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神の計らい ① 恩師編

私は保護司をしている。そこに至った経緯はまたいつか記すとして、保護司は、法務大臣から委嘱を受けた非常勤の国家公務員(無報酬の民間ボランティア)である。

保護司の職務、役割は大きく分けて三つある。
⚪︎保護観察
⚪︎生活環境調整
⚪︎犯罪予防活動

保護司は罪を犯した人の社会復帰の手助けや、保護観察処分となった対象者と月に数度、面談して近況を聴き、ときには相談を受けて助言をしたりもする。

対象者と面談をして、いつも思うことがある。

凶悪犯罪者は担当したことがないので分からないのだが、私の担当した対象者は、どの人も罪を犯した人とは、とても思えない普通の方である。


なぜ犯罪に手を染めてしまったのだろうか。

また本人と真剣に向き合える両親や家族、同僚、友人、学校の先生などが周囲にいたのなら、違った人生があったのではないかと思う。

本来は、ちゃんとした教育を受けてきた人だと思うのだが、何かのきっかけで、人生の歯車が狂い、犯罪に手を染めてしまったのだろう。

しかし、どんな理由があろうとも、罪を犯してはいけない。

例えば、友人と旅行に行き、宿泊先の部屋で誰かの財布が無くなったとする。

その友人の中に窃盗で捕まった過去をもつ人がいたら、信じたいと思っても、心の中で一番にその人を疑ってしまう。

たとえ親友であっても。

罪を犯した友人が悪いのか?

疑う友人が悪いのか?

罪を犯すということは、そういうことであり、みんなを不幸にする、とても恐ろしいことである。

罪を憎んで人を憎まず

言うことは簡単だが、心からそう思うことは難しい。

話は変わるが、犯罪者の再犯率は2020年の犯罪白書では、過去最悪の49.1パーセントと非常に高い。刑期を終えた半分の人が、また罪を犯す。

その一つにはまだまだ社会が、罪を犯した人に対して、厳しいからではないかと思う。

当然の報いだと言えばそれまでだが、必死にやり直そうと努力をしている人もいるのだ。

それを周囲が理解してあげなければ、心が折れて、また犯罪という悪の誘いに、心を委ねてしまう。

そういう人に対して、理解し協力をすることが、再犯を防ぎ、しいては地域を守ることにも繋がる。

先ずは更生保護の理解が必要である。

さて、前置きが長くなったが、タイトルの

「神の計らい① 恩師編」

宗教的な怪しいタイトルと思えるが、高校の恩師との、ただの想い出話である。


 ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇  ◇

よく外見で人を判断してはいけないという。

人を外見だけで判断するのは難しい。

着飾った人は立派に見える。しかし精神も立派とは限らない。

また見窄らしい身なりであっても、立派な精神の持ち主かもしれない。

外見は怖い人に見えても、その人の視線や言動などを注視してみると、実は優しい人なんだろうと感じることもある。

また逆にニコニコして一見優しく感じる人も、この人は自分を飾っている、裏のある人だと感じることもある。

初対面の人と接するとき、先入観は禁物である。

外見はその人の一部にすぎないから、外見で人を判断してはいけない。

それを僕が高校生の時に実感した、ある出来事がある。

高校1年生のとき、古老の物理の先生がいた。

いつも偉そうで冗談のひとつも言わない、つまらない先生だ。

容姿が信楽焼きのたぬきに似ていたので、心の中で古狸と呼んでいた。

また出題するテストの問題は、いつもたった2問しかない難しいものだった。

僕はその古狸が大嫌いだった。授業中はいつも寝ていた。また物理のテストは毎回白紙で出した。

物理に限らず、どの教科も勉強をしなかったので、2学期末の時点でたくさん単位を落としていた。

担任に親も呼びだされ、留年はほぼ確定的であることを通達された。

僕は変なプライドだけはあったので、歳下たちと一緒に、また1年生をやり直すことなど、到底出来ることではないと思った。

留年したら、退学すると両親と担任に告げた。

3学期に入って期末テストが近づいてきたある日のこと、古狸に職員室へ呼ばれた。そして、僕にこう言ったのだ。

おまえが俺のことを嫌っているのはよく分かっている。だがこのままだと間違いなく留年だぞ。どうするんだ?今度のテスト頑張って、やってみろ!俺が進級させてやる!」と。

怒られると思っていたので、その意外な言葉に驚いた。

嬉しかった。僕は古狸のことを思い違いをしていたと、そのとき気がついた。

そして、今までの不敬をお詫びした。

それからというものは、今までこんなに勉強したことはないというほど、勉強をした。

期末テストは終わり、奇跡が起きた。

テストは当然満点ではなかったが、どの教科も及第点を取った。

その後は、進級の審査会議になぜか僕の名前は出ることもなく、無事に2年生に進級することが出来た。

進級が決まり、すぐに先生(もう古狸ではない)のところへ御礼にいった。

先生は一緒に喜んでくれて、褒めてくれた。

先生の力で進級出来たのかは、先生も僕もそのことには触れなかったので、真相は分からなかったが、そんなことはどうでもよかった。

普通は面倒くさい生徒など、放っておけばいいのだ。その方が楽なのだから。

しかし先生は違った。僕のことを真剣に考えてくれていた。

いつも気にかけてくれていたのだ。

それを人を見る目がない僕は、気がつかなかった。

それからは先生を慕った。授業も勿論ちゃんと起きて聞いていた。

物理のテストだけは赤点を取らないように一生懸命努力した。

そして、無事に高校だけは卒業することができた。


人を見かけで判断してはいけないということを、その先生から教えてもらった。


今はこの世にはもういないが、いつまでも僕の心の中にいる恩師である。

きっと、その時に高校を退学していたら、中途半端などうしようもない人生だったと思う。

何かしらの罪を犯していたかもしれない。

人生はどう転ぶかは分からない。

分からないから面白くもある。

僕みたいな落ちこぼれだった人間が、今は保護司をしているのだから、人生は分からない。

人との縁は大切である。また自分で求める努力も必要なこと。

どのような人と出逢うのかは分らない。

またその人と、どのように向き合うかも大事だ。

素晴らしい人との出逢いが、人を成長させてくれる。


だから、どんな人であっても、出会いは大切にしたい。

人との縁は神様の領域だと思う。

人、時、場所この三つが揃わないと出逢いはない。

自分の力ではないと思っている。

僕はその先生との縁を与えてくれた神の計らいに、感謝するのである。


最後までお読み頂きありがとうございました🙇






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