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『1PM-ワン・アメリカン・ムービー』1P.M.(D・A・ペネベイカー、リチャード・リーコック、1971)

先日『予備選挙』を見てペネベイカー&リーコックが気になっていたので見る。

冒頭の字幕で、ゴダールがわれわれのオフィスに来て仕事したがっている、この映画はそこから始まったと説明され、参加メンバーによる討議が10分ほど映る。ゴダールの熱っぽい英語からは、その後の関心がジガ・ヴェルトフ集団の活動に傾いてしまって遂に編集放棄(で合ってるのかもうちょい調べたいが)したという事態なんて想像できず、P&Lとの間で交わされる、ドキュメンタリーパートとフィクションパートの関係性こそを訴えるんだとか向かいのビルは絶対ロング・ショットで撮るんだとか上がった素材をそのまま繋げりゃ完成するぐらい撮影時点で編集もできているようじゃないとダメだとか、いささか頭でっかちに思えつつもここから新しい何かがはじまるのだという瑞々しい期待が気の毒に思えてくるほどだった。
正直、実際の仕上がりはそのぶち上げから想像されるほど鮮烈なものではないのだが、ビハインドとして楽しめればそれでいいとも思う。演出するゴダール(は、『ニューヨークの中国女』でも触れられていた)!

……しかし68年ゴダールで言えば、本作の撮影後にロンドンへ渡って『1P1』に取りかかるのだから、両作の関係性は明らかすぎるほど明らかであろう。演奏では前者は屋外/後者はスタジオ、政治ではブラック・パンサー党クリーヴァーの共有、俳優ではこの頃接近したヴィアゼムスキー、そしてなにより文字通り似たタイトルなど。
食えないジジイでもフィルモグラフィーは不思議なぐらいひとつの線で繋げられる。

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