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「歪みの中で懸命に生きたいけど」

綺麗事を唱えながら生きていきたいけど、
人生そうはいかない。

私は綺麗すぎる人が怖いんだ、
中身が見えない。

どれだけ武装をしているんだ…と思う。

綺麗なことで、片付けられるならそれで良いんだ
けど、難しいじゃないか。



私は他人には怒りとか、基本湧かないんだ。
基本自分に対してプスンプスンしがちだ、

そんなこと、
言うて、現実世界では、
そりゃあ他人にプスンプスンする日もある。


それで、「あぁ〜!!!!!!なんであの時
に怒れなかったんだ…!!!自分!!!!」
ってなりがちだ。

そんな自分だからこそ

ひろゆきみたいに論破したい…願望がある……
(いや、あそこまではダメだな……)

怒りの反射神経が遅い。悔しい。
鈍間すぎる。

何度これで後悔してきたことか。
なのに反射速度は上がらない。

いや、反射神経が良すぎて、
どんな人にもキレ散らかして、
手を挙げる人にはなりたくないから、

その面では、良いんだ。

静かに何を言おうか考えられるのは、
平和的だ、

でも、私の心はそれでいいのだろうか。

いつも、終わったことを蒸し返して、
そこには、加害者はいない。

一人で、踊ってる状態。
楽しければ、それで良いけど、
楽しいとは真逆なんだ。



でも、そんな自分が嫌だと、
仮に変われたとして、変わって何になる。

まず、「自分の嫌な
対象に時間をかけるのはやめるべきだ」と
いう人は数多いるが、

本当に自分の身に起きた時そう思えるのか。
やっぱり、意識の中には存在するんだよ。

それを意識的に弾き出しても、
また戻ってくる。
しつこいんだ、脳みその仕組みめ。

つまりは、
時間が解決するのを待つしかないんだ。

考えないようにしようで、
考えないようにできたら、
こちとら苦労していないんだ。

それができないから、
争いは無くならないんじゃないか。



時間が解決することが、あるように
何の解決にもならないこともある。

解決しないんだろうな、
ってことは本人が一番わかっている。

だから、そんな人に
寄り添うのが作品じゃなかろうか。

どうにもならないから、
物語に縋りたくなるんだ。

自分め、浅瀬でチャプチャプしやがって……
水遊びだけしてりゃそりゃ楽しいわな。

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