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好きな本について語る「不良少年とキリスト」


あらすじ
「虫歯の主人公が歯医者の悪口を言いまくっていたら、
突然太宰治へのクソデカ感情の言語化に移り変わり、
生と死との話にぶっ飛ぶ話」



「原子バクダンで百万人一瞬にたゝきつぶしたって、たった一人の歯の痛みがとまらなきゃ、なにが文明だい。バカヤロー。」

最近文学者が現代に生きていて、
ツイッターをするならどんなことを書いて、
しまうんだろうと妄想することがある。

まず、鍵垢にしてしまうのか、
コメントは指定した人のみ答える設定にするのか、
ハッシュタグはつけるのか、
プロフィール画像はどんな画像を設定するのか、

具体的にどんな言葉で
ツイートするのかくらい、

そのような部分にも興味湧く。

炎上も不回避だと思う。



でも、文学であろうと作家は、芸術家であり、
それと同時に社会不適合者でもある。

世間の大半の常識や、倫理観は通用しなくて、
そんなのを期待する方が、
お門違いだね。

普通じゃない作品だから読みたい。
「そこまで書いちゃうの!?」って作品だから、
私は安心して読めるんだな。

人は、みんな手のひらなんて、
クルックル返すものだから、
わざわざそれを求めるなんて、
すごく無駄なことだけど、
結局はその手を求めてもしまうから、
どうしようもなく、哀れだね。

こんなしょうもない吐き出し
エッセイでも毎日続けられることが
才能だと言われることがあったけど、

でも、これしかないから
やってるんだよな。

書いてると、
何もしていない時よりも
頭の一部が、
からっぽになって楽になるから、
毎日でも書かないと、
それは、排泄を禁止されてるような
気持ちになってしまう。

でも結局は、
私は心が満たされると、
書く気力が湧かないみたい。

書いてるときは、
満たされていない証拠なんだよね。

今日みたいに一日二本も
長いエッセイを書くということは、
まさにその証拠でしかない。

足りない心が、
ガソリンになっているだけで、
読み手を満足させたいとかもなくて、

ただ、書きたいから
書いてしかいない。
書くという行為が精神安定剤になっている。

起承転結も特に
考えられていない、
ジャンクな文だ。




「本当の自殺よりも、狂言自殺をたくらむだけのイタズラができたら、太宰の文学はもっと傑すぐれたものになったろうと私は思っている。」

だなんて、
なんて高飛車なんだろう。

実に気持ちがいい。
それと同時に痛々しい。

私は、昔から、
何かについて語るのが大好きで、
三日前なんて、
4時間喋りっぱなしを二回も繰り返していた、
そんな8時間喋っていても、
疲労は感じない、むしろ元気になる
という異常者であり、

その夜に、相手の言葉の
意味について考えて
また悶々としてしまうナイーブさも
あるわけだ、

どうにもアンバランス。

このアンバランスさ、
がやめられない。

私は、昔から
エッセイや手紙を書くことが好きで、

昔からの幼馴染には、
普通に15枚くらいの手紙を送りつけていた
その15枚でも足りないくらい
だったので、

こうして、ここで
文を書くことにより自宅に届く紙束から
救われる幼馴染がいるということだ。

こんな性質を持ち合わせているもので、
学生の頃の、
感想を述べるプリントや、
読書感想文は、
恐ろしい量をこなしていた。

かといって、
何かに選ばれるわけでもなく、
ただただ、職員室を旋律させて
いただけだったし、

どうやら、
教師間で回し読みもされていたらしい。

それに対しては、
特に回し読みなんかしないでよ
なんて感情もなく、
ただ、「やった〜」って感じだった。

その中で、
一人の先生から、
「文を書いてどこかに送ってみなさい」
と言われた。

別にその人は、
国語の先生でもない人だったけど、

認められた気がして、
嬉しかった。

やっぱり大人から、
認められたと勘違いすることは、
すごく多幸感に包まれるね。

私の文における
スタートラインは、今
思い返すとその先生の言葉でしかなかった。

学校内や、手紙の中から、
外に出るという選択肢の存在を教えてもらった。

何回か、
先生は私の書いた感想プリントを読んだ。

そして
「林真理子のような文を書くんだね」
と今度は言ってきた。

それを言われた当時は、
林真理子の本なんて
一冊も読んだことなかったから、

その帰り道に本屋にすっ飛んで、
林真理子の本を片っ端から買ったさ。

読んでは、
感想を書いて読んでもらった。

誰かに宛てて書くと安心した。
あれの癖が抜けてないんだよな。

この本(不良少年とキリスト)
の主人公みたいに自意識過剰で、
高飛車なんだよ。

先生も、
林真理子のことを
「高飛車な女性」と言っていたけど、

あの時点で、
私の高飛車さを見抜いていたんだろうか。

それに林真理子といえば、

「美女に幸あり」や「美女は飽きない」
なんてタイトルの本ばかり、
本屋には並んでいて、
即座に美女に劣等感を持っている作者なんだと
思った。

先生からみた、
私ってろくな女じゃないな…

とも思ったんだよね。

高飛車のくせに
劣等感ばかり
以上に強く、自己肯定感も低い。

そんな生徒だって
バレバレで、
だとしたらどこまでバレてしまってるんだろう…
と今度は心配になった。

実際そうだから、
文からそこまで露骨に
滲み出てるもんなのかぁ…
ヒェェェ…といった感じだったなぁ。

でも、
書く=作者の内側の
汚いとこまで晒して、
読者はその共犯関係になるって、
ことだと思うから、
まぁ、なんでもいいよね。

と今では思う。

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