【小説】聡子とサトコ-(終)

授業参観日当日、聡子はある決心をしていた。

敢えて何も考えないふりをして、学校まで自転車をとばした。

もし、サトコを見ても、動揺しないこと。諦めて帰らないこと。

自分が本当の聡子であること。佑都の母親であること。


学校に着いて、昇降口を上がり三年三組の教室へ向かう。しかし、三年三組はどこだ。学級は学年ごとに完全に横並びになっているわけではないのかもしれない。

職員室まで行って、校内案内図を確認する。三年三組と四組だけは、体育館に向かうための連絡通路を通り、学童保育室の斜め前にあるようだ。

なんでこんな場所に。すぐに分かりっこない。聡子は半ば焦りながら階段を降りる。なぜかずっとイライラしていた。先にサトコに越されているのではないか、と。

三年三組のドアは解放されていて、保護者たちがパラパラと教室の後ろに立ち始めていた。聡子は前の入り口ドアから教室に入り、ぐるりと教室を一瞥し、安堵のため息をついた。

サトコより先に着いた。もう大丈夫だ。

その時、視界の端に見覚えのある服がちらりと見えた。見慣れたバッグ。自分を鏡で見たときの、普段と認識違いに思える体型の自分。相変わらず、巻き込み肩で姿勢が悪い-。

サトコだ。そう思ったときに、聡子の目の前は真っ暗になった。

気がつくと聡子は、部屋のベッドの上にいた。ベッドの中で白い布団がかけられている。意識が少しずつ戻ってくるにつれて、部屋の中を改めて見回す。

でも学校の教室ではない。では病院か。

その時、入り口のドアから白衣の女性が入ってきた。

「…具合はどうですか?」

親切そうな、聡子と同じくらいの年齢に見える。

聡子が答えられないでいると、

「北村さん、教室で倒れたんですよ。救急車呼びに行こうと思ったのですが、ただの貧血なので心配いらない、と仰ってて、意識もしっかりしてたし、しばらく休んでもらおうと思って」

貧血? 自分がそう言ったのか。少なくとも運ばれているときの記憶は聡子にはなかった。でも無意識下で言ってることって結構あるものだ。そうか、この人は保健室の先生だ。

「……ありがとうございます」

聡子は答えた。

「もう少し休んだら帰ります」

「一人で帰れますか? ご自宅は近いですか? 良かったら途中まで一緒に帰りましょう」

保健室の先生は親切に言ってくれたが、聡子は丁寧に断ってベッドから降りた。脚を床につけて立ち上がろうとしたら、ふらりとよろけた。なおも心配そうな保健の先生に、再度お礼を言って、聡子は保健室を出た。


外は、低い灰色の雲が垂れ込めていた。梅雨時だが思ったより蒸し暑くはない。校舎の外階段の脇に停めておいた自転車がぽつんと持ち主を待っていた。聡子は自転車にまたがり正門へタイヤの向きを変え、ペダルを踏んだ。

家まで自転車を走らせながら、聡子の頭の中に浮かび上がるのは、佑都の小学校に上がったばかりの頃のことだった。入学式での初めての教室で少し緊張した顔で聡子のほうを見ていたことや、普段弱音をはかない彼が、実は僕は学童に行きたくない、とぽつりと言ったりしたことなど、様々なことが頬を感じる風と一緒に頭をよぎった。

マンションに着いて駐輪場所についたときには、まるで肩の荷が下りたように、もう不安は無かった。理由ははっきり分からないがそう思えた。

マンションのドアを開け、洗面所で手洗いした後リビングに入る。

テレビには録画しておいたアニメが映されており、散乱した菓子の空き袋。

すぐに近寄ってきた桃子と、

「ママお腹空いた、何か作って」

と、少し媚びたような佑都の声を聞いたとき、吹っ切れたような清々しさを感じた。

「またラーメン?」

わざと呆れた声で聡子は答えたが、声は歪んで掠れた。涙に気付かれないように、聡子はキッチンに立った。











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