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存在の証明

絵を描いたり、立体物を作ってみたり創作活動を始めた2013年
それから早くも6年の月日がたち、
最近、嬉し恥ずかし取材というモノを受ける機会が続きまして

取材の内容としては
大学はどこへ?やっぱ美術系?
キッカケはなんだったの?
という質問からまず、始まります
その回答については過去記事にて、仕事やめる云々かいてます

もともとは絵をかくという平面作品から入りました
というのが、落書きだなんだがスキだったから
それから立体作品にも手を付け始めるわけですが、

私は「ゴミ」と呼ばれてしまっている
悲しい持ち主不明、出生不明なモノたちで作品を作っています
かっこいい姿に生まれ変わってまたみんなに
見てもらおうという「生まれ変わる」なのか、
せっかく生まれたんだもの
ステージにたってみようや!と、舞台、衣装をこしらえているのか、
幼少期からの収集癖と手遊びと云々が現在にも続き

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それが今の環境問題という一種の社会現象と結びついて

この作品群を通して、実はゴミだったという事実を通して
モノにもイノチのあること、
最後まで大事に使ってほしい、
その最後の時には責任を持って、ありがとうバイバイ
をしてほしいというコトを伝えられるんじゃないかな、

と、思ったわけで
さらに言いますと私の海ゴミと出会った場所「今津」の方々は
いまのように環境問題云々言い始めるより以前から
「キレイな海で楽しんで欲しい」
という純粋な、まだ見ぬだれかのために毎朝、各自が
ゴミ拾いなどをしてくださっているのです。
そんな他人への思いやりのキモチも伝えられたらな、
という思いも込めて製作と発表を続けています

そんな展示会が本人の想像をはるかに越えて
注目してもらえ、作るという使命感と
作ったモノたちの意義や意思というのを前以上に感じるようになりました

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それが結果として地球も喜んでくれるコトになっていたら
そりゃ、もう万々歳です

その時に感じたコトがもう一つ
「こんなにも、社会の一員だと感じたのは初めてだ」

社会人として勤めていたコトもある
だからといって社会の一員であるという
実感の中で生きているかは
別の話のような気のして、

自分の作品は今、ココに存在して居る
そして作り手である
私もココに存在し
社会の一員として、自分の生きる社会へと
メッセージを送っている

誰かが私を排除したわけじゃないし
もしかしたら、その逆で
自分自身が社会に気づかず
生きていただけなのかもしれない
どちらかはワカラナイけど

存在しているのにその存在の認知が曖昧な
海で出会う漂流物のように
自分も世界を漂流してたのかもしれない
誰がすくいとってくれるかもわからない

それはすくいとったのか?
それすらもワカラナイ

だけど、確実なのは
確かにココに存在しているということ

作品というのは一種の存在の証明で、
それを通して、やっと
社会と繋がれているコトを実感している。

人生半人前、生き様というほどのザマもないけんど
それとも、ないからか

まだまだ表現への挑戦と実験はつづく、


最後まで読んでくださり、ありがとうございます! 全国津々浦々、制作と発表を続け 小さきを愛でる、ナニモノにもイノチあるコトを 届けてまいります! 頂いたサポートは 活動費に使わせて頂きます!