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今度は「美術館女子」ですってよ、奥様

いわゆる【お気持ち文章】というものです。

美術館に人が行かないからか、インスタ映えスポットとして美術館を流行らせようとする企画が立ち上がったようです。

※企画に使われているタレントさんと施設に対しては、特になんの感情もないです。

私も美術館とか博物館とかはちょくちょく行きますけど、きっと私が一人で美術館で作品見ていたりしたら「お、美術館女子だね」と、勝手にカテゴライズされてしまうんだろうな。

常々思いますけど、○○男子とか××女子とかカテゴライズするの好きですねって。
近年、そういうカテゴリー化された言葉ってどのくらい生まれたんでしょうか。
リケジョとか歴女とか。
カテゴリー化して、その人との付き合い方を考える、みたいなことでしょうか。
便利といえば便利だけど、自分で名乗っているわけでもないのに勝手にカテゴライズされるのは、まあイラッときますよね。
なにせ、そのカテゴライズの裏にはある種の偏見が見え隠れしてますから。そして揶揄の対象になることもしばしば。

「女性」と「美術館」というワードを並べてすぐに思い浮かべるのは、数年前のとある雑誌の記事です。
美術館に一人でくる女子にウンチク垂れてナンパしてお持ち帰りしよう、という趣旨のもの。
オジサマが読むような雑誌に書いてあったものですが、もちろん当時は炎上してました。

最近アートを勉強してビジネスに活かそう、という傾向があります。
それは別に良いんですよ。
けど、ナンパ目的にアートを学ぼうとする人もいるんですよね。
そうなると、今回のこの「美術館女子」というのは、そういうオジサマたちに狙われる機会を増やすだけではないかと思うんです。
そういうの、美術館サイドも迷惑とか思ったりしないんでしょうか。
美術館は“大人の社交場”ではないと思うんですよ。

そういえば5月に『美術展の不都合な真実』という書籍が出たこともあってか、今週は立て続けに美術館について考えることがありました。
いずれも著者の古賀太さんが直接関わっている記事です。

今回の「美術館女子」の企画を立ち上げたのは読売新聞社で、日本の美術展を多く主催している企業でもあります。
美術館女子企画第1回で使用した東京都現代美術館でいえば、11月から開催の『石岡瑛子 血が、汗が、涙がデザインできるか』の主催に名前を連ねています。協賛で日テレも。
企画自体はとても良いもので、私はこの企画展のリリースを見た時点で行こうと決めてます。

たまたま、本当に偶然ですが、今日アマゾンプライムビデオでロンドン・ナショナル・ギャラリーのドキュメンタリー『ナショナル・ギャラリー 英国の至宝』を触り30分だけ観ました。
ロンドン・ナショナル・ギャラリーが持つ絵画を見せて説明するような作品ではなく、いかに美術館に人を呼ぶか模索する美術館職員の姿が生々しく映し出されています。30分だけしか観てませんが。
今回のこともあって、明日以降ちゃんと続きを見ようと決めました。

映画の宣伝の仕方でも議論されていましたが、作品に興味のない人を呼び込むための手法はお国柄というのもあって、右へ倣えすれば良いというものではありません。けど、冒頭30分だけ観た限りでいえば、ロンドン・ナショナル・ギャラリーの方は少なくとも作品に向き合おうという意思が表れていると思うのです。
美術は敷居が高いと思う人もいるかもしれないけど、敷居を高く感じさせているのはどうしてか、それを考えて解決していくのも集客を増やす方法のひとつではないかと、勝手に思ってます。私が言うのもおこがましいのですが。

アフターコロナで美術館や博物館はどうやって人に来てもらうか模索していると思います。
事前予約制など入館制限をしないとならないし、しかし収益も上げないとならないし、どうしたら良いのか考えあぐねているとは思います。
しかしその方法が「○○女子」という手法だったというのは、どうもいただけない。

いやはや、今度はいったいどんな風に我々は揶揄されるんだろうか。

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