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毎日絵ッセイ

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作者の周りで起きることを絵と文で毎日投稿するよ!更新頻度NO.1
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#私は私のここがすき

「ただいま!大欝から帰ってきたよ!」

大欝の最中に食事に誘われても、 家の外に出ることが苦痛なので、 どうにもいけない。 どれだけ楽しげに振るまえたとしても 頭の中は「早く帰りたい」でいっぱい。  食事も味がしないので、 一緒にいるから、 食べているだけでしかない。 「無」をムシャムシャと食らう。 食事をして、コミュニケーションをとって 普通に近づきたい。 ただそれだけのために、 雑音まみれのレストランで飯を食らう。 梅雨が近づくと、 どうにもいかん。 今年は対策が足りなかったのもあって、 いつも以上に

「書くことは良い事なのかは分からないけど」

心が荒ぶれば荒ぶるほど、 私は現実の世界から離れたくなる。 そしてその結果、執筆が捗る。 結局の所、私にとって 「書く」は平和的で生産的な、 逃避行でしかない。 書かないという事が、 一番いいことなのかもしれないけど、 もう、人生において、 書く事が習慣と言うか、 お腹が痛くなったら、 トイレに駆け込むのと 同じ感覚にまで、なってしまった。 でも、逃避行先が、 あるってすごくいい事だよね。 私はあのまま、 逃げ込み先がどこにも無かったら、 どうなっていたんだろうな

「歪みの中で懸命に生きることにした」

「ご飯美味しいって感じる?」 「何しているときに幸せを感じる?」 「何してる時が喜びを感じる?」 こないだ、初めて 一緒に食事をした人から 聞かれた言葉だ。 食べることは好きだ。 それと同じくらい何もしないことも好きだ。 私は昔から文字を書く事が世間一般と比較して 苦手だ、 世間で良いと言われる文字からは、いつも歪んでしまう。 頭の出力速度に 指先が追いつかない。 書きたい文字と、書いてる文字が、 脳内で一致しない。 脳内でズレを感じながら文字を書かねばならない

「憂いは快楽だ」

人というものは社会を憂いたい生き物だ、 やれ年金だ、 やれ異常気象だ、 やれ最近の若者はと。 社会への見解は悲観的であるほど「売れる」 人は社会を憂いたい生き物だ、 社会を憂いば、 自分個人の生活を相対的に 楽観的に見られる。 一種の精神の自衛術だ。 「他人の不幸は甘い」 だけど、みんなそれを口には出さない。 ネットに書き込む。 それを口から発する事のできることが 社会への憂いだ。 知識人は皆「売れる」為に 社会に警笛を鳴らす。 これからもきっと変わらない。

「無自覚で真っ直ぐなバイオレンス」

いいカッコしか見せられない自分がいて、 出来ない自分を他者に認知される事が めちゃくちゃ怖い。 時々無自覚で真っ直ぐな 疑いのない価値観でぶん殴られると 立てなくなる。 悪気が無いからこそ、より みぞおちにどストライクしてしまうわけだ。 相手は全くの善意だから、 自分の歪さが、際立ってキツい。 分かり合えるのが当たり前で、 それを出来ない人は、 努力を怠ってると思われているのは、 聞いてるだけで、 わかる。 そうだよね。 分からないよね。 サボってるようにしか写

好きな本について語る「檸檬」

毎日、エッセイを書いていく中で、 そろそろ曜日ごとにエッセイの内容を 意識的に変えてみようかなと考え中です。 その中のアイディアの一つとして、 「週末は最近読んだお気に入りの本、や映画、音楽に ついてひたすら語ってみおうかな〜」 なんて思っております。 好きなものについて 熱く語ってる人って、 なんか昔から、好きなんですよね。 周りなんてどうでもいいから、 喋らせてくれ!!って 熱に心地よさを感じます。 一年ほど前に読書好きのご近所さんに 「青空文庫」というインターネ

「紙の中で踊っていたい」

私は高校1年生の時に ドイツの女子高生と文通を始めた。 きっかけは 学校内での姉妹校同士の文通企画。 (学校同士の初めての企画で、 候補者はほぼ皆無状態だった) 「なんかおもろそーやん〜」 といつもの軽いノリで 何も考えず、即立候補。 そして 私たちは文通相手として出会った。 彼女をここではエマと呼ぶ。 エマは、私に日本語と時々ドイツ語で手紙を書き、 私はエマに英語と簡単なドイツ語で返事をした。 英語もドイツ語も 完璧には程遠い私は、 辞書片手に翻訳しながら 手

「幸せだと眠くなる」

今日は朝から夜まで、 目の回る忙しさだったけど、 すごく楽しかった。 いつもなら机でエッセイを書くんだけど 今日は布団の上で 扇風機の風に当たりながら ゴロゴロと書いてる。 楽しい事が起こると、 これをもっと続けたいと思う。 どうしたらこの時間が 続けられるのかな… 無くなったらやだなぁ… と考えながら、 楽しい時間を噛み締める。 今日は心がとても穏やかだ。 結局私が文を書く時は 書いて自分を落ちつけたい時が 大半なのかもしれない。 答えがわからなくて、 寂しくて

「肥大化した痛い自意識」

一ヶ月前に自分でもまだ踏み込めない 漫画の題材を描こうとして二ページ目で止まった、 というか、 止めたのかもしれない。 自分が踏み込めないと いうことは書いてみてからしか分からない。 だからいつも、 ガーっと書きたくなったら めちゃくちゃに書く。 なので地雷を踏み抜いてから しか気づけない。 基本的に私の漫画は実話ベースに 色々継ぎ足して、 キャラは自分の好きな 描いていて楽しい気持ちになる見た目重視だ。 だから10代ならではの ツヤとコシのある髪質、 唇、目元

目標が決まった

今日も漫画専科の講座があった、 お話を聞いて、 みんなテンションがポッポッポ 上がってたので、 講座終了後に漫画家のみんなで雑談回をした。 みんなで、 講義に出た問題を 当てはめあったり、 考察し合ったり。 みんなが、みんなのことを よく見ている事がわかる。 やることもたくさん出てきた。 講座のある日は、 いつもと違うことの連続だからか、 いつも通りすぐには、寝付けない。 しばらく布団でゴロゴロ。 心は だいぶ静かにだけどドキドキ、 そして目はギンギン。 1

言われたことを信じてこなしてみる勇気

アートクラスの 画力アップ講座があった15日前から、 毎日20時から21時まで、 有志のメンバーで、 一緒に絵を描く習慣をつけている。 毎日毎日描いていると、 ぶっちゃけ「こんなん効果あるんやろか」 と思う日もあった、 というかほぼ毎日だ。 もっと効率のいい方法はないのか、 このやり方で本当に合っているのか、 もっと楽にできる方法はないのか そう思う日もある。 不安だし、サボりたいし、 なんか眠いし、 金曜ロードショーは面白そうだし、 (ポニョ録画失敗してた!!もう!

「なんで金払ってまでマンガ書きたいん?って話」

私は先月からマンガ専科という、 作家を目指す人が集まるコミュニティに入りました。 今日は私がなぜマンガ専科に入ったのか、 その理由を書いていこうと思います! 「私は、共に苦しみ合う人よりも、 共に喜びあっていける人が欲しかった。」 これは哲学者ニーチェ流の友達の作りの思考法です。 例えば、あの一万円札で有名な福澤諭吉は、 長年勉強してきたオランダ語よりも、 英語の方が重要だと知ったとき、 壮絶な絶望感に襲われたそうです。 私はそれを本を読んで初めて知ったとき、 「あ

「歪みの中で懸命に生きたいけど」

綺麗事を唱えながら生きていきたいけど、 人生そうはいかない。 私は綺麗すぎる人が怖いんだ、 中身が見えない。 どれだけ武装をしているんだ…と思う。 綺麗なことで、片付けられるならそれで良いんだ けど、難しいじゃないか。 私は他人には怒りとか、基本湧かないんだ。 基本自分に対してプスンプスンしがちだ、 そんなこと、 言うて、現実世界では、 そりゃあ他人にプスンプスンする日もある。 それで、「あぁ〜!!!!!!なんであの時 に怒れなかったんだ…!!!自分!!!

「認めたくない!はつまりそういうことなのだ」

優しい人というのは、 自己コントロール能力が長けているだけだ、 他人にどう見られるかを異常に気にしている、 自意識過剰星人だ。 自意識過剰すぎて、 自己コントロールする事で、 安心感を得ている。 それはある種のセラピーだ。 今朝はウギイイイって事が プライベートで起きた。 (さっき上げた、傘の話とは全く違うことね!) その行為がトリガーになって、 考える時間が増えた。 もう以下は公開独り言だ。気にしないでほしい。 けどnoteで公開している時点で、 気にしてほし