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カメルーン人同級生との会話で気づいた固定概念打破の2つの方法

本格的に大学院の授業が始まり、想定通り課題に追われている!

授業と課題に追われる一方で9年ぶりに再開した週1回の柔道とリトアニアにきて始めた屋外ヨガ、サウナ探求・三食自炊で健康的な生活を送っている。

周りの英語力には圧倒され「聞き取れない」時は
悔しいだが、毎回の授業で1回以上は発言・質問する目標はいま現在は達成して、毎日自分を褒めている。笑

そんな中で、授業中にカメルーン人同級生とペアになって議論した中で気づいた凝り固まった固定概念と
知的謙虚さの欠如を今回のNOTEに晒して
自分自身を戒めたい。

そして、その固定概念打破のために考えた2つの方法を取り上げる。


カメルーン人同級生から気づかされた凝り固まった固定概念

Corporate Communication という授業で
「あなたが考える最も成功している企業は?」という
お題でカメルーン出身のクラスメイトと議論をした。

私は、前職で電気自動車関連の仕事をしていたこともありイーロン・マスクが2003年に創業したテスラを例に挙げた。

彼女は神妙な表情をしていたので
テスラを知っている?と聞いたところ
「知らない!」と返事がきた。

その後、心の中で
「え?トヨタより高い時価総額のテスラもイーロンも知らない?まじで?????」
と思い、数秒間言葉が詰まった。

この時、自動車関連に関わっていなくてもイーロンやテスラは知っているだろうという固定概念に囚われていた。

しかし、彼女の意見のおかげで囚われていた固定概念を壊し、一歩引いた目線で考えることが出来た。

知識の有無ではなく相手との背景の違いを理解すること


彼女は、カメルーンのローカル企業「SOCIÉTÉ」という企業を取り上げた。

彼女がこの企業を選定した理由は、我々の生活に不可欠なパーム油の製造においてカメルーン有数の企業だからだ。
またこのパーム油は、環境問題を引き起こす起因にもなるため、企業や市場の課題も話してくれた。

学生時代、環境関連の国際機関でインターンしていたこともあり、下記の会社HPを見ながら興味津々で彼女の話を聞いて、すごく勉強になった。

SOCIÉTÉ Company Profile』
http://socapalm.com/activities-and-values/values/?lang=en

同時に
「いや、俺も全然知らないじゃん。何も分かっていないじゃん」
と猛省した。
あの時の自分にビンタしたい気分だった。。

誰しも油断すると固定概念に縛られて
偏った見方に進んでしまう。

その結果、柔軟な考えや思考停止状態に陥る。

木の枝葉ではなく、森全体を見て
視座を高くするために考えたことは2つ。

1つ目は
知識の有無ではなく、相手とのバックボーンの違いに
着目することだ。

私の経歴とは違い、カメルーン人同級生は
文化人類学の学士号を取得後、5年間カメルーンの企業での勤務経験を経て、リトアニアにきている。

お互い、育った環境、得意なフィールドが異なる事まで捉えてみる。

異なる違い、強み同士を理解して掛け合わせるれば
新たな価値を生み出すことだって出来るはず。

自身の無意識の当たり前から抜け出し
背景の違いに着目するれば
知的謙虚さの欠如に陥らなかっただろう。

改めて多国籍で様々な背景を持つ人々と深く議論を交わすことで一歩引いた目線で俯瞰して物事が考えられる「メタ認知」に繋がると感じた。

哲学者思考:「不知の自覚」

2つ目の固定概念打破の方法は、
「自分は何も知らないと思うこと」・「不知の自覚」だ。

哲学者アリストテレスの「無知の知」をイメージされる
かもしれないが、言葉を正しく解釈するために
ここでは、「不知」と記載する。

無知とは、自分は本当は何も知らないのに、知っていると思っている状態のことです。つまり、知らないことを自覚していないことを指します。
対して不知とは、自分が知らないと思っている状態。もしくは、知らないということそのものです。そのため不知とは、知らないということをしっかりと自覚しているということを指します。

引用:ソクラテスの不知の自覚とは?無知の知の本来の意味を解説 | LOGRAR-STYLE

自分の持っている常識や知識は世界の小さな一部に過ぎず「自分が知らないと思うこと、自覚する」ことで
より好奇心をもって柔軟な思考、「知的謙虚さ」の姿勢で相手と接することができるのではないだろうか。

この考え方は、Note第2弾目の
『ぼくたちの哲学教室』を通じて鮮明に甦った苦い記憶と言葉の持つ価値|Kaneyuki Irie (note.com)
でも取り上げた哲学的思考でもある。

古代の天才哲学者の思想と実際の自分が直面している
問題を結び付け
「自身の当たり前を疑う」ことで
木を見て森を見ずの状態から打破できると考えた。

固定概念の打破は、自身の可能性の拡張に繋がる


では、
相手との背景の違いを理解する、不知の自覚で相手と
接することによってどんなメリットがあるのか?

個人的には、
自分の可能性が拡張する
ことだと考える。

こうあるべき論で凝り固まった固定概念から抜け出すことで自身の可能性は無限大だ。

仮に私が「実現したいことのために海外留学より安定企業でずっと働くべきだ」という思考のままだったらこのNOTEも書いていない。

リトアニアにきてから気付いた事がたくさんある。

・多国籍環境で生活する面白さ
・学べる有難みの痛感
・リトアニアサウナ文化のユニークな側面
・スポーツ(柔道)を通じた国際交流の意義
・自然享受権とwell-being 
・前職の経験・スキルが大学院の勉強でも
 役立っていること
等々

いま私の可能性や選択肢が広がっているのは
少しづつ縛られていた呪縛(固定概念)から
解放されつつあるからだと信じている。

その他参考記事:

無知の知を意味する「知的謙虚さ」の欠如が多くの問題を引き起こしているという指摘 - GIGAZINE

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