見出し画像

きっちゃんのつぶやき「よい教師とかけて盆栽と解く。その心は、・・・」

 学びとは、他者とのかかわりを通して、一人ひとりの差異の擦り合わせによって達成される営みです。ですから、子どもの側からの発想でなければなりません。つまり、「授業をつくる」という概念から「子どもの学びをつくる」という概念への転換を図る必要があると考えています。

 そのためには、従来の授業のように、教師が期待する正答だけを受け入れて進行しようとしたり、子どもの考えを聴くことよりも、計画通りの進行にこだわったり、子どもの言葉に比して教師の言葉の量が多い授業から、何かを教えたいという教師の思惑は内に秘め、子どもの言葉や表情が表面で生き生き動く授業(子どもの新鮮な発想と、それを受け止める教師)にしていく必要があります。

 しかし、自分の期待する答えだけを待っている教師には、子どもの発見やその子どもの発想が見えません。例えば、一問一答式授業はその典型で、授業における教師の働きかけのほとんどが「発信」です。これからは、軸を「発信」から「受信」に移さなければなりません。教育とは、生きている子どもが対象であり、一人ひとりの子どもの心に響いてこそ力を発揮します。つまり、教師と子どもの双方向の行き交いがなくては成立しません。その双方向性をつくり出すのは、教師の「受信」、つまり、子どもの内に生まれるものの受け止めです。子どもの中に生まれる事実を受け止めるためには、「聴くこと」【受信】を大切にしなければならないと考えています。

“よい教師とかけて盆栽と解く。その心は、松(待つ)と菊(聴く)が多い”

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?