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死ぬ権利でなく、『生きる権利』

【note 紹介】 〜〜 すごい人の記事と出会った。この人は、だあれ?。〜〜


「 一部の政治家が  安楽死や尊厳死の議論を  呼びかけていることについて 」 2020年07月

三春充希(はる) ⭐みらい選挙プロジェクト さんです。



斜め読みだが、たぶん、こんな感じだろう。

安楽死が、、、良い悪いというより、、

生きていくことを、保証してくれる権利。


想像だけど、、、悲惨な状況でも、生き延びることができること。


もうダメだ、と言う時に、寄り添う人が存在する権利や保証。

「もう一歩だけ、一緒に行こう。。まず、ゆっくり立ってみようよ!」、と声をかけてくれる人が、存在する。

これは、おとぎの国の夢の話だろうか?。


私も読むが、みなさんも読んでほしい。

この記事を。



「個人に、死ぬ自由を!、死ぬ権利を!」と討論するより(重要だと思いますが)、、、

それよりも、、、

生きたいと望む人がいたら、というより、どんな人にも、、

あと一日【だけ】、生きる権利と、義務があると、わたしは思ってしまった。。

贅沢かな?。

(いろんな考えや、思いが、マゼコゼになりました。)


( ーー 簡単ではない。理想と現実は違うのも、一応は、わかっているつもりです。ーー)



そして、一番驚くことは、、、

その権利を、国や公が、保証して、責任を負うべきだと考える比率が、日本は、かなり低いらしい。

つまり、我々の日本国では、、、

国や公(拡大すれば、国民の多く)が、、、命や生活の継続は、個人の責任である、と考えている。

その個人以外には、どんな組織にも、責任はない、とする感じかな?。

斜め読みした、感想です。


本当に、日本やアメリカは、そこまで、(悪いカンジの自己責任)の世間の空気なのかな?。

たしかに、人さまに、迷惑をかけないーーーという言葉は、良い意味・悪い意味があるカンジだよな、、。。



少し、怖い気分だ。。

まずは、読みましょう!。

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一部の政治家が  安楽死や尊厳死の議論を  呼びかけていることについて

三春充希(はる) ⭐みらい選挙プロジェクト さんです。





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