ、わからない。いつか、答えがでるときがやってくるのを待つ。

朝ごはんを食べながら、よく聴くプレイリストを聴く。散々聴いてきたセレクト。その後に引き続き流れる曲に身をまかせ、妄想する。頭の中では文章を書いている。実現するときはきっと別物になる。こんな時間をゆったり過ごしているわたしには、まだまだ遊びの時間が必要なのかもしれない。時間が必要で、何よりも時間が必要であることは間違いない。社会や世の中や年齢や、そんなことの基準が正しいわけではない。本屋では、そんなようなタイトルの本が溢れているけれど。それより、わたしという個人に当てられた生き方、生きる時間をどう過ごすかはわたしに委ねられている。人それぞれだから、基準なんてあってないようなもの。これからまだまだわたしなりに生きていく。人より遅れていたっていい、劣っていたっていい。

どうしても出かけたい衝動に駆られ、近所のカフェにきた。日曜だから、いっぱいの店内。他のお客さんの声が響く。足の悪いお客さんが椅子を押すときの音に気付いたオーナーさんが駆け寄る。会計したり、声をかけたり、そんな自然なやり取りを隣で聞いてる。わたしにだって、いつも自然体。障害があるってわかっていても、お互いに容赦しないで本気で言い合うことも、たまにある。それで危うく壊れそうになったこともあるけれど、でも大丈夫だった。お互いに変えるところは変えて、関係性が変わった。ずっと同じではいられないから、きっかけがあれば関係性は変わっていく。それが当然だし、前よりもよくなった。人間関係が密になるときつくなってくるので、すぐに逃げたくなるところがある。そんな性分はこの先も変わらないだろうし、それでも続いていく関係性だけが残っていくのかもしれない。






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