「認めたくない!はつまりそういうことなのだ」
優しい人というのは、
自己コントロール能力が長けているだけだ、
他人にどう見られるかを異常に気にしている、
自意識過剰星人だ。
自意識過剰すぎて、
自己コントロールする事で、
安心感を得ている。
それはある種のセラピーだ。
今朝はウギイイイって事が
プライベートで起きた。
(さっき上げた、傘の話とは全く違うことね!)
その行為がトリガーになって、
考える時間が増えた。
もう以下は公開独り言だ。気にしないでほしい。
けどnoteで公開している時点で、
気にしてほしいんだろう。でも「私は普段から
noteに考えは綴ってるから!!」ってこれもまた自意識だ。
認めたくないんだよな。
でもなんで認めたくないんだろう。
どうして私は頑張ってまで、
普通になりたくてたまらないんだろう。
全部話してしまえば楽になるのかな。
同情してほしい感まるだしな自分が嫌なんだ。
これも自意識の問題なんだ。
一番の敵はいつだって、
自意識だよ。
やりたいことを人に止められたって、
それを結局飲んだのは自分でしかないじゃないか。
人のせいにしてるけど、
結局それは自意識なんだよ。
認めたくないから、
そういうんでしょ。
本当にやりたいなら、
他人にどう思われようとどうでもいいはずなんだよ。
他人に責任をどれだけなすりつけたって、
本当は自分が一番わかってるくせに。
周りのせいにすることは、
誰も責めれない。それをわかっていて言うんだ。
卑怯な被害者ヅラだ。
全部本当はわかってる、
だから違うと言いたがるんだ。
夜が怖い。
夜になんてならなきゃいいのに。
「ずっと真夜中でいいのに」
という歌手がいるけど、
私はずっと真昼がいいんだ。
外は暗い、
なのに暗い話題のダブルパンチは怖すぎる。
でも、夕飯は好きだ、
一番机がごちゃつくから、
見ていて安心する。
いらないもの、不要なもので
人は癒されるんじゃないか。
本当に、必要なものだけでいいのか。
物然り、思考然り、
無駄なものにこそある美しさがあると思う。
必要最低限。
思考にこれはいらないんじゃないか。
そんなこと言われたら、
もう私なんてどうなるんだ、
無駄しか持ってないぞ。
無駄の中に、色彩は宿っている
そう思いたいだけなの
かも知れない。
自分の護身のために。
思考は護身なんだ。
こんなこと思いながら、
ペットボトルのキャップを
外したら、溝に落ちたよ。
取る気にもならない。
拾ったら、そこには蜘蛛の巣が
はってあるかも、
埃がすごいかも、
そしたら、掃除しなきゃって意識が
湧いちゃうし。
その事実に気付いただけで、
それに気づく前と後で、
この部屋の景色は変わってしまうんだ。
何も感じていなかった
無関心なこの部屋に
関心が宿ってしまう。
とか、つらつらと、
キャップを拾うことが
めんどくさいので、
言い訳を書くわけだ。
でもエッセイなんて、
こんな感じでいいんだ。
キャップが落ちた、
そしてそれを拾うのがめんどくさいから、
言い訳をつらつら書くだけでも、
案外今日の私はこんな感じなのかとわかるもんだ。
そんなもんでいい。
ずっと真昼が良い。
そんなことを思いながら、
今日もエッセイを書いてる。
いつも自分の為だけなんだ。
書いてるとそれだけで、
心が落ち着く。
自分で、自分を癒してるわけだ。
その点ヒーリングっとプリキュアはすごいな、
自己犠牲を払ってまで、人を助けるんだ。
(絵画教室の子供に教えてもらった)
プリキュアだから、
なせる技だな。
今のプリキュアはデリシャスパーティープリキュアだそうだ。
赤青黄色の3人が、
デザートモチーフの技で悪の敵に向かっていく。
プリキュアが好きな子から
プリキュアの話を聞くと、
大人の欲にまみれた好きとは全然違うんだな。
と涙がちょちょぎれそうになるわ。
プリキュアになりたい。
本気でいうんだもんな。
めちゃくちゃかっこいいな、
その子の世界には他人が存在しないんだ。
その姿を見ていると、
毎日しょうもないことで、
うんうん言ってる私はなんなんだ。
私にとってのプリキュアは
なんなんだろうと考えたんだけど、
特にないから、
もうプリキュアになろう。
自分だけを文字でヒーリング(癒やす)する
ヒーイングッとプリキュアに。
今日はいつも以上に何を
言ってるのか分かりにくいな、
でも毎日書いてればこういう日もあるんですわ。
書いてると落ち着くから、
書く、めちゃくちゃ書く。
そんで今どんどん落ち着いてるように見えて、
落ち着いてるし、
荒ぶってもいるんだ。
書くってのは表裏一体だ。
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