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「こんにゃくのやつ」

ペニンシュラ型の白いキッチン。
それが、家を建てるときに唯一こだわった場所だった。

結婚式にしても家の購入にしても、「その道のプロに任せておけば間違いない、その”プロ”さえ見誤らなければ」というのがモットーの私たち夫婦は、照明も建具もすべてあらかじめ規格された、外見は倉庫、中身は白い箱といった趣のプランを選んだ。
希望すれば、オプションとして各所変更はできる。
迷わず、段差のあるカウンターキッチンではなく、フラットな、大きなペニンシュラ型キッチンにしたい。真っ白の。と主張した。
パンや製菓が趣味だったから、両サイドから作業ができるのは便利だ。またいずれは、お腹にいた長女とクッキーを作る日も来るだろう、それなら大きな調理台のほうがいいだろう、と思っていた。

長女が生まれて3ヶ月頃、出来立ての家に入居した。
壁も廊下もなく、大きな吹き抜けがあり、家のどこからでも長女が見える造りは子育てにとても良かった。
製パンは、10分作業→1時間寝かす→10分作業→1時間寝かす…と、トータルの調理時間に対して実作業は短いので、長女の世話の合間でも無理なくできた。
イメージ通りに生活できている、そう思った。

職場復帰してからは、週末に平日5日分の作り置きをするようになった。料理は嫌いではないし、回を追うごとに効率的に作れるようになっていくのも、スポーツのようで楽しかった。オーブン上下2段と圧力なべを活用し、2時間で7~8品は作れるようになっていた。もちろん、夫と子供たちがおいしいと言ってくれるのもうれしかった。

そんな生活が一変した。
仕事上のトラブルをきっかけに、デスクに居ることに耐えられない、何もないのに涙が止まらない、という状態になり、あれよあれよと休職が決まった。
毎日家にいるので、もう作り置きをする必要もなくなった。
毎日簡単な料理をするのと、入居して数年経つのとで、白いキッチンの流し場はずいぶんくすんだ色になっていた。「人工大理石ってこんなに色ついちゃうんだなぁ」と他人事のように思っていた。キッチン用漂白剤を使えば元の色に戻るが、そこまでする必要性がよくわからなくなった。

いつ頃からか定かでないが、私に代わって夫が、平日分の作り置きをするようになった。彼は料理が上手い。料理自慢という感じではなく、加工品と野菜を組み合わせてさっと副菜を作ったり、定番の野菜と、その時に安かった肉で煮込み料理を作ったり。献立作りに迷いがなく、傍から見ても、「おいしく作らなくちゃ」と気負う様子がまるでなかった。
私が復職してからも、そしてまた短い休職に入っている今も、夫は何を言うでもなく作り置きをしてくれている。仕事でへとへとになっていた日、気分が落ち込んでいる日、夫の料理が冷蔵庫にある、というだけで心は救われている。
私だけの趣味や、個人競技のような調理の場だったキッチンに、夫は遠慮していたのかもしれない。今や、勝手知ったる場所だ。流し場の色素沈着ももう誰も気にしない。したほうがいいのは分ってるけど、もっと、あるだろ。って思っている。

先日夕食の時に、長女が「やったぁ、この『こんにゃくのやつ』だいすき~」と言った。「こんにゃくのやつ」は、夫がよく作る副菜で、糸こんにゃくを切ったものとキノコに、胡麻とごま油、塩昆布を和えたものだ。香りがよく、ひと口の中に触感が様々で美味しい。
夫の、多分レシピなど全く参照していない、「これとこれを組み合わせたらおいしいだろう」というノリで作った料理が、定番になり、そして「こんにゃくのやつ」と命名された。真っ白なキッチンはくすんだし、私の独壇場ではなくなった。そして、我が家だけの料理が、初めて名付けられた料理が生まれた。
キッチンと私たち家族の紆余曲折の、今のマイルストーンが、「こんにゃくのやつ」なのかな。そんな風に思いながら私も「こんにゃくのやつ、おいしいよね」と食べた。

休日の朝、キッチン奥のガラス戸の勝手口からはあたたかく日が入る。そしてその傍に座り込み、子供たちから隠れて、ポテトチップスとコーラや、とっておきのお菓子を一人で食べる。風通しの良すぎる家の中で、ひっそり身を隠せるのはこのキッチンの隅しかない。
娘とクッキーを~なんて言ってた口で頬張るポテチとコーラは旨い。
キッチンは家族のものになったけれど、この片隅だけは私の隠れ家としてしばらくは使わせてもらいたいところだ。

 

#ウェルビーイングのために

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