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学校の校則・ルール 記事まとめ

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学校の校則やルールづくりにまつわるアイデアやレポート、エッセイなどをまとめるnote公式マガジンです。
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#ルール

当たり前をなくして個々を認め合える学校を目指してほしい

私が過ごした小中学生時代私が過ごした学生時代は、朝は席についていないといけない時間はきっちりと決まっていて、服装も髪色も規定があって、小学校は全員が給食という決まりだったし、それが当たり前に当たり前で誰も疑問に思うことなど無かった。 むしろ、それが当たり前であることで少しの違いで誰かが怒った、ちょっとしたルールのズレで先生が正そうとした。ささいな周りと違う行動で、誰かがズルいと泣き叫んだ。 どのルールも守ることは当たり前だった。 でも、それは良いことなのだろうか。 私

1. あえて今、「校則がない」と言われる学校に通っていた話をする #みらいの校則

序章また新しいシリーズを(前のシリーズ書き終えてないのに)始めようと思う。しかも明日からまた新しいシリーズを始める予定なのに今日も始めてしまう(笑)。 日記ばかり書いていたらアクセス数があまりにも落ち込んでしまったのが少しだけショックだったので。。書く時間を曜日ごと決めたりして頑張ってみよう〜〜っと。 * お題投稿第1弾今日から始めるのは「#みらいの校則」というお題投稿だ。 第1弾はタイトルの通り、「あえて今、『校則がない』と言われる学校に通っていた話をする」という中身

未来の校則は《自律の歴史書》 (エッセイ)

 制服は一応あるけれど、私服で通学しても「お咎め」はない、という高校に3年通った。生徒手帳にあったのかどうなのか、「校則」箇所を読んだことのある生徒は身近にいなかった。  ただ、噂では、校則はひとつだけ存在し、「下駄通学禁止」だとのこと。「禁止」と言われるとやりたくなるのは人の常で、ある日、裸足に下駄で通学した。  いつものように遅刻して既に1時間目が始まっていたこともあり、油の塗られた木製の廊下を歩く私の足音は、とてつもなく大きく響き渡り、何事かと教室から顔を出す先生や生徒

ルールを修正できるルールがあること。それが民主主義と法治主義の基本。

今回は「#みらいの校則」をテーマに、学校の校則やルールにまつわる新しいアイデアについて書いてみようと思います。 私自身は、小学校の児童として、中学校・高等学校の生徒として、大学生・大学院生として「学ぶ側」の立場と、小・中学校と高等学校の教員という「教える側」の立場の両方をバランスよく(?)経験してきました。 その経験から言うと、最も必要なのは「ルールを変えるルール」が明文化されていることだと思います。 変えられないルールほど怖いものはない最高法規である日本国憲法というと