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ぼっち在宅介護 声というコミュニケーション。ただ聞こえづらいだけかもしれない

私は声が通る。通ってしまう。し、デカい。
滑舌がいいわけではないけれど、よく聞こえるらしい。
特に老人に。
特に屋外で。

田畑で困っているご老人に声がけするのは得意だ。ご近所に、かなり耳の遠いボソボソ話すお爺さんがいる。
たまに、回覧板を持ってきてくれたりするが、私の主人が出ると、お互いに想像で話をするので、むちゃくちゃになるらしく、主人はすぐ私を呼びに来る。


主人の母は、50代?で脳溢血?か何かをやって、片半身麻痺になり障害が残った。聴覚も視覚も大半が機能しなくなり、言葉も最初はでなかったらしい。主人が大学生の頃だった。
かなりリハビリを頑張り、話せるようになり、字を書けるようになり、ゆっくりだが歩けるようになり、僅かに残った聴力と片目の真ん中に5ミリ角残った視力で、いろいろをこなしてきたという。
自分の仕事も退職はしないで、人になんと言われても続けたと義母は話していた。

私がお会いした時は、がっつり麻痺した体との付き合い方を見つけて、人に頼む事は頼み、自分でやりたいことはやり、無理難題な夢こそ見てはくれなかったけれど、一つ一つのことに感謝してくれる人だった。
私はとにかく良くしてもらった記憶が残る。
シュールでブラックで、うん、良くも悪くも障害者になったからかはわからないけれど、物の見方がちょっとええ感じに尖っていて、大好きだった。
(家族にはずいぶんわがまま言う時があったらしいが、微塵もわからなかった)

コロナ禍に、天命が尽き、コロナ禍なのに、家族全員に見送られて旅立った。
体に障害ができてから、かなりの徳を積んだのではないか…と言う見事な最後だった。
今でも大好きな人だ。


で、義母は、耳が不自由で、いつもテレビに字幕を出していた。が、NHKの女性アナウンサーさんの声だけは聞こえると言っていた。
話まで聞き取れてるとは思えないが、音が入ってくるだけで聞きやすいか否かがわかってうれしかったようだ。

その義母に、
「Sちゃんの声はいいねぇ。よく聞こえる!」
と言ってくれていた。
シンプルな単語なら聞き取ってくれたりした。

そして、主人の声は全くもって通らない(笑)

義母は、手話や読話も習得したようだが、手話も読話の口の動きもそこそこな主人の話は全く入らない。結局、筆談になるのだが、普段やらない主人は会話することに疲れやめてしまう。
実はいっぱい話したいことがあったのだけど、男の子と母の関係は障害のあるなし関係なく、ちょっと照れ臭い何かがあるようだ。

そこに、ワーワーいうと会話の成り立つ嫁がいて、複雑な話は筆談でサクサクトークを繰り広げるので、ちょっと面白くない主人は、
「お前は、高齢者担当な!」と言った。

ちょっと難しいところのある義父とも会話が続くしだ。
うちのオヤジも愛想がないので気持ちを聞くのは私の役目だし。
主人は、高齢者との声のやりとりを諦めた。誠意を持って繰り出すが、全く話が通らない!(笑)黙って笑顔でいる方が場が和む。(笑顔は最高級品だ)


義母とのやりとりのおかげで、私の通る声はますますハリが出て大きくなった。(普段は気をつけて抑えてしゃべっているが、それでもたぶんうるさいと思う)


今日、父の薬を取りに病院へ行った。
私のメンテナンスも一緒にした。
(鍼灸で電気鍼と血液検査などなど)

診察の際、いつも先生は父のこともちらっと聞いてくださる。

「最近、お父さんどうですか?」

「あ、ぼちぼちやってます。見ます?」

と、アイスバーを食べる動画をみせたら、、、

「え?ちょっとまって、すごいじゃん」

そう、先生は前回の往診でサチレーションが下がる話をしていたところから父を見ていない。

「飲み込んでる、、、なんでこんなことがおきるんだ?Aさんちは。」

カクカクシカジカ、口腔ケアの件とか、飴ちゃん舐めるように飲み込む話をしたら、、、
先生は、遠くを眺めて固まっていた。

「はい、わかりました…。はい、娘さん、血液検査ね、やっとこう…」


と、採血コーナーへ行く。

リハビリ科の電気バリの先生に、血糖値も見てもらうように言われたのを思い出し…

「あ、血糖値もお願いしたい…」

と採血の看護師さんにボソっと言ったら、

離れたところから先生が、

「血糖値(の項目)とってるよー」

と返事が来た…

「あ、聞こえちゃった…高齢者相手してるから、ベースがデカくてすみません」

すると、看護師さんが

「羨ましいです。私いつも『ぁあ?何ってぇ?』怒られるんです」と。

たしかに、そう言うのあるなー
ウチの父はよほどのことがないと、
「え?何?」とならない。



「父の耳はよく聞こえてます」

と、皆に言っているけれど、実のところ、うまくコミュニケーションの取れない先生やスタッフさんもいる。

もしかしたら、、、
聞こえづらいだけなんかもしれない。
私の声がデカいだけかも。

コミュニケーションができないと感じるスタッフさんは、もしかして声が聞き取りにくいのかもしれない。
会話が父の想像の中で終わっていて、変な返事にならないように返さないこともありうる…お世話になってる方に、
「何言ってるかわからん」とはいいづらいのかも…


最初に書いた
回覧板のおじいちゃんにしても、主人にしても、あまり親しくない遠くない関係の人に、
「は?」は重ねては聞きづらい。互いに思いはあるのに距離ができてしまう。


ふと、思った。

ウチのオヤジが、主治医の先生の想定を越えていくのは、私の指示が聞こえてるからではないか?

そもそも聞こえなければ、やりようがない。

言ってもやらない。
となると、

家族は
「聞こえてないから…」
「もうわかんないんだ…」

と、難聴や認知症と思うし、そう認定もおりがちだけど、、、

そもそも、聞こえづらいだけバージョンはないだろうか?

聞こえない、わからない、という状況は不安だらけだと思うのだ。
義母と話していて、いろいろ聞いた。

だんだん本人もコミュニケーションをおざなりにしていく。
聞こえない、わからないと思われたくないので、空返事をする。

すると、おかしな言動と思われる。

適切な対応とか、診断がおりないこともあるかもしんない。


高齢者の皆が皆ではないと思うけど…

声の通るお医者さんが相手だったら、、、
声の通る看護師さんだったら、、、
声の通る家族だったら、、、

そこのおじいちゃん、おばあちゃんは、
ただ、耳が聞こえづらかっただけかもしんないよね。



追記)
回覧板のおじいちゃんは、ある日、近所の別のおじいちゃんが田んぼのぬかるみに軽トラで入ってしまい、脱出を手伝っていた。

私はすぐ横の畑で作業をしていたが、こっそり様子を見ていた。

片や耳が悪いので会話にならないし、片やパニックでちゃんと行動が連動しない。
全然アクセルを踏むタイミングがあわない。

うまくいかないのが耳が悪いせいになりだして、たまらなくなり手伝いにいった。

「耳が遠くて話にならん!」

「いやー、すまんなぁ」

耳の遠いおじいちゃんは全く悪くない。
たまらず、思わず声をかけた。

「あー、女の子は無理や」(女の子ではない)ぬかるみにハマった爺さんはいう。

「え?私の声聞こえますよね?」

「うん、聞きやすい」回覧板爺さんは答える。

「え?聞こえるん?」ぬかるみ爺さんは驚く。

「聞こえてはりますよ、声次第です」

「へえ」と、ぬかるみ爺さん

「じゃ、私が号令出しますからー、アクセル踏んでください。こっちは、押します!いいですか?」

「よしよし」 爺さんず

爺さんたちは、守備についた。

「はい、アクセル!」

ぶぉぉぉお〜ん!!!!ぬかるみ爺さん

必死に押す、回覧板爺さんと私。

無事脱出。無事仲直り。
私の株はグッとあがった。

「ありがとうなぁ」

「Aちゃん(父のあだ名)とこの子か、ありがとうなぁ、世話なったー」

大体、爺さんには固定観念がありすぎる。
ま、爺さんだけではないけれど、、、

女にはできん
とか
俺の話は聞け
とか
うまくいかない時は、ほかの何かのせい
とか

ただ、片や耳がちょい聞こえづらいだけで、
片やちょい声が通りづらいだけ。
それだけだったりするのに、
気持ちを表現してくれない…とか
ちょっとわからなくなっちゃったかも…とか

いっぺん、紙に書いて聞いてみ?
いっぺん、声でかいやつに話聞いてもらってみ?

意外となんでもなく伝わったりするかも?

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