長文になった

今日の感想です。
最近、神経が疲労やストレス?(ネットではそう書いてありました)で神経痛になってあまりに酷いので、ペインクリニックで神経ブロック注射を打ってもらいました。それまで、数か月間、痛みの原因が分からなかったので、ずっと痛く、動く度に痛くて堪らなかったです。それで、先生に打ってもらって、一回目で、痛みは大体引いたのでヘルニアではないと思うんですが、なぜかこういう痛みに耐えた後って、もう誰も恨まないでおこうと思うんですよね(私だけかもしれませんが)。そうそう、コロナのワクチンを二回目打って、死にかけた後もそうでした。しかし、結局、また、元の世俗の自分に戻って、怨みつらみの文句を言うし、今まで文句(自分は文句だと思ってません)を言ってきた自分が否定してきますよね、今さら、何を言うとかね。一貫性がないじゃないか、ブレてるとかね。でも、それは負け犬の遠吠えというか、F.Nietzscheのルサンチマンで、成長する度に考えもアップデートされるはずだし、そうじゃないとダメなわけではないが、生きやすいのに越したことはないはずです。しかし、自分がもし、乙武洋匡さんのような五体不満足になって、そう言えるのかと考えました。自分だったら、一生、家族を呪い、社会を呪い、自分を呪い、文句を言い続けるのでしょう。それは皆さんも、有り得りそうですよね?Nietzscheによると、この苦痛と言うかニヒリズムの永遠回帰から抜け出すには、このニヒリズムをも受け入れる運命愛の超人になれと述べています。それは例えば、最愛の相手を殺されても、運命愛で恨まないと言うことなんでしょうか?それは無理だぜとぼくは思うんですが、今まで苦痛の連続のような人生だし、給料低いし、障害者だし、彼女いないし、これどういうこと?!と思ったりして。
ぼくは人生は公平だが、平等ではないと思っていて、やっぱり、東大行く人の家庭って恵まれていると言うか、親も毒親じゃないし、二人三脚で受験する。東大入るのが全てではないけれど、一度は入ってからでないと説得力ないし、他方、経済的に貧困な家庭だけでなくいろんな意味で「貧困」な家庭だとやっぱり、大学進学すら危うい。おかげさまでひねくれ者になりました。これってどうなん?みんな同じスタートラインでないのに努力や根性が求められるっていうのはおかしいんじゃないのか?確かに努力なしではどうしようもないけれど、同じ大学に入って一方楽々で、他方はめっちゃ努力したと言うのはなんか腑に落ちない。まあ、これがルサンチマンか。しかし、これが現実か。怒髪天の増子さんじゃないけど、こんな日本に誰がした、だな。ぼくは右翼や保守じゃないけど(左翼やリベラルでもない)、生産性ありきの日本で生きるのがきついな。特に障害者は。
「こんな夜更けにバナナかよ」の著者の渡辺一文さんによると、
①人が生きていることの深みは、「生産性」という一面的な価値観では決して測れない
②重度障害者の自立生活において、「支える」と「支えられる」は常に逆転しうる関係にある
③障害当事者が声を上げたからこそ、現在のバリアフリーや在宅福祉の制度がつくられ、その恩恵を健常者も日々享受(きょうじゅ)しているということをこのサイトで述べていました。
(cf.https://www.nippon-foundation.or.jp/journal/2019/36253)
そのほかにも、〈では、「自然界は弱肉強食なのに、なぜ人間社会では、弱者を救おうとするのですか? すぐれた遺伝子が生き残るのが、自然の摂理ではないですか?」という問いについてはどうだろうか。〉という文章がありますが、何も持ってして、すぐれているのかがぼくにはわかりませんが、ぼくはCharles Darwinの言葉を思い出しました。
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change.

生き残る種とは、最も強いものではない。最も知的なものでもない。それは、変化に最もよく適応したものである。
という文章です。
変化に適応できるのは健常者の方がやりやすいかも知れません、しかし、東大生の発達障害者の比率は他大学より高いし、一概に障害が良くないとは思いません。よく、ぼくも親から自立しろとか将来どうするのとか言われますが、発達障害の専門家である本田秀夫医師がNHKのハートネットTVに出演なされていた時に、障害者の自立は健常者の自立とは違い、いろんな他人に頼れる人になることだと言う趣旨の発言をしていました、その通りと言うか、健常者もそうなのではないでしょうか?
(cf.https://www.nhk.or.jp/heart-net/program/heart-net/1969/)
長くなったのでこの辺で。あ、詩も書きましたよ、ちゃんと。
題名はありません。

心の奥底を引ん剝くようなこの社会
心臓が拍動するこの都会のど真ん中で
生産性がバロメータの飴玉を与え続け、
頭でっかちな赤ん坊の様なサラリーマンたちが大量生産、
都会の交差点で立ち止まるんだ、これが正解かと
与えられ続けた受難を受け入れるしかない日々
この世の誰も恨むなだなんて綺麗事かもしんないけど、
自分のことを最大限考えたほうがいいだなんて、
優等生のように点を取りに言っているだけかもしんないけど、
baby、絶望するなよ、痛みしかない日々が終わらなくても
baby、いつかは最期に、自分の人生が合格点だった自分で認めて
悔いある人生を及第点でいたい
一度しかない?人生を及第点で満足したい
「明日死ぬかのように生きろ
永遠に生きるかのように学べ」
ガンジーではない誰かの言葉に
再敬礼を

以上です、閲覧ありがとうございました。
長文失礼しました。

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