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素でいられることは素晴らしい

こんばんは、やっと連休に入って束の間の癒しの日々を手に入れた、note-kunです。


今日もゆる日記です。


最近インスタグラムをみていると、変に可愛いこぶったり、よくみられようとしている人が多いような気がしてきました。


確かに、女性はいかに可愛いか、セクシーか、(あるいは面白いか)でいいねやコメントをもらうことが気持ちいいことだと思います。


一方で、無理して不自然な印象を受けることもあります。


みたくなければみなければいいやん、というのは正論なのですが、

note-kun自身そういう投稿自体で気分を害しているのとはちょっと違い、

男性でも女性でも綺麗な(あるいはかっこいい)人を見るのは好きなのですが、


もし本当に自分がやりたいことと違うことを少し無理をしてやっているのだとしたらもったいないな、と感じた次第です。


他人の心配する前に自分のこと考えろや、と言われたらそれまでなのですが、

そうやって外見で勝負する世界って、ピラミッド状の階層構造になっていると思っていて、(他の世界でもそうだと思いますが)

トップクラスでおしゃれまたはみためが飛び抜けている人が少数、残りは同じようなレベルの人が多数、という印象です。


もし本当は見た目はほどほどに、何か打ち込めることや考え抜けることがあるのであればそっちに時間を費やした方がいいかな、と思います。

自分らしさが出るし、モチベーションも維持できると思うので。。


おじさまおばさま世代になんとなくちやほやされて満足しているのはもったいないよ、ということです。

note-kun自身学生時代は(見た目はそんなによくないにも関わらず)よいしょされたこともあって、特にそう感じます。


そんな安っぽい人にみられて終わりたくないですよね、

note-kun自身、中身も外見も深みがある、味のある人間になりたいです。

まだまだペラッペラですが、、、


この一、二年はひたすら自分との対話、周りの人との対話を繰り返して中身を充実させていきたいと思っています。


さて、タイトルに戻りますが、

モデルの富永愛さんをインスタグラムでみたのですが、

もともとスタイルがいいのもあってか、加工している写真も少ない印象を受けました。

また、キリッと決まった写真もあれば素顔の写真もあったり、本当に人間味があって素敵だな、と感じました。


いやそらプロのモデルさんやからやん!という意見ももっともですが、

変に写真を加工して違和感のある足長写真なんか投稿しなくてもみんな魅力的なので、

ちょっと見せづらいところも含めていかにその人らしさが出るか

いかに素の自分でいられるか、

これが見る人にとってもみられる人にとっても大事なんじゃないかな。

そう思いました。


もちろん、こうあるべき、という理想の自分でいるために多少見栄をはるのは悪いと思いませんが、

あまりにも不自然になってきていると思います。



なかなか難しい(自分もできていない)ですが、出来るだけ素の自分でいられることが恥ずかしくない世界であってほしいですね。。。


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