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”空気には流動性がある”


#自分にとって大切なこと #理科が好き

はじめに

”空気には流動性がある”                       これを聞いて、「物理の授業か何かか」「あたりまえだろ」「流動性なんて頭が痛くなりそう」などと思うかもしれない。

しかし、私が言いたいことはそういった一般的な物理の授業にあるような空気についてではない。「空気を読む」「KY」で使われる「空気」についてである。

私が大切にしていることは、私たちが感じているこのような空気の実態は流動性があるもの、つまり、変化を加えられるものだと意識することであると思う。

空気。空気。空気。

周りから求められているキャラクター。目立つこと=恥ずかしい。親や親戚からの期待。「意識高いね」は侮辱。1軍、2軍、3軍や地味ーズというスクールカースト。

中学生の頃の私はこのような、何の意味も持たない空気に支配されていた。好きなもの、好きなことを好きと言えない苦しさ。自分自身に嘘をつく苦しさ。聞きたくもない悪口。馬鹿にされた大事な友達を庇うことのできない自分の弱さに苦しんだ。空気を吸い込みすぎた私は、過呼吸の時に感じるような胸の苦しさに圧迫された。

空気を気にしだしたのは中学1年生。同じ学年の男女がこのように話していたのを聞いたから。「あいつは地味ーず(3軍のような感じ)だろw」「○○と仲良いとー?w」自分もそう思われたくない。その一心で周囲に合わせて、空気に合わせて生きてきた。

周囲に合わせてる、空気を合わせるとは、具体的に、好きだった読書を授業観の休み時間にすることをやめた。借りたかった本を図書室に借りに行くのをやめた。好きだった漫画やアニメや音楽の話をするのをやめた。男子から馬鹿にされていた友達とはクラスというコミュニティーではあまり話さなくなった。いつも一緒に自転車で学校に行っていたアニメや漫画の趣味が合う友達とは、学校の近くになると距離を空けて登校していた。本当は勉強していい成績を取りたいけれど、それで目立つのが嫌でほどほどにしていた。やりたくなかった室内鬼ごっこに参加していた。自分にとってはどうでもいい制服のセーラー服のスカーフを気にするようになった。

空気を読んできた結果。

これらをしてきた結果、何とか中学では、目立たず、特別な害が加わることもなく過ごせた。しかし卒業して振り返ってみると、大きな後悔...。もっともっと本を読みたかった。表面的な関係ではなく、心を許せる友達が欲しかった。大事な友達ともっと中学生活を謳歌したかった。

きっかけは...

私が空気から解放されるきっかけは高校入学である。私は高校から地元を離れた。離れてみて思ったことは、今までいたコミュニティーがとても小さいものであったということである。おかしいと思う人もいるかもしれないが、中学生の頃までは、”勉強していること=ダサい”であったのだ。私は高校からは勉強もやりたいだけしたり、好きなものは好きと言えるようになった。私は中学生のころまで苦しんでいたこれらの価値観を捨てることができたと思う。

まず、ここでの教えは、現在自分がいる息苦しい環境から外側に出てみよう!つまり、”空気を換えよう”ということである。ここで私の影響を受けた漫画「xxxHoLic」に出てくる言葉を記載しようと思う。

”世界っていうのはね 無限に広がっているようだけれど 実はとても小さいの 自分の見える範囲、聞こえる範囲、手が届く範囲、感じられる範囲にしかない 世界はね、在るんじゃないの 自分で創るものなのよ”-xxxHoLic-

しかし

高校生でも息苦しいところは多かった。私は中学生の頃、自分の本心や思っていることを押し殺していたことから、自分の気持ちを言うことや目立ってしまう行動を起こすことに強い抵抗感を覚えていた。そして周りからの期待や理想と自分自身のギャップに苦しんでいた。

まず自分の気持ちを言う、や、行動を起こすことの抵抗感を払拭することができるようになったきっかけは、高校でできた友人である。彼女は一人で行動することにも何の恐怖感も抱いておらず、言いたいことも相手を配慮しながらも発言することができていた。しかし、彼女は煙たがれることは無かったのだ。この経験から私が苦しめられていた、考え方や価値観は、”自分の中”の第三者が勝手にそう思っていただけに過ぎないことに気づいた。そこで私は、自分の言いたいことが言えないときや、やりたい行動がとれないときは、「もしこの言動を他の友人がしていたら」と置き換えて考えることでできるようになっていった。

親や周囲の期待についてもそうである。私は負けず嫌いな性格もあって、常に成績上位ではあった。しかし、ただならぬ努力と、たまたまの連続の結果であると思っていた。自分がそれほど飛びぬけて成績優秀だとは思っていなかった。しかし、親からは地元で一番入るのが難しい大学に行くことは絶対であり、それ以外の選択肢は許されず、周りの人からは文系だけの順位では1位が当たり前であり、2位だったら「○○ちゃん、どうしたの⁉」と驚かれるのである。 私はこのように、周囲からの期待や理想と、自分自身の実際の現状とのギャップにとても苦しんでいた。

ここでも私がやったことは周囲の空気を換えることである。私はよく友達に授業内容でわからない所を聞かれていたのだが、今まで以上に自分のわからないことは「ここはわかるけど、ここはわからない」とはっきり伝えたり、自分がわからなかったことは今まで以上に友人にも聞いたりした。親に対しても、親が行ってほしいと希望する大学に「私も行きたいと思っているし、行けるように頑張るが、絶対的に行けるかわからんからね」というのも伝え、自分の感じている不安についても話したりした。

こうやって、常に自分以外の友人だったらこの言動について自分はどう思うか、と考えながら言動を変えていくことで自分の身の回りの当たり前についての空気感を換えたのだ。

空気は流動性がある。

さて、ここまで読んでみて、流動性があるという考え方は伝わってきただろうか。はじめの部分で、空気に流動性があるということは、空気に変化を加えることが可能であることだと言った。環境を変えることで、自分の言動を変えることで、自分の身の回りの空気は変えることができる。

空気は読めてしまっても、読んでしまっても、流動性のある実態であるということ、つまり、変化を加えることができるものである。それを意識して行動を起こす。そうすると、それに合わせて自分の周りの空気も変わる。これを知っていれば空気を無視して行動を起こすことなんかこわくない。

おわりに

”空気には流動性がある”この言葉は私の心を軽くする大切な言葉である。

変化を加えることができるものだと知ることで、空気が合わないという恐怖は無くなる。自分に素直になって生きよう!常に、その選択は数年後の自分が後悔しないか考えてみよう!

今回の企画に参加できたことで私は私の中の価値観にしっかり向き合うことができたと思う。これもまた、私が認識している自分自身に対する空気が変わった行動であると思っている。



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